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旅の始まり

 輝く太陽。窓の外には淡いピンクやミントのパステルカラーに彩られた建物が連なり、パームツリーの影が南国の風に揺れている。風に運ばれた潮の香りが鼻腔をくすぐり、一月でも夏の空気が支配していた。

 一行を乗せた車は、ファンクミュージックを爆音で垂れ流すラジカセを担いで踊りまくる若者達の隣で止まった。

 このボロ車にエアコンなどという贅沢オプションが搭載されているはずもなく、当然窓は全開。暑い、うるさいのダブルパンチにやられ、グレイはハンドルを叩いた。


「——だからショッピングストリ―トは避けるべきだって言ったよな⁉」

「ナビを任せるって言ったのはあなたでしょう⁉」

「見ろよ! 事故で渋滞してるじゃねぇか!」

「この時間のリバーサイドは跳ね橋が上がってるんですよ! トロトロ走るあなたの運転が下手だから渋滞に巻き込まれたんじゃないですか⁉」

「法定速度いっぱいだ馬鹿! 警官のクセに何てこと言いやがる!」


 一〇分署を出発して少し。グレイとクロフォードは唾を飛ばして怒声を交わす。

 東のウォーターフロントを避け、クロフォードの助言により繁華街を突っ切る道を選択したのだったが、こちらの道はかなりの混雑。車列の脇を浮かれた観光客が意気揚々と追い越していく。


「はぁ、こんな雑用は私の仕事ではないはずなのに」

「ちっ、ジェイクもどうせ護衛を付けるならもっとマシな奴を寄越せってんだ」

「は?」

「あ?」

「アハハ! 多分どっちの道でもあんまり変わらないよー、渋滞ももうすぐ終わるだろうし、 どうにかなるってー!」


 少女に宥められてしまった二人は、一度顔を見合わせ、息を吐いてから前に向き直った。

 グレイはルームミラーのライツを見つつ、


「お前、家にいたくないから家出したんだろ? 連れ戻されるってのに抵抗しないのか」

「え、うん。パパとママは大好きだよ? 冬休みちょっと暇だから暖かいところでバイトでもしようかなーって出てきただけだもん」

「ちょっと、で一か月近くも?」

「行動力の怪物ですね、親御さんが心配するのも無理ないです」

「電話したんだけどな―」


 グレイは家出少女と聞いて真っ先にパンクロッカー風の不良少女を想像したが、実際のライツはふらりと自由にどこへでも行ってしまう雲のようだ。

 しばらくすると、彼女が言った通り、オンボロのツードアセダンが渋滞を抜けた。


「小遣いなら十分に貰ってんだろ。何でわざわざこんな遠くのリゾートでバイトを?」

「楽しいから!」

「偉いですね。リッチな親に甘えず勤労意欲を持つだなんて、とても立派だと思います」

「そう? アタシは面白いからやってるだけだよ」


 ライツは缶コーラを飲んでさっぱりと答えた。


「変わってんなお前」


 ダリア・ライツが補導されたのは昨晩のことだった。ビーチで夜な夜な騒ぐ観光客の警戒の為、巡回パトロールしていた警官が声をかけた。そこで年齢を誤魔化してバーで働いていたことが発覚、即お縄についたというわけである。

 不法労働をやんちゃで済ますのか、というお叱りの声が北部から聞こえてきそうではあるが、ここは常夏の街。良くも悪くも大らな気風だ。


「イーサンは?」

「あん?」

「何で探偵になったのー?」

「そりゃお前、俺がタフだからよ。タフな男に会社勤めは似合わねぇ、ハードボイルドな仕事と言えばやっぱり探偵だろ」

「へー! かっこいいねー!」

「単に働き口がないだけでは?」

「うるせ。お前さんは? 何で警官に?」


 大人として話題をふってやると、クロフォードは待ってましたと言わんばかりに胸を張った。


「それは勿論、私にピッタリだからです。ホミアは合衆国有数のリゾート地、人が集まれば必然的に犯罪も増加しますから警察官の需要は非常に高いわけです。体力、知力共に優秀な私が活躍できる絶好のお仕事なのです」


 歌うように説明した顔は実に誇らしげだ。


「本当かよ、田舎から出たかっただけじゃねぇの」

「はい?」


 ギクリ、とクロフォードの唇が変な形で固まった。


「お前、田舎育ちだろ。都会のいいとこ出身の、ましてや能力に自信がある女がわざわざ警官になろうとはしねぇよ。田舎でカッコがつく仕事って言えば昔から、教師、消防士、次いで警察官って決まってるしな。学校の成績で一番だった自分の能力を誇示したいってところか」

「そ、それだけで私が田舎出身だという根拠には」

「分かるんだなー。怒るだろうから言わないけども。農家だろ」


 クロフォードはこっそりサイドミラーで自分の身だしなみをチェック。本人はバレていないと思っているようだ。


「ははっ、やっぱりカッペかよ。ちょーっと鎌をかけただけで分かりやすい奴。警官なら探偵の俺みたく機転が利いてなきゃダメだぞ」

「というか、今のは詐欺師っぽいね!」

「だはははっ、上手いこと言うなぁ!」


 大笑いするグレイの横で、クロフォードの顔がみるみる赤くなっていく。


「そうですよ、ウェストプラトーの牧場生まれ牧場育ちですよ! 何か問題でも⁉ 田舎者はダサくて悪いですか⁉」

「いや悪くねぇよ。その極端な態度はどうかと思うけど——ちっ、遮断器降りてきちゃったよ」


 グレイは前かがみになって前方上を見上げる。

 前の車が唸りを上げ、慌てた様子で踏切を渡っていく。赤と白のバーが完全に降り、グレイ達の車が列車の通過を待つ車列の先頭になった。


「貨物列車じゃねぇだろうな。いよいよ離陸に間に合わなくなるぞ」

「ダリアさんを連れて行くのに期限でも?」


 生まれを看破されたことが気に入らないのか、まだむすっとして、クロフォードが肩にかかる髪を払う。


「あぁ、二日後の昼までに到着してなきゃならねぇんだよ。飛行機で行くつもりだったから大した問題じゃないはずだったんだが」

「これは旅客列車専用線路ですから貨物列車は走行しません。それにこの踏切を超えれば渋滞は解消されますし、すぐに山を越えて国道に入れます」


 クロフォードが涼やかな調子で言うと、グレイが軽く肩を叩く。


「へー、さすがはホミア市警察(HPD)、実はちゃんと道選んでたんだな! 田舎もんのヒステリック警官だと思って悪かったな、この調子で頼むぜ」

「誰がヒステリックですか! まったく調子がいいんですから、これだから探偵と記者は信用できません」


 肩を払いながらも少し満足気な顔のクロフォード。

 気性に反して案外チョロいかも、とグレイは思った。


「コリンはイーサンのこと、嫌いなの?」


 ライツがシートの上部に顎を乗せて聞くと、


「信用できないという意味で概ねそうですね」


 クロフォードがスン、と氷の表情になった。


「本人目の前にして言う? それとダリアもそういうことを直球で聞くんじゃないよ」

「現実の探偵は映画やドラマのように事件を解決しませんし、むしろ捜査の障害になることが多々あるんです。『守秘義務だ』だとか言って捜査や聞き込みに非協力的なんです。ウチでは『探偵が事件に関わると解決が三ヵ月伸びる』というジンクスが囁かれるほどです。そういうわけで、我々の多くが探偵嫌いなのです」

「お前新人だろ、言うほど捜査に加わってないくせに」

「ふっ、民間人には分からない細かな仕事があるんですよ」

「警官が民間人に対してうっすらマウント取るんじゃないよ」


 カンカンカン! と踏切の音がけたたましく鳴り響く。遠くから警笛の音が近づいてくる。


「——ですから、フェリー警部補にあなたのような友人がいるとは意外でした。真面目で私心がない人だと思っていましたから」

「ジェイクは堅物なきらいはあるけど頑固じゃない。お前もジェイクを見習え? 極端ってのは身を亡ぼす。何事も柔軟にバランスよくほどほどに~ってな、お分かりか——え、ちょ、おいおいっ!」


 グレイがルームミラーを凝視したまま叫んだ。その直後、


 ——ガクン! と車体が大きく揺れた。


「きゃあっ!」


 クロフォードの叫びと共に車内の全員が前につんのめり、車が前方へ押し出される。


「何だ、ちくしょうっ!」


 緑のワゴンに追突された。ゴリゴリ、と金属が軋み潰れる音が響き、じわりじわりと一行の車が前進する。

 ハンドルに額を強かに打ち付けたグレイが、顔を上げると違和感に気が付いた。

 バックミラーに映る後方の緑のワゴン。その運転主の中年男性が慌てている。何度も後ろを振り返っていた。

 グレイに追突したからではない。

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「玉つき事故だ! クッソ、何でまだ押される⁉」


 ブレーキの甲斐なく、車は遮断器を押し上げて線路に侵入し始める。


「あ、あああああ! 列車っ! 列車が来てます!」

「なにいぃぃっ⁉」


 叫ぶクロフォードの向こうに列車が見えた。カーブを曲がっている。

 遮断器の赤灯が視界いっぱいに明滅し、踏切の警報音が耳鳴りのように膨れ上がる。


「進むしかねぇ!」


 グレイが叫び、車を発進させようとした。だがエンジンはガコン、と咳のようなものを一つ吐くだけで沈黙する。


「このオンボロがぁっ! ここでエンストだとぉっ⁉」


 後方からの圧は止まらない。押されるたびに車体がきしみ、前輪が線路の溝に乗り上げた。警笛が、腹の底に直接叩き込まれる音量で近づいてくる。


「何てタイミングだ、出るぞ!」


 グレイはドアを蹴り開け、線路へ転がるように飛び出した。続いてクロフォードも外へ。

 だが立ち上がって後部座席を振り返った瞬間、グレイの血の気が引いた。

 この車はツードア。後部座席の乗り降りは前の座席の背もたれを倒す必要がある。


 ライツが取り残されたままだ。しかもぐったりしていて意識が無いらしい。


「ダリア!」


 ——ドンッ!


 トランクが跳ね、車体がまた前へ押し出される。遮断器がトランクを叩く。

 急いでシートを倒そうとするが、乗り込んだ時と同じように中々動いてくれない。

 そうしている間にも列車はどんどん迫る。


「助手席側から出しましょう! ——な、何をするつもりですか」


 グレイは歯を食いしばり、後部座席のウィンドウに向き直る。


「!」


 クロフォードの提案を無視して、拳を振り抜いた。


 ——バシャァッ!


 衝撃が手首から肘へ突き抜け、鈍い痛みが走る。蜘蛛の巣状に亀裂が広がり、窓ガラスが内側へ崩れ落ちた。


「来い!」


 グレイはライツの肩を掴んだ。細い身体を引き寄せる。やはり意識は無いらしく、だらんと腕が垂れ下がった。

 警笛が、迫る。


「手伝います!」

「おおおおおおおおおおお!」


 回り込んだクロフォードと共にグレイは力任せに少女の身体を窓から引っ張り出す。

 三人は線路脇の砂利に飛び込んだ。


 ――ゴオオオオオオオオオオッ!


 直後、鉄の巨体が視界を塗り潰す。


 爆発の衝撃が遅れて炸裂し、押し込まれたコンパクトカーが紙屑のように弾き飛ばされた。

 咄嗟に二人の上に覆いかぶさったグレイの身体を風圧が叩き、ガラス片が雨のように降り注ぐ。


 数秒後、ハリケーンのように列車は通過していった。

 警報音が止み、赤灯が消える。残ったのは、歪んだ車列、そして離れたところで車だった残骸が吐き出す黒煙。


 ライツが、大きく息を吸い込んだ。


「あ、あれ?」

「だ、大丈夫なようですね……は、はは、死ぬかと思いました」


 二人に怪我はない。

 グレイは膝に手をついて立ち上がった。


「はぁはぁ……やっぱり、こっちの道じゃなかったな」


 ガラスで切れた拳から、血の雫が一滴落ちた。

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