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落下

 獣の如く身を引く保ち、廊下から客室、客室から廊下へジグザクに間合いを詰める。


(こいつら、何の訓練も受けていない。それぞれが勝手なタイミングで発砲してるだけだ)


 包囲を狭めるような、数を活かした戦法を取られていたならグレイの勝ち目は薄かった。

 追い詰めようとしたのか、グレイが飛び込んだ部屋の正面から禿げ頭の男が不用心に入ってくる。

隙だらけの胴を狙い撃つと、ビニールシートに鮮血が飛び散った。

 すかさず突進し、力を失った禿げ男の身体を盾にして廊下を猛進。

 男の体重を支える左腕がメキメキと嫌な音を立てるのも無視して、怯む男達に銃弾を叩きこみ続ける。


「クソ野郎どもが! 死ねえええええええええええ!」


 一人、二人、三人……。

 埃を掃くように容易く片付けられ、銃声が減っていく。

 盾にされた禿げ男はこと切れており、背中には夥しい数の黒い穴が空いていた。


 最後の一人と思しき男は撃ち尽くしたのか、奇声を上げて突っ込んで来る。

 タックルをまともに浴びて壁に叩きつけられるが、即座に喉仏を殴りつけると膝から崩れ落ちた。


「ぐひゅっ……げえぇ、は、は、はぁ、はぁ、待って」


 前髪を掴まれた男は恐怖に顔を歪め、血が混じった咳をこぼす。


「殿下の願いを叶えるのは俺の恩返しだ。その為にクソ野郎の命が必要なら俺は喜んで殺すぜ! テメェらの墓にションベンかけて高笑いしてやるのが待ちきれねぇよ!」


 拳銃の銃床で側頭部を何度も殴りつける。

 倒れかけるのを前髪を引いて無理やり起こす。


「さぁ答えろ、残ったのはお前だけだ! ボスはどの部屋にいる⁉ ガキも一緒か⁉」


 口をパクパクさせるだけの男の額に連射で熱された銃口を押し当てる。

 きゅう、と肉が焼け縮む音がした。


「がっああ、ああ、あああああ! う、上、上! 上にいる! 二十九階!」


 前髪を引いて床に倒す。


「あぁ? 今その前を通ってきたところだってのに……そういやあの階は工事が済んでたか、クソ、俺は馬鹿か。おい! 若い女も一緒だったはずだ」

「はぁ、はぁ、そ、そそそうだよ、ごつい男も一緒だった! お、俺たちは銃を渡されて、この階より上に来る奴を止めろって言われただけだ! た、頼む、殺さないでくれぇ……」

「どいつもこいつも雇わればかりじゃねぇか」


 うずくまる男の膝を撃ち抜いた。

 耳鳴りがひどく、男の絶叫は気にならなかった。


 二二〇八号室は他の部屋と同様、コンクリートがむき出しの殺風景な部屋で、誰もいなかった。ヴァルター・ライツが契約するこの部屋に籠城していると思ったのだが、グレイの予想はここでも外れたことに。

 またエレベーター前で待ち伏せされてはたまらない。小指で耳をほじりつつグレイは廊下の先に進み非常用階段に向かう。すると、


「イーサン・グレイ! 死ねぇ!」


 階段の踊り場に一歩足を踏み入れた途端、上階から刺客が降って来た。それも複数人。


 ナイフが腕の皮膚を裂き、滑り込むように脇腹へ突き刺さる。建築資材を振り下ろされ額が割られる。

 雪崩に巻き込まれるように壁に叩きつけられ、拳銃が手から滑り落ちた。


「ごあぁっ……っあぁ、順番に殺してやるから一列に並べや」


 自身の腹に刺さった十五センチほどのナイフを引き抜き、押さえつける腕を切りつける。

 殴る、蹴る、投げる、切る、刺す。

 格闘家が素人を圧倒するように、ではない。攻撃以上の反撃を受けながら力任せに敵を打ちのめし続けた。


 グレイは元特殊部隊員だがこのような白兵戦に特化しているわけではない。特殊な体質を持った兵士達を、ハーネリアと合衆国から寄せ集めただけの冗談のような実験的部隊だった。わずか潜入生活と二週間の特別訓練を受けただけでは無敵の軍人にはなれないのだ。


 だからこうするしかない。

 猛り狂ったイノシシのように暴力を叩きつけるのみ。頑丈という体質特性に任せ、殴られ、蹴られ、掴まれ、切りつけられても止まらない。もはや戦闘術ですらなかった。野生の獣が力任せに暴れているだけの光景だった。


「はぁ、はぁ」


 グレイだけが立っていた。

 痛い、苦しい。

 それなのに身体はほとんど自動で動く。休めという肉体の本能を超越する意志が階段をまた一段登らせる。恩を返す。愛を返す。その思いだけだった。


 イーサン・グレイは止まらない。

 顔面に伝う血液を汗でぬるつく掌で拭い、自分と敵の血で汚れたコートを脱ぎ捨てた。


「いつもの恰好の方が動きやすい……」


 ターコイズのジャケットはグレイの一張羅。いつもの勝負服姿でグレイは進む。

 それから二度、同じような戦闘になった。

 二十八階に着いた頃には、ゾンビのようになっていた。

 腫れあがった左瞼は視界の半分を塞ぎ、かち割られた額から流れる血で右目もろくに見えない。右の肋骨にはひびが入り、脇腹の切創は内臓には達していないが歩く振動で酷く痛んだ。


「立っているのもやっとか」


 横から声がした。

 頭を振って、細くなった目でその姿を捉える。

 黒いコートに革の手袋。短く刈られた頭髪、発達した眉骨。肥満体型かと思うほどに発達した筋肉を全身に備えた男。


「ハンマー」


 その名を口にした瞬間、ジャケットの襟を掴まれたグレイは廊下まで投げ飛ばされた。


「がはっ……が、あ、ああ、うぁ……!」


 ひゅうひゅうと異音が混ざった呼吸の中、緩慢な動きで立ち上がる。


「イーサン・グレイは十分戦った。一兵士がこれだけの敵を屠り、ジョンを追い詰めた、勲章に値するだろう」

「はぁ、はぁ……何が言いたい? まさか諦めろなんて言うつもりじゃねぇよな? こっちはゴール目前なんだぜ、今さら——」

「お前を殺したくはない」


 ハンマーが至近距離までやって来た。


「じゃあそこどけよ」

「それは、できない」


 敵から奪った拳銃を構えるが、引き金を引く前に叩き落された。

 続けて膝を狙った蹴りを放つも、距離感が合わず空振りに終わった。


「てめぇっ、離せクソ!」


 胸倉を掴まれ客室の方に引き摺られる。凄まじい膂力で絞り上げられ、抵抗する力が入らない。


「上階層へ来る者がいれば、殺すようジョンに命令されている。まさかさらに上から来るとは思わなかった」


 ハンマーはそう言うと、グレイを持ち上げ、背を超すほどに大きな窓ガラスに押し付けた。


「だが、お前には借りがある」


 押し付ける力が増していく。


「自分勝手に喋るんじゃねぇ……」

「そう。自分中心でしかものを考えられないのか……お前は列車でそう言ったな。足りない頭なりにそのことを考えていた」


 肺が圧迫され、息が吸えなくなる。


「列車でウィドウが撃たれかけた時、オレは恐怖した。その恐怖とお前の言葉が気づかせたのだ。彼女を失いたくないと。このまま裏稼業を続けていても未来はない。だから、この仕事を最低限こなしてやり直すことにした、ウィドウと共に。俺は初めて他人の為に生きてみようと思ったんだ」

「て、め……ぇ、っとに、人の、話を……聞かねぇ、な」


 ピキピキ、と音を立て窓ガラスにひびが走る。


「お前は学びを与えてくれた。故に直接は殺さない。が、このままジョンの元へ行かせるわけにもいかない。式典の終了まで大人しくしていてくれ」


 薄氷の上に立ったような嫌なイメージに戦慄する。


「お前ならどんな状況でも生還できるだろう」


 ひびが大きくなる。窓ガラス全体が白くなり、身体が沈んだ。


「ありがとうイーサン・グレイ。そして、さようなら」


 ばしゃん! と窓ガラスが粉々に砕けた。


 体の支えが失われる。

 一拍遅れて、風が叩きつけ、グレイは二十八階の窓から空中に放り出された。


(嘘だろっ!)


 外壁を掴み損ねると姿勢が一八〇度回転し、頭が下になった状態で落下していく。


(死ぬ、死ぬ!)


 視界の端で、整然と並ぶ窓が滝のように流れていく。

 咄嗟に身体を捻って腹を地面に向けるアーチポジションを取った。

 腕を伸ばし、通り過ぎていくバルコニーの欄干に手をかけた。

 ガン! と凄まじい重さがかかり、掴み切れず火花のような痛みを指に残して、グレイの身体がまた変な方向に曲がる。


 次は、外壁の飾りの部分を狙う。また弾かれる。


(このまま、少しずつ落下速度を落として——)


 甘い考えだった。


 三度目。外壁からせり出すように造られた展望ギャラリーの天井に激突。

 大きく弾かれ、グレイの身体は大空を舞った。

 風切り音が耳を裂く。下では低層階の屋根が段になって広がっていた。

 速度は落ち切らない。

 皮を削ぎ、汁を散らして坂を転がっていくトマトのように、身体が命ごと削れていく。

 何度も、何度も……、


「死、んで……たまっ、るかあああああぁあああああああああああああ!」


 そして、何度目かの衝撃の後、

 トラックの荷台に叩きつけられた。

 莫大な音と共に、荷台が段ボールのようにグシャグシャに潰れる。

 イーサン・グレイの意識が消えた。

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