弱き者の告白
アランは年上の兵士だった。面倒見がいい兄貴肌で訓練所のリーダー的存在だった。グレイは彼を中心とした部隊に配属され、軍に在籍した三年間のほとんどを共に過ごした。
「どんなきつい訓練でも仲間を励まし続ける奴だった。常に前向きでよく笑い、冗談を言った。どんな状況でも隊を引っ張るカリスマだったよあいつは」
アラン達と駆け抜けた日々。危険と隣り合わせの極端な日常。今でも克明に思い出せる。
「で、では初めから私がアランの妹だと気づいていたのですか?」
「あぁ、ジェイクに紹介された時はマジで驚いたぜ、拘束衣で縛られてたからじゃなくてな」
「あの、フェリー警部補は」
「ジェイクも同じ部隊だ、歳が近い分アランとよくつるんでたな」
「そ、そんな、私にはそんなこと一言も……」
「人には言えない部隊だった、話したくても話せないことが多すぎたんだ」
言って胸がチクリと痛んだ。言い訳に過ぎない。
「で、でも一言くらい、知り合いだったって教えてくれてもいいはずでは……っ、私も両親も軍の同僚や友人を一人も知らなかったんですよ。ある日、軍服を着た軍人二人が玄関先で戦死報告をしたっきり。アランは、遺体の一部どころか遺品の一つも帰ってこなかったのに……」
グレイは目を伏せた。
アランには帰りを待つ家族がいることも、愛する妹がいることも知っていた。
知っていたのに、誰も真実を伝える責任を果たさなかった。フェリーもグレイも。
「何の慰めにもならねぇだろうが、これを——」
オイルライターを差し出した。
「あいつから貰ったものだ」
受け取ったクロフォードは両手で握った。
「あ、兄がタバコを?」
「家族の前では吸わなかったか? 戦場は極限のストレス環境だからな、俺達といる時はいっつも咥えてたよ。今のジェイク以上の愛煙家だと思ってた」
戦争が終わり部隊は解散、作戦の全てが機密事項となり一切の口外を禁じられた。
「お前たち家族には打ち明けるべきだった。せめて世話になったの一言だけでも言うべきだったのに。それをしなかったのは俺達の……いや俺の心が弱かったせいだ……伝える勇気がなかった、アランの死と向き合うのが怖かったんだ」
グレイはまだ長い吸い殻をバケツへ投げた。
「すまなかった」
作戦の詳細は伝えられなくともアランのことを話すだけならいくらでもできたはずだった。
「アランは……俺が提案した無謀な作戦のせいで死んだ」
弾薬庫の爆破作戦。アラン率いる爆破班と合流地点で彼らを拾い上げる回収班に分かれ、作戦は決行された。
目標施設である体育館は大学敷地内に位置し、大学関係者であれば正規の軍施設と比べ容易に接近できた。学生や職員に扮した爆破班が大学敷地内に入り、体育館の複数箇所に時限爆弾を設置。速やかに離れ爆破を確認。
爆破は予定通り完了。暗闇の街に猛火の花が咲き、駐留する軍は大混乱に陥った。
あとは事前に決めておいたポイントで回収班と合流し、街を抜け、山を抜ける。
——という計画だった。
回収ポイントは巨大なスラム街の一角、占領下となっても尚、軍が放置したままにしていた無法地帯。合流にはうってつけの場所だった。
グレイ達回収班は電気工事業者に偽装したトラックで回収ポイントに向かっていた。元々、日に数回の巡回があるだけの地域でもあったが、確実を期す為、現地レジスタンスに周辺を哨戒する兵の監視を任せていた。
「異変があればすぐに報告が来るはずだった」
「そうはならなかった……?」
「爆破の影響が想定をはるかに超えた」
スラムの住人達が暴徒と化した。
市民の中にあった戦争の不安感や戦時体制下の抑圧された生活への不満が暴発した、体育館の爆破に端を発した集団ヒステリーとも言える暴動はスラムを中心に瞬く間に街中に広がった。強盗、強姦、放火、殺人、ある意味では最前線を凌ぐ地獄の様相を呈した。軍は炎上する弾薬庫の対応に追われ、警察だけでは市民の混乱を抑えられなかった。
いくつもの銃声、助けを求める叫びが無線機から聞こえた。各ポイントで敵兵の動きを警戒していたレジスタンスからだった。
グレイ達回収班が異変に気付くも既にスラムの中。トラックの機材を狙った暴徒に道を塞がれてしまった。威嚇射撃で暴徒を追い払うも、回収ポイントに到着したのは予定より五分遅れからだった。
そこで目にしたのは絶望の光景。
「治安部隊が住民を拘束し始めていた。拘束される大勢の中にアラン達爆破班もいたんだ」
グレイは更にミスを犯した。
「考えるよりも先に身体が動いた。俺は装甲車にトラックごと突っ込んでた」
兵士の群れを轢き飛ばしたことで即座に戦闘が始まった。だが潜伏の為、まともな武器は少なく、弾丸の雨がトラックを襲い、回収班四名を乗せたトラックはあっという間に包囲されてしまった。
軍に対する攻撃、それは中央政府に対する反逆行為に他ならない。潜入した特殊部隊であろうとなかろうと待ち受けるのは死刑のみ。
包囲が徐々に狭まり、ここまでかと思った時、アランが叫んだ。
逃げろ! と。
一瞬の隙をついてバッグから予備の爆弾を取り出していた。
グレイが叫ぶ間もなかった。
「敵兵を巻き込んで、アランは爆死した」
起こった出来事を前にグレイは動けなかった。
同乗していたフェリーがアランの合図で走り出していた爆破班二名をトラックに載せ、ハンドルを握ったことで作戦地域から離脱できた。
これがアラン部隊最後の作戦である。
以来、グレイは強い罪悪感と後悔を抱えて生きてきた。
「暴動が一瞬で広まったのは、最初の爆発を見た一部のレジスタンスが混乱に便乗して街のあちこちで爆破工作を行ったのが原因だと後になって知った……」
レジスタンスとは潜伏開始から半年もの間協力関係にあり、彼らを制御できていると思い込み計画に組み込んだ。また、任務達成と脱出を優先し、脱出の際のリスクから意図的に目を逸らした。そして計算も無く敵兵に突っ込んだ己の愚行……。
「俺の極端な選択が招いた結果だった……お前たち家族に謝らなくちゃならなかったのに……すまない」
グレイが話し終えると、クロフォードは胸の前でオイルライターを握り締めて言う。
「……アランは仕方なくその作戦に挑んだんですか? 無理やり従わされて死んだのですか?」
作戦を提案した時の彼の顔はよく覚えている。
希望を忘れていない決意に満ちた表情だった。死に行く者のそれではなかった。
「最期まで俺の作戦を支持していたよ……慎重派だった奴らとの間に入って説得まで」
グレイだけではない。部隊員全員に負い目がある。
作戦を推し進めた負い目、作戦を否定しきれなかった負い目、アラン一人を犠牲にしてしまった負い目、そして生き残った負い目。
逃げたのだ。アランが死んだ事実を抱えたまま、秘密保全契約を言い訳に自らの責任から逃げたのである。
「……何ですかそれ」
呆れたような静かな声が鼓膜を震わせた。
怒って当然、殴られても文句は言えない。
「兄が死んで何年経ったと思っているんですか、今さらどうして」
「……すまない」
腹の底が重たい、胃の中身が飛び出しそうだった。
「どうして……どうして、イーサンが謝るのですか……っ」
震える声に顔を上げる。
クロフォードの頬に雫が伝っていた。
抑えていたものが一気に流れ出たように目尻から溢れる。
「……謝ってほしいわけではありません、兄が何の手がかりもなくただ死んだ、と言われて……私たち家族はそれを受け入れるしかなかった……」
クロフォードは流れる涙を拭わずに、ブラウスが濡れるのもそのままに、兄によく似た青い瞳を真っすぐ向ける。
「兄がどう生きて死んだのか、それを知ってくれている人がいると分かって……安心しました……ありがとうございます」
「ありがとう……? 何言ってる、俺はお前の兄貴を死に追いやったんだぞ、礼を言われるような人間じゃねぇだろうが」
「兄が沢山の人に慕われていたと分かったんですよ? 確かに兄は死んだのでしょう、でも、少なくとも孤独で無駄な死ではなかった。それが分かっただけで嬉しいんです、安心しました。教えてくれてありがとうございます、イーサン」
敵わない。
この兄弟には敵わない、とグレイは思った。
アランは豪胆かつ豪放磊落、リーダーシップがあって人を惹きつけてやまないカリスマ。妹とは全くと言っていい程似ていない性格。それでも、この兄妹は似ている。この兄妹はどこまでも優しい。
文字通り命を懸けて人を助けた兄と、その無能な仲間だった男を責めない妹。
この兄弟の優しさに救われてばかりだ、とグレイは思った。
「俺を許していいのか、今の今まで隠れていた卑怯者だぞ。お前には俺を罵倒する権利もぶん殴る資格もある、俺はそうされて当然の男だ」
クロフォードはグレイの手を取り、ライターを握らせた。
柔らかくて暖かい手だった。
「あなたは卑怯者なんかじゃありません!」
クロフォードは力強く言った。
「俺がもっと慎重だったら、極端にならず、いろんな可能性を検討していれば死ななかったかもしれないんだぞ」
「アランは自らの意思であなた達を守った……それが答えなんです。兄は恨み言を吐いたんですか? 状況を作ったのはお前のせいだと責めたんですか? 違うでしょう! アランは仲間に生きていてほしかった、あなたに生きていてほしかった! 兄の命を懸けた最後の選択を馬鹿にしないでください! 私のヒーローは選択の責任を誰かにおしつけるような人ではありません! あなたが勝手に責任を背負うのは兄への侮辱です!」
クロフォードは大粒の涙を零して叫び、詰め寄る。
アランが死んだのはアランの責任であって、その選択にグレイが罪悪感を感じるのはアランを貶めることになる。
そう都合よく解釈していいのだろうか。自分に責任は全くない、と呑気な顔して生きていていいのか。
そんな風には到底思えない。きっとこの先の人生で罪の意識を完全に肩から下ろす日は来ない。一生付き合い、償いを求め続けるのだろう。
だがそれでもいい。
もう十分だ。自分はもう十分に救われている。
優しい二人のクロフォードに救われているのだ。
「真に兄を想うのなら、自分を責めるのは止めてください……もうこれ以上、誰にも兄の死で苦しんでほしくない……これはお返しします。私に喫煙習慣はありませんし、タバコを吸う兄の姿も知りませんから。これはイーサンが持っていてください」
グレイの手を取りオイルライターを握らせたクロフォードは、グレイの肩の辺りに頭を預けた。
抱き留めるように背中に手を回すと、じんわりと温かい。
複雑な感情で胸がいっぱいになる。
「——でも、私の泣き顔を見た罰は受けてもらいます……」
コートに顔を埋めたままクロフォードは言った。
「お墓参りに来てください……といっても土の中に兄はいませんけど」
「それが、俺の罰?」
「ウェストプラトーは何もない田舎です、今の時期は寒いですし、両親は鬱陶しいくらい根掘り葉掘り色んなことを聞いてきます、それにニューリードよりも遠いです」
「……分かった。罰は受けないとな」
「はい、しょうがないので私が案内……見張っていますからね」
グレイは友人の妹の頭をそっと撫でた。
肩の荷は下ろせないが胸は軽くなった。つかえがとれたように呼吸が楽になった。
アランがいたから今がある。彼のおかげで生きて帰れた。
彼が愛する妹が目の前にいる。
人の死に償いなどない。死は取り返しがつかない。
だが、恩返しならできるかもしれない。
依頼は必ず達成する。ライツもクロフォードも皆が無事に日常へ帰れるように。
今度こそ守り抜いてみせる。
それこそが恩返しだと信じて。
覚悟は既にできている。
——しばらくして、
モーテルの部屋のベッドに横たわるグレイはドアを叩く音で跳ね起きた。
ドアを開けると、汗だくのクロフォードが立っていた。
「ダリアさんが……っ、ダリアさんがいないんですっ!」
眠気は瞬時に吹き飛んだ。




