ペントハウスの上客
午後一時三十分。
イーサン・グレイ、コリン・クロフォード、ホテル・ハービンジャー屋上ヘリポートに到着。
総移動距離一八〇〇キロ。二人はついに旅の終着点であるニューリードに降り立った。
コートの襟を掻き合わせ、ヘリポートを歩く。
冷たい風が吹きつける街。摩天楼が青空へ突き刺さるように連なり立っている。視線を落とせば、密集する高層ビルの只中に巨大な公園が広がり、その縁を黄色いタクシーが絶え間なく巡っていた。クラクションが重なり、凍てつく空気の中でも都市の熱が渦巻いている。
ヘリから降りたクロフォードが白い息を繰り返して、それらを一望する。
「わぁ、ここが大都会ニューリード……初めて来ました、テレビとか映画で見た通りビル群がすごいですね」
「小学生の作文か。浮かれたお上りさんモードは切り替えろよ」
ヘリが巻き起こす風で乱れた髪を整えるグレイ。
「田舎イジリに抗議したいですけど、急に身だしなみを気にして何なんです?」
「頼むからお行儀良くしてろ、感情に任せた行動は禁止だ、いいな」
「人を問題児みたいに言わないでください」
グレイは長旅の感慨に浸る暇もなく、文字通りシャツの襟を正した。
ヘリポートで待っていた体格の良いゴリラ顔の背広の男が「急げ」と落ち着き払った声で言って、階下まで案内してくれる。
「殿下はまだお部屋に?」
「御出発される頃だ、ん……ご学友をお連れしたのではないのか、そちらの婦人のことではあるまい」
「あ、初めまして、コリン・クロフォードと申します、公務員です」
「はい、どうもはじめまして……」
ゴリラ顔の男はキョトンとした顔で挨拶を返した。
「現地の協力者」
グレイが付け加えると男は納得したように頷いた。
「あ、あのイーサン? これはどういう状況なのでしょう。こちらのボディガードのようなマッチョな方はお知り合いですか? それに殿下とは」
「合ってるよ、みたいなじゃなくてボディガードそのもの」
「は、はぁ……それで、どなたを守っている……の、で……な、何ですかこれ⁉」
屋上との直通階段を下り曲がった先はホテルの最上階。南東を独占する一部屋だけの特別客室『クラウン・スイート』がある。トレーニングルームやマッサージルーム、シアタールーム等が併設され、あらゆるサービスがワンフロアで完結するよう作られた特別階となっている。
パターン模様のカーペットがエレベーター乗り場から部屋の扉まで一直線に伸び、暖色の間接照明が照らす二十メートルはあろうかという廊下の端には正装の男女が整列している。
安物のコート姿のグレイが廊下の真ん中をスタスタ進み、HPDのロゴ入りジャンパーを羽織ったクロフォードは辺りを気にしながらついていく。
「とととんでもなく場違いじゃないですか私たち……すっごい目で見られてますよ!」
「殿下は気にされないから大丈夫なはず……いや、ヤバいかな、うん、やっぱり本当はちょっとマズいな」
「あの、ですから、さっきから殿下って何のことを言っているんですか⁉ 悪党からダリアさんを救出するんじゃなかったんですか⁉ な、何故こんな厳かでリッチな空間にお邪魔しているんですか⁉」
「お前が知りたがってた疑問の答え、俺の本当の雇い主だよ……改めて言うけどマジで大人しくしてね」
二人は扉の近くで控えるように立つ。
そして、——豪奢な装飾の重い扉が開かれた。
扉の奥から現れたのは淡い水色のドレスの少女。
陶器のような白い肌、エメラルドのように美しい瞳、光の糸を集めたような金髪をまとめ、立場を表す頭頂部のティアラが輝く。
ハーネリア王国、現国王の唯一の孫にして王位継承順位第一位。未来の女王、フリスカ王女である。
たおやかな微笑みは王族としての気品と落ち着きを湛えつつ、十六歳の年相応の幼さを残している。
背筋を正して立つグレイに、フリスカ王女はすぐに気が付いたようで少女のように駆け寄った。
「イーサン・グレイ! 来てくれたのですね」
「ご無沙汰しております、フリスカ様。お健やかにお過ごしのご様子、何よりでございます。こうして再びお目にかかれることを嬉しく存じます」
グレイは腰を折って礼をする。
「固い挨拶は不要ですよ。幼い頃から私のワガママに付き合ってくれるあなたに、今さらそのような態度を取られるとかえって面映ゆいものです。勉強に嫌気がさして、何度あなたの背に乗って庭を走ってもらったことか」
「そのように仰っていただけるとは、身に余る光栄でございます」
丁寧にお礼を述べると、フリスカ王女は寂しそう顎を引いて少しだけ目線を下げた。
「殿下のワガママを一つ叶えると恩を一つ返せた気がいたします。私には王室に返し切れない恩がありますので……お美しくご立派になられたとしても、どうかこれからもワガママな暴君でいてください」
「ふふ、うふふ! そうね、振り回されるあなたにとって私は暴君ね! イーサン・グレイ。私にそんな軽口を言う者はあなた以外いませんよ」
フリスカ王女はお腹を抱えて笑った。
その様子を見た周囲の従者達がギョッとした顔をするが、グレイも王女も気にしていない。
「殿下のワガママもとい、願いを叶えることが私の役目」
恭しく言うグレイにフリスカ王女の顔がパッと明るくなる。
「つまり、あなたにお願いした件は……」
「少々遅れましたが、この国のご友人をお連れいたしました」
報告すると、フリスカ王女は落ち着きなく辺りを見回し始めた。
「まぁ! まぁまぁ、どこに、ダリーはどこにいるのです? 私、あの時のことを謝らなければ、とずっと後悔して」
「既にホテルに着いてございます。ですが再会は後の方がよろしいかと存じますよ」
「そうね……これからスピーチがありますからね、分かりました。すぐにでも会いたいけれど、まずは私の仕事をします」
「はい、それがよろしいかと」
「時にイーサン、そちらの美しい女性を紹介してくれますか」
宝石のような瞳をクロフォードに向けた。
「申し遅れました。こちらはコリン・クロフォード。ホミアの警察官で、今回の護衛を務めていただきました」
「まあ、そうでしたか……。お姿を拝見すれば、どれほど過酷な道のりであったか、言葉にせずとも伝わってまいります。ここまでお力を尽くしてくださったこと、心よりお礼申し上げます」
鈴が転がるような声でフリスカ王女は言った。
だというのに、礼を言われたクロフォードはいつまでも口を半開きにさせている。
「おい、何か言え。いつまでも馬鹿面晒すな」
肘で小突くとクロフォードはハッとして、
「あ、あわわわわ、ふ、フリスカ王女ぉぉおおっ⁉ え、嘘、テレビで見る以上に可愛いー! ねぇほら、イーサン! 肌キレー! 瞳もキレー! 髪ツヤツヤ! ジュエリーの輝きに全然負けない本体のクオリティの高さですよ!」
「本体とか言うな、指を差すなっ」
「全身から溢れ出る気品、オーラと言うのでしょうか⁉ こんな人間がいるんですねー、普段は汗臭い体育会系の同僚と犯罪者に囲まれているので、世界が広がった感じですよ! へぇ~、でも思ったよりも小さいですね、ダリアさんと同じくらい」
何度も頷くクロフォードはグレイの肘に辺りを持って飛び跳ねてはしゃぐ。
「も、申し訳ありません殿下! 殿下に拝謁する喜びで少々取り乱しているようです! 言ったよね⁉ お行儀良くしてろって言ったよね⁉ 目の前におわすのは本物のフリスカ王女なの! テレビ見てるんじゃねぇんだぞ、正気に戻れ!」
脳が情報を処理しきれなかったらしい。目の前の光景が現実であると認識できていないようだ。
「ふふ、あははは! イーサン・グレイ! あなたにこんな愉快なお友達がいたなんて、ぷふっ、緊張していたのだけれどお二人のおかげでリラックスしてスピーチに臨めそうです。平和のスピーチを怖い顔でしたって説得力がないものね」
側近が耳打ちすると、フリスカ王女はスっと落ち着いた表情を取り戻した。
「それではまた後で。ダリーに会うのを心待ちにしています」
そう言って、大人数の従者に囲まれながらフリスカ王女は式典へと向かっていった。
「サインとか貰えませんかね?」
「いい加減にしろ田舎娘!」
両肩を掴んで揺さぶると、ようやくクロフォードの脳は全ての情報処理を終えたようで、顔から血の気が引いていく。
「あ、あれ? もしかして今の本物の王女様でした? 私は何か粗相を……?」
「そうだよ、時代が違ってたらギロチンものの失礼かましてくれちゃってたよ」
「あぁ、そんな……冷静でクールな頼りになる警察官という私のイメージがまた揺らいで」
「初めからねぇよ、そんなイメージ」
膝を付いて落ち込むクロフォードを一旦無視して、グレイはゴリラ顔のボディガードを呼び止めた。
「王室庁の職員は館内を自由に動けるんだな?」
「そうだが、殿下はもうこの部屋には戻られないぞ。ダリア・ライツ様を連れて来るのなら地下の搬入口へ。正面玄関はマスコミで騒がしいからな、安全上の理由で殿下は裏口からご出発される予定になっている。これを」
ハーネリア内閣府発行のIDカードを受け取る。今より若いグレイの顔写真が入っている。
「ヴァルター・ライツ氏が契約している部屋は二二〇八、北側だ」
「助かる、式典が終わるのは午後四時だったな。必ず間に合わせる——」
「待て。お前らは公に存在を認められず俺達警察庁でも実態を把握していないブラックボックス、何をしようとしているかは聞かないし、調べようにもどこからかの圧力でストップがかかることは目に見えている……だがな、両陛下や王族各殿下の身に危険が迫るようなことがあれば、俺はためらわずお前らを撃つ」
「構わねぇよ。あんたらはロイヤルファミリーの安全を守るのが仕事で、俺は王のワガママを叶えるのが仕事。責務を果たそうとしたプロが二人いた結果そうなるのなら、大いに結構じゃねぇの」
「……二十二階から二十九階はコンドミニアムとして売り出し中、大半は改装中で一般客は入れず防犯カメラもない、立ち入り業者も今日だけは出入り禁止にしてある。フリスカ様を泣かせるな」
「こっちは喜ばせる為に命かけてんだ。泣かせたらギロチン台に自分から歩いて行くぜ」
「大したスパイだ」
グレイはクロフォードの手を引いて階段へ向かい、ボディガードはフリスカ王女の元へ急いだ。




