ホテル・ハービンジャー
経済の中心地ニューリード。
白亜の外壁が古き城館を想起させる三〇階建て高層ビル。市内に数多くある宿泊施設の中で最も格式が高く、歴史が深いホテルがここ『ホテル・ハービンジャー』である。
そのとある一室にて。
ストライプ柄のスーツを着た壮年の男は、自らをジョンと名乗った。
「それにしても良い部屋だ。成金特有のギラギラした雰囲気がなく洗練されている。こういうセンスは本物の金持ち一族に生まれると自然に身に着くものなのかな? このテーブル一つとっても値が張るものとお見受けするが、嫌味ったらしさがないのが良い。まぁこれはデザイナーの意向だろうがね」
ジョンはマホガニーの一枚板テーブルを指の甲でコンコンと叩いた。
正面に座るヴァルター・ライツは唾を飲み込む。
無論、テーブルに並んだ昼食のステーキに刺激されたのではない。太った坊主頭の男によって首の後ろを掴まれているのだ。
「あらゆる意味で君が羨ましいよミスターライツ。私はこの国を離れなければならないというのに、君は変わらず高級車を売り、こういう部屋で家族とパーティをするのだろう?」
ヴァルターは上等なスーツに脂汗を垂らした。
「た、頼む、娘には手を出さないでくれ」
「怯える必要はない。ダリア嬢は最低限の拘束で丁重にお連れしたのだから、そうだな? ハンマー?」
「……はい」
ハンマーはテーブルに着く二人を見下ろして言った。
「どこが丁重なの⁉ ずっと同じ姿勢で腰もお尻も痛かったのに! そこのハンマーも喪服の女の人も話しかけても無視するし最悪なドライブだった!」
壁際で手を縛られた状態で立たされたダリア・ライツが抗議の声を上げた。
隣に立つ喪服の女のベールが微細に揺れる。
ジェルで固めた白髪混じりの黒髪を苛立たし気に撫でるジョン。
「つまり信用だよ。金を用意すれば私共は決してダリア嬢に危害は加えない、というね」
めちゃくちゃな交渉、悪党の論理。だが、暴力が前提であれば絶対の理となる。
「だ、だが、現金で五〇〇万デイルなどすぐに集められる額ではない!」
「いいや集められる。一時間後に始まるハーネリア、合衆国修好七十年記念式典。二時間の予定だそうだな。併せて三時間、銀行も近い。超富裕層のあなたなら容易いはず」
ジョンは立ち上がりジャケットのボタンを閉じる動作の中で言う。
「ミスターライツは仕事を続け、愛する家族と共に幸せな生活を送る。これは人生のちょっとした隙間の出来事。合衆国を去る哀れな男に気持ちばかりの寄付をするという簡単な話さ。駅前で環境活動家が持つ募金箱に気まぐれに小銭をチャリンと放るようなものだ」
「わ、分かった……分かったから、娘はどうか無事に返してくれ……っ」
「勿論、あなたとは比較にもならないが私とてビジネスマンだ。契約は守るよ——あぁそうそう、式典には予定通り出席するように」
「な、なぜ」
「ハーネリアの王女が来ているとあって式典が開かれる大広間は厳戒態勢でね、この部屋に来るだけでも苦労したよ、やはりダリア嬢を連れてきて良かった。私はあなたの客人という扱いらしいぞ」
ジョンはテーブルに手を付いて、
「招待されたあなたがいないとなれば余計な動きがあるかもしれない。金は部下なり側近なりを使って用意させればいい……では」
ステーキを一切れ摘まんで口に放り込んだ。
「んー美味い、やはりこの国を去るのは惜しいな」
舌なめずりをする仕草は獣のようで、彼のハイエナの如き狡猾さと獰猛さをそのまま表していた。
首を解放されたヴァルターは震える脚で立ち上がり、娘の姿を目に焼き付ける。これが最後になるかもしれないという恐怖が脳裏を掠めた。
「ダリー……愛してるよ」
娘はこんな状況だというのに実に穏やかな声で言う。
「私も愛してるよパパ。でも絶対大丈夫、イーサンが助けに来てくれるから」
「……? イーサン?」
「え……? イーサン・グレイだよ! これまで私を守ってくれた探偵の! パパが依頼したんでしょ⁉」
「……探偵? 確か、ダリーを迎えに行ってくれるのは王室庁の職員だったはずじゃあ」
「私としても彼の正体は大変気になるところだが、ゆっくりしていていいのかね?」
「っ! 金は必ず集める、約束通り娘は無事に返してもらうぞっ」
ヴァルターはまた娘を見るが、ジョンの舌打ちに気が付くと慌てて部屋を出て行った。
ジョンがハンマーに視線を移す。
「さて、ダリア嬢が言う通り、グレイ君に邪魔をされてはたまらない。警戒しろハンマー」
「……」
「どうした、傭兵崩れの殺し屋のくせに自信が無いのか? お前のボスのスパークを殺され臆したか? 高い金を払って雇っているんだ、その分の働きはしてもらうぞ! さっさと行け! そこの陰気臭い女もろともぶち殺すぞ!」
「……ウィドウはダリア・ライツを見張ってくれ。オレが出る」
拳を握り締めたハンマーが歩き出す。
喪服の女が怯えた表情で頷いた。
×××
眠り粉で強制的に眠らされ、ライツを連れ去られ、起きたら朝で、必要だったのか微妙なカーアクションをぶちかまし、北上を続け、現在午前九時。
『ダリアさんを連れて行く期日があるのは分かります……! で、ですがこれは、いくらなんでも突飛というか、極端ではないでしょうかっ!』
『俺もそう思うさ! でも仕方ないの! 陸路じゃ間に合ないからこれしかねぇの!』
『だ、だからって! こんなにすぐヘリコプターを手配できるものなんですかっ⁉』
エンジンとプロペラの爆音が響き渡る。
上空六〇〇メートル、雲一つない青空を一機のヘリコプターが飛んでいた。
ヘリの後部座席にはヘッドセットを装着したグレイとクロフォードが並ぶ。
『依頼人のヘリがちょうど待機中だったのを思い出してな!』
『そんな説明で納得するとでも⁉ 言えない事情があるんだと思って兄以外のことは聞きませんでしたけど、イーサン! あなたは何者なんです⁉』
『パットビルの駅でも言ったろ! ニューリードに着いたら分かる!』
『約束ですよ⁉ また煙に巻こうとしたら容赦しませんからね⁉』
グレイは一層気を引き締め、機内の床に置いたアタッシュケースを取る。
中には自動拳銃が一丁とマガジンが二つ入っており、それらをズボンとベルトの間に突っ込んだ。
『私も戦います! 列車で拾った方を貸してください!』
『ダメ! お前に持たせたら今度こそ流れ弾で誰かが死ぬ!』
『私たちは相棒じゃなかったんですか⁉』
『極端になるなよ、お前を信頼してるからこそ戦闘以外のことを頼みたいんだ』
クロフォードは疑うように目を細めて「続けて」と言った。
『確かに俺たちはこれから誘拐犯がいるホテルに殴り込もうとしている、だが別に奴らを皆殺しにしようってわけじゃない。ダリアを取り戻せばいいわけだ』
『それはそうですね』
『俺が奴らを脅してダリアを助け出すから、お前は彼女を連れてすぐに逃げてくれ。時間を稼ぐだけなら俺一人で十分だ』
ダリアを保護する役が必要だと説明するとクロフォードは了承した。
『それなら納得ですが……その厳重警備の中、イーサンはどうやってその拳銃を持ち込むつもりですか?』
『問題ない、俺は武装したまま中に入れる』
ヘリはニューリードへ向かう。




