相棒2
直後、
ジリリリリリリリリリリリリ!
張り詰めた空気を切り裂くベルの音が響いた。
バイクの排気が火災報知器に反応したのか、にわかに騒がしくなる。
「せめてこの三〇〇万デイルだけでもっ!」
グレイの身体を押しのけたジョンは手提げバッグを掴む。
「動くなっ! よくも、よくもイーサンをっ!」
グレイが捨てた拳銃を拾い上げたクロフォードが構えると、ジョンも同時に構えた。
拳銃ではない。トランシーバーのような細い突起が伸びた機械だった。
「起爆装置だ!」
「な、何ですって⁉」
「はぁ、はぁ……はは……お前らはこの誘拐を思い付きの計画だと思っていたようだが、私は単細胞ではない、これくらいの準備はある。身内が捕まった時点で自分もマークされていると考えるのは当然! 逃走の陽動の為に爆弾をこのバッグの中に仕掛けた!」
「は、ハッタリです」
「試してみるか? 共和国製のC4だ、お前の判断ミスでこの場にいる全員が死ぬぞ!」
「……起爆すればせっかく手に入れた金が無くなりますし、身代金というあなたの目的と矛盾します。そもそも自爆なんてできるわけがない!」
「そうかな⁉ 捕まれば私は二度とシャバに出られなくなる! これまで稼いだ金も、共和国での快適な生活も全て水の泡だ! 希望もないまま生きてムショに入るくらいなら棺桶に入る方がマシだ! さぁ撃ってみろ!」
ビジネスマンとしての仮面は剥がれ、顎の先から大粒の汗を滴らせ、血走った眼がぐりぐり転がる。金持ちの余裕なんてものはとうに失われ、動揺し、生存本能と欲望がむき出しになっている。
九九パーセントでハッタリだ。だが、一パーセントの本物の可能性が残る装置を前に、ブラフだと決めつけ発砲することは、警官のクロフォードにはできない。
「——行かせてやれ」
誰かが言った。
撃たれた男、イーサン・グレイが血だまりに顔をつけて言った。
クロフォードとライツ、ジョンもぽかんと口を開けた。
「……ダリアを保護した時点で俺達の目的は達成……こいつの追跡、逮捕は連邦警察の仕事だ」
「イーサン! 大丈夫⁉」
「頬と耳がザックリイッたけど何とか無事だ……コリン、悪党を逃すのは悔しいだろうが、ここは俺の頼みを聞いてくれ」
「で、ですが——」
「頼む」
「っ」
今がチャンス、とばかりにジョンはバッグを抱えて部屋を出て行った。
クロフォードは追うべきか迷っていたようだが、ついには拳銃に安全装置をかけた。
「ありがとう」
「……いいんです、イーサンの言う通り人質を救出できたのですから」
グレイは静かに頷いて仰向けに転がり、上体を起こす。
ライツに視線を移す。
「よぉ、迎えに来たぜ家出少女。だからモーテルの部屋を出るなって言ったろ」
「ごめん……早くパパにフリスカのことを相談したくて」
流石に疲れた顔でライツは床に膝を付いた。
「ったく、おかげでハンサムに傷が付いたじゃねぇの」
「私は顔に傷があるメンズってワイルドで素敵だと思うよ」
「適当言ってんじゃねぇよ、女が寄り付かなくなったらどうすんだ。お前のコネでセレブの美女を紹介してもらうからな」
「あはは、それでもいいけど、イーサンには身近にいい人がいるんじゃない?」
「あ?」
ライツがクロフォードに視線をやり、グレイはつられてそちらを見る。
怪訝なクロフォードの顔があった。
「何見てんだよ」
「あなたが先に見てきたんでしょう! あらかじめ言っておきますが、私は秘密主義の男は嫌いです。それに、どうせ傷はすぐに治るのでしょう」
「正解。でも、どうにもならなかったら女性警官のヒモになんのも悪くねぇかもな」
「ゾッとすることを平気で言わないでください」
「うーん、二人は平常運転だね、帰って来たって感じがするよー!」
クロフォードとライツの手を借りて、グレイは立ち上がった。
右頬と右耳が裂け、血が流れ続けている。
すると、眼前にタオルが差し出された。
「使え」
「お前、まだいたのか」
ハンマーだった。
「奴との契約は終了した」
「そうかい、怪力の化け物と第三ラウンドに突入せずに済んで良かったって喜ぶべきかね」
「それはこちらも同じだ。高層階の窓から放り出されて生還するような化け物と殺し合いたくはない」
ハンマーがほんの数ミリ口角を上げて笑った、ただの主観だが、グレイにはそう見えた。
タオルを受け取り、傷口に当てる。
「これからどうすんだ? そこのレディと逃げるのか」
「そのつもりだ。もう一度自分の生き方を探してみようと思う」
喪服の女が痛そうに微笑んだ。
ハンマー自身も心から希望を持って言ったわけではないだろう。
脛に傷を持つ者が明るい世界に簡単に戻れるほどこの世界は優しくできていない。
だが、それでも諦めずに歩もうとする意志が、安寧を得るには必要なのだろう。
「ヤバい時は俺を訪ねな。昔の仲間が運送をやってる。大した給料は出ないだろうが紹介できるからよ」
ハンマーと喪服女は一度互いの顔を見合わせた後、グレイを呆けた顔で見た。
「自分を殺そうとした者に仕事を紹介するのか……」
「まぁ、お前の一言でジョンに隙ができたからな。受けた恩は必ず返す、借りも返すのが俺の主義なんだよ……ん、そう言えばこれも返す」
グレイは腰に差してあったFk26のコピー拳銃を差し出した。列車でクロフォードが拾ったものだ。
「それがイーサン・グレイの生き方か、参考にさせてもらう。だが、その銃に見覚えはない」
ハンマーは早くも上手く立ち回ることを覚えたらしい。一連の事件の証拠となるような物品から遠ざかりたいのだろう。
「そうかい、んじゃ、死ぬまで生きろよ」
ハンマーは喪服の女を連れて部屋を出て行った。
二人がどのような関係なのかは分からない。きっと単純な男女の仲ではないだろう。
それでも、裏の世界から抜け出そうと決意するほど、ハンマーにとって喪服の彼女は大切な人なのだ。
グレイはささやかに祈った。二人に平和があるように、と。
「——さて、こっちも仕上げといくか」
「そうですね、もうすぐ式典が終わります」
「陛下は裏口からご出発される、先に行ってくれ」
「イーサンは一緒に行かないんですか?」
「俺はロビーで降りる。用を済ませてから行く」
「? 二人とも何の話をしてるの?」
「何って、お前、フリスカ様に会いたいんだろう?」
「え、う、うん……それはそうだけど何でイーサンがフリスカの予定を知ってるの?」
「コリン、連れて行ってやれ」
「分かりました。行きましょうかダリアさん」
「え、え⁉ コリンも訳知り顔なのはどうして⁉」
「ダリアさんの冗談が真実だったんですよ。イーサンはフリスカ王女のお付きの職員だったんです」
「え、ええええええええええええええ⁉」
「おいドーナツ女、テメェやっぱり油と砂糖で脳みそやられてんだろ、何言ってくれちゃってんの」
「そして私はホミア市警察の婦人警官ではなく、総合情報局の美人エージェントです」
「わ、ちょ、何するの?」
クロフォードはライツの背後に回って、両目を手で覆って廊下を進んでいく。
「東西戦争に介入した合衆国は表向きにはハーネリアと上手くやっていますけど、その実、戦争を長引かせ、多くの被害を出した負い目があります。両国の関係を強化するために次の女王となるフリスカ王女には、ぜひとも良い印象を持ってもらいたい! 政府はそう考えたわけです——」
一般用エレベーターまでの道には多くのバイク事故の犠牲者が転がっていた。扉を出てすぐのところに倒れていたガードマンは膝がおかしな方向に曲がったままピクリともしない。
「目隠しされたまままだ続く感じ?」
「そこ、障害物がありますから大股で跨いでください」
バイクに跳ね飛ばされて、生死不明の男をスルー。
「——そこで、今回のご訪問ではフリスカ王女の希望を全て叶えて差し上げようとしたわけです。そこで抜擢されたのが私とイーサンだったわけですよ。両国の懸け橋となるべく、組織と国を超えてダリアさんをニューリードまでお連れしたんです」
「じゃ、じゃあ! フリスカが私をここに呼んだってこと⁉」
「そ、簡単な依頼だったはずだったのによ。肝心のお前さんは家出して補導されてるし、身代金目的の第三世界のシンパは襲ってくるし、最低の不運が重なりまくって今に至るってわけ」
「そっかぁ……フリスカ、私のことをまだ友達と思ってくれてるんだ」
ライツが涙声で言った。
グレイとクロフォードが部屋に突入した時よりもずっと安心したような声だ。
少し黙ってから、大きく息を吸い込んだ。
「でも、さすがにコリンがエージェントは嘘でしょ」
「な、何故私だけ⁉ い、いえ、スパイというのは正体を偽ってこそなのです。私がただの親切なお巡りさんに見えたのなら、それはもう完璧な擬態だっという証拠です。——それに私たちのことなんてどうでもいいじゃありませんか」
「?」
「肝心なのは王女様とダリアさんが普通のお友達に戻ること、それだけです。この旅は友達に会うという目的の珍道中。それで十分。私たちもそれを望んでいます、ね? イーサン?」
「あぁ。時間は短いだろうが、後悔しないようにたくさん話しな」
「うん……そっか、分かったよ、ふふっ」
一般用エレベーターに乗り込み、クロフォードがライツを解放した。
ライツはくるりと振り返って、完璧な笑顔で二人に言う。
「ありがとう! イーサン! コリン! とっても楽しい旅行だったよ!」
満身創痍だが、グレイは身体が軽くなった気がした。
「さぁ、ダチに会いに行け」




