喫煙所の大人たち
受付の端には一通話一分三デイルと張り紙された家庭用電話機が設置され、その隣には水の張ったバケツが床に置かれていた。
「おいオヤジ、これは何だ? この時代に痰壺じゃねぇよな?」
「あぁ? どう見ても喫煙スペースだろうが、そこらに吸い殻捨てるんじゃねぇぞ」
「今切らしてる」
「欲しけりゃ売ってやる、ひと箱八デイル」
「ぼり過ぎだ、ったく、五デイル出す」
「まいど」
クシャクシャの紙幣を一枚投げて薄黄色い歯を見せる受付からタバコを受け取る。
取り出した一本で箱を叩いて葉を詰め、いつものライターで火を点けた。
「……はぁ」
煙を吐き出すと、寒いバスルームの暖かい湯船に浸かったように足先から脳天までの緊張が和らいだ。
寿命を加速させ一時の気力を得る愚かな行為だと認識しつつも、だからと言って徹底的に拒絶するにはあまりにも魅力的だった。
「ぷひ~……」
特に仕事に区切りついた時の一服は何物にも代えがたい。
「休憩でこんなに旨いのはヤバいって、じゃあ仕事終わりの解放された一服はどうなっちゃうの? 旨すぎて気絶するかもしれん」
満たされたグレイが煙の輪っかをぷかぷか浮かべて遊んでいると、
「何タバコに話しかけてるんですか気持ち悪い……というか、喫煙者だったんですね」
クロフォードがポニーテールを揺らしてやって来る。意識が高そうな彼女が喫煙するはずもないのに、グレイの右側に壁に背を預けるようにして並んだ。
白のブラウスの上に羽織ったナイロンの上着が目を引く。
「余計なこと喋んなよ、貴重な一服だ」
「タバコは身体に悪いんですよ、肺ガンのリスクが——」
「喋るなって言ったろ。アルコールにジャンクフード、魅力的な毒と上手く付き合ってこそ理性ある立派な大人になれると言うものだ小娘、よって俺がたまにタバコを吸っていてもそれは嗜みの範疇で咎められる謂れはないのだ。はぁ、んで何の用だよ? 母ちゃんじゃあるまいし喫煙を叱りつけにきたんじゃねぇだろ?」
「それはそうなんですけど……」
言葉にキレがない。「妙に言い訳臭いのは良くないことをしている自覚があるからでは?」くらい言い返すところだ。せっかちでマジメな彼女らしくもない。
グレイは誰もいない左側に煙を吐いた。
「お前もか」
「?」
「俺は別にスクールカウンセラーでも神父でもないんだけど、話したいことでもあんの?」
「それは、はい、そのつもりで来ましたけど……ん、ダリアさんから何か聞きました?」
「何てことはないダチの話をちょっとな」
「私も聞きましたよ、あなたが後部座席で気絶していた夜中に。私が先に相談されたんです」
「何張り合ってんだ……。はぁ、気丈に見えてもあいつはやっぱり十代なんだな。当たり前の友人関係で悩み、若く過剰な想像力で勝手に不安を大きくしてる。抱えきれないから誰かに話すことで気持ちを整理してるんだ」
「そうですかね、私には結構大人に見えますよ」
クロフォードが胸の前で腕を組んだ。それだけの仕草でも様になっていた。
「私があの歳の頃、悩みなんて大人に話せませんでしたから。余計なプライドが邪魔をして親にさえ相談できませんでした。だから素直に他人を頼れる彼女は大人だと思います」
「まぁ、神経の図太さは大人顔負けだわな」
「あれだけ勘が鋭く頭の良い子が頼ってくれるのですから、私たち大人はその期待に応えなければなりません。必ず無事に届けて友達との再会を見届けましょう」
クロフォードが右手を差し出した。
「んだよ改まって」
「ちゃんとしなければ、と思いました。ケンカした友達と仲直りしたいと、そんな普通の悩みを持つ子が悪人に狙われているのです、警察官の私がオロオロしている場合ではない、と思い直しました。探偵のあなたに全てを任せるつもりもありません。相棒のつもりでよろしくお願いします」
「……逃げるべきだと思うぞ」
「あり得ません。途中で投げ出すのは私の信条に悖ります」
「……この先、何が起こるか分からない。俺が必ず助けてやれるとは限らねぇぞ」
「相棒と言ったでしょう。私とあなたで、お互いに助け合うんですよ」
この手を取っていいものか、グレイは悩んだ。
だが、クロフォードは肩を後ろに反らし、強気の姿勢で再度、握手を求めてきた。
青い瞳が強固な意志があることを訴えている。
無下にするのは冷酷だと思ってしまった。
「……極端なことはするな」
「こう見えて私もタフな方です。、そこらの女と一緒にしないでください」
二人は力強い握手を交わした。
「——ですが、真の相棒となるには互いの信頼が必要です。私は隠し事の多い人を信頼することはできませんので」
「ん?」
ギラリと光る目がグレイを見上げる。
握手の力がどんどん増していく。
「私に隠していることがありますよね」
心当たりは結構ある。
「さて、ひと眠りしてくるかな。休まないとニューリードまで持たないぞう」
短くなったタバコをバケツに投げ捨て立ち去ろうとするが、クロフォードは手を握ったまま放してくれない。
「話は終わっていません! 実は問い詰めるタイミングを見計らっていました。少々話は逸れましたが本題です……本当は聞くかどうか迷っていたんですけど——」
「んだよ、恋人はいねぇよ」
「違う!」
仕切りなおすように深呼吸を一つして、クロフォードは言った。
「——私の兄を知っていますね?」
グレイは両目を大きくした。
「兄の名はアラン・クロフォード。車から飛び降りる直前、私のことをその名を呼びましたね。どうして兄の名で呼んだのですか? どうして兄の名を知っているのですか?」
握手をした手にクロフォードの指が食い込む。逃がさないという意思表示だ。
動かぬ証拠を突きつけられた容疑者のようにグレイは少し上を見上げた。
これ以上は誤魔化せない。これ以上の誤魔化しは裏切りであり不義理に違いない。グレイは相棒を裏切りたくなかった。
手を解放され、二本目のタバコに火を点けた。
複雑な感情が渦巻く。
「何から話すべきかな……」
クロフォードは何も言わず待っていた。
『素直に思ったままを伝えりゃいい』と女子高生に偉そうに講釈垂れた自分に腹が立った。正直に喋るのがどれだけ恐ろしいことか、当事者になってようやく理解できた。
やがてグレイは語り始める。
「——アランとは訓練所で出会った」




