決意の急転回
クロフォード達の部屋に荒らされた様子はない。鍵をこじ開けた形跡も、ドア横のガラスが割られているようなこともない。ただ、ライツの姿だけが消え失せていた。
「わ、私が眠っている間にこ、こんな……こんなことって」
狼狽するクロフォードに「落ち着け」と言うものの、グレイもかなり動揺していた。休んでいる間に行方不明になるとは思いもしなかった。
「どこかに出かけたってことはないか? アイス食べたいとか何か言ってなかったか?」
「い、いえ特には……それにあの所持金ではどこかに遊びに行くことも出来ないはずです」
クロフォードはそう言うが、部屋で眠っていたところを強引に攫われたと考えるには無理がある。隣のベッドにいたクロフォードが気づくはずだ。
「ダリアは何かの為に部屋を出た、その隙に攫われたはずだ……クソ、勘が鋭いんじゃなかったのか、危険を承知で何故部屋を出た⁉ 飲み物と軽食は渡してあっただろう!」
言ってグレイはすぐにピンときた。
来た道を引き返し受付へ走る。
「どうしたんですか⁉」
「電話だ! 父親に電話したはずだ!」
ライツはフリスカ王女に会いたがっていた。父親にその相談をすると言っていた。
奥に引っ込んでいた受付の男を叩き起こし、少女が電話を使っていなかったか、と問いただすと、あっさり認めた。
「やっぱり……」
「——ったく、こんなクソ朝早く何なんだよ……さっき眠ったところなんだぞ」
「「朝……」」
グレイとクロフォードは声を揃えた。
そしてようやく、真っ暗だった空が白んでいることに気が付いた。
「おい……今、何時だ……?」
「あぁ? 午前五時ジャストだろうが、勘弁してくれ全く」
「五時⁉ 五時だと⁉ 俺たちは半日も眠ってたのか⁉」
「知るか!」
腕時計は確かに午前五時を示していた。クロフォードのも同様だ。
どれだけ疲れていたとしても不眠症のグレイが半日も眠りこけるなどあり得ない。
汗が吹き出し、手が冷たくなっていく。視界が歪んだような気がした。
「その、私たちが連れていた女の子が電話していたのは何時頃でしたか⁉」
「……ちっ、あぁ~、昨日の晩飯くらいだったか、午後七時くらいだ」
「そ、そんなに前……ではもうダリアさんは遠くに連れさられて……」
不自然な睡眠。グレイはこの現象を知っている。つい最近目にしたものだ。
「お、おいおい、誘拐か? け、警察に通報すんならここの電話使えよ。まさかあのデブ野郎と喪服の女が犯人かぁ? 夫婦って感じでもねぇし、怪しいと思った——ぐえっ」
反射的に男の胸倉を掴みあげる。
「そのデブって、彫の深い顔した坊主頭でコートを着ていなかったか⁉」
「な、何」
「早く答えろ! ヤニだらけの歯ぁでも叩き折られたくないだろ!」
「そ、そそそそうだよ! 厳つい顔した黒いコートの男だよ! 別に隠してなんかねぇよぉ」
グレイは男から手を放す。
ザ・ハンマー。
「列車で襲ってきた男だ。まだあの喪服女抱えてダリアを狙ってんのか」
「あの時の眠り薬! またあれを使って私たちを⁉」
「換気口から注入されたのかも……俺たちは効きが悪かったからな、用量増やしてたっぷり眠らされたってわけだ……クソッ! やってくれるな傭兵崩れが!」
壁を殴りつける。
受付の男が悲鳴を上げたのを見て、グレイは深く息を吐いて苛立ちを鎮めた。
「朝から悪かったな、オヤジ」
「け、警察呼びましょうか?」
「いやいい、居場所は分かってんだ」
ニューリードのホテル・ハービンジャー。
半日。あまりにも出遅れてしまった。
「い、イーサン……す、すみません、わ、私がもっとちゃんと警戒していればっ」
「コリンのせいじゃない。油断したのは俺も同じだ。それに謝罪は必要ねぇよ」
何を言っているのか分からないといった顔をするクロフォードの両肩を掴む。
「ダリアは生きてる、身代金の交渉の為に生かしておく必要があるからな。分かるか⁉ まだ全然なんとかなるんだよ! 奴らから奪還すりゃ俺達の勝ちだろうが! そうだろ⁉」
「は、はい!」
思わずといった感じでクロフォードは背筋をピンと張って敬礼した。
クロフォードに問いかける形だが、それはグレイが自身に言い聞かせる作業でもあった。言葉にすることで意志を再確認したのである。
どれだけのピンチでも終わっていないのなら諦めることはできない。動揺を手なずけ、緊張を覚悟に変える。
二人は決意を胸にソキウスに乗り込む。
運転はクロフォードだ。
エンジンが豪快にフケ上がり、まさに発進しようとした時。黒のセダンが出入口を塞ぐように進入してきた。わざとらしいほどゆっくりとスーツの男が運転席から降りてくる。
「何者でしょうか」
「警戒しろよ」
クロフォードは頷いて、ハンドルを握りなおす。
そして、スーツの男がジャケットの内側に右手を突っ込んだ瞬間、クロフォードはアクセルを床まで踏み込んだ。
「え、ちょ——」
獣の咆哮のようなエンジン音がまだ暗い街に轟く。
直後、けたたましい衝突音が全てを塗り潰す。
躊躇なくスピードを上げたソキウスがセダンのフロントフェンダーにぶち当たる音だった。しかも、スーツの男を跳ね飛ばして。
「おまえええええ⁉ 何してんだあああ! まだアイツが何者か分からないだろうが!」
「懐に手を入れたのを見ましたよね⁉ あれ絶対に拳銃ですよ! ジョンの手先に決まっています!」
ゼロヨンレースみたいに車はぐんぐん速度を上げる。
「俺たちを消すつもりなら眠ってる間にサクッとやっちまうはずだろうが! そうせずに目の前に現れたのには何か理由があるって、普通思うだろ! 何勇ましい顔してぶっ飛ばしてくれちゃってんの⁉ お前そういうところあるぞ! 常識人のフリして一番イカレてるから!」
「誰かさんの極端な行動に影響されたのかもしれませんね!」
犬歯を見せて笑う横顔は善良な警官らしくない極めて暴力的な笑顔だった。クロフォード巡査は度々グレイの想像を超える女性警官なのだ。
「ごめんなさいアラン隊長! あなたの妹はこの旅で悪徳警官に成り下がりました! どうか地獄で笑っていてください!」
「兄を勝手に地獄行きにするな!」
クロフォードは容赦なく速度を上げ、夜気が残る冷えた空気を切り裂いていく。
ミラーには三台の黒塗りセダンが迫っているのが映っている。
「えらい自信満々だけども、切り抜ける自信はあんだろうな」
「当たり前です。二度寝していても構いませんよ」
「渋いじゃねぇか、信じるからな」
クロフォードがハンドルを切った。
無数のクラクションに威嚇されるのも気にせず、しかも鼻歌交じりに突破していく姿はベテランドライバーどころか、歴戦の運び屋といった頼もしさである。
(こんな危ねー奴が地域課でいいわけねぇだろ! すぐに転属しろ!)
フルスロットルで長距離トラックの群れを躱して街の外れの丘まで突き進む。
開発が始まったばかりの土地のようで人家はなく、ただの禿げた丘という有様だ。
「あばばばば! こ、こんな何にもないところに逃げ込んで大丈夫か⁉」
「はい、既に二台撒きました。この時間はトラックドライバーが多くて助かりましたね」
高速でカーブに進入。それによるGに振り回され、カーブの逆方向へ首を引っ張られる。
「ほ、本当だ、いなくなってやがる……あと一台はどうする」
クロフォードは無言で進行方向を指す。
左に曲がるピンカーブの先は崖。防護柵はなくお気持ち程度のポールが数メートル間隔で突き立っているだけだ。
そこ目がけて速度を上げた。
「おいおいおいおいおいおい!」
カーブに突入する直前、車体の尻が大きく振れる。
クロフォードは高速でハンドルを進行方向の逆に回した。
視界も車体も丸ごと横滑りする。
エンジンは悲鳴を上げ、地面とタイヤが擦れる大絶叫が耳をつんざく。
「落ちろぉぉぉっ!」
先を走るソキウスが左回りの定常円ドリフト。追手の車はすぐ後ろに付いているのでブレーキは間に合わない。そして右側は崖。
前を走る人が急に立ち止まって回し蹴りを放つようなもので、
黒のセダンはソキウスのタックルをまともに浴びた!
大質量の衝突、火花が散り、黒のセダンが崖の向こうに消えて行った。
静寂に響くエンジン音。その一瞬の後、崖の下から届くセダンのボディがひしゃげる音。
何度も跳ねているのか徐々に遠ざかる破壊音にゾッとした。
「地獄行きです」
崖下から立ち上る黒煙と炎を見て、クロフォードはハードボイルドに決めた。
グレイはトラックの隙間を縫う走行で内臓をシェイクされた上に、右側面からドリフト体当
たりしたせいで酷いむち打ちと脳震盪を食らった。
最低の気分だ。
「まずはゲロ吐く……苦情はその後」
窓を下げて盛大にぶちまけた。




