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探偵の悪夢

 午後五時を回った。

 昼に給油の為に寄ったコンビニで身体を伸ばして以来の降車となる。


「寒い、眠い、お尻の感覚が無いよぅ」

「腰痛ぇ……完全に身体が固まってらぁ」


 重く垂れ込んだ曇り空。ラジオの天気予報では夜に一降りあると伝えていた。日暮れが近くなるほどに気温は下がり、吐く息が白くなり始めていた。同じ東海岸でも北と南でこんなにも気候が異なると言う事実をとグレイは肌で感じた。

 グレイとライツはおぼつかない足取りで駐車場に降り立った。続けて降車したクロフォードは軽い足取りで先を歩く。


 ライツはショートパンツからデニムに履き替え、安物のブルゾンを羽織っている。クロフォードは持参したHPDのロゴ入り(黒と黄色の警戒配色)ナイロンジャケットを着こんでいた。


「情けないですね、ですから運転を代わると何度も言いましたのに」

「お前はいいよね、ケツにでっかいクッションが標準装備なんだもん。へっちゃらだろうよ」

「ねー本当羨ましいー、やっぱりドーナツのおかげかな」


 二人が軽口を叩くと、瞬時にグレイの横へ回り込んだクロフォードが尻目がけてローキック。ビリビリとした感覚がグレイの尻で爆発した。


「あああああああっ! ただでさ痺れてるケツにその攻撃はヤバいって! 誰かハンター呼んでください! 田舎ドーナツメスゴリラに襲われてます!」

「もう一発キツイのいっときますか、ホミアまでぶっ飛ばします」

「お、落ち着いてコリン! お尻が大きいのは太ってるってことじゃないよ! 魅力だよ! エロいのは良いことだよ!」

「そ、そうそう褒めたんだぜ? ケツと玄関はデカい方が良いって言うだろうが」

「言いませんよ、何ですかその格言は! ダリアさんはこのセクハラ野郎の肩を持つつもりですか?」


 肉食獣に睨まれた小動物のように全身を震わせるライツは両手を自らの尻に当てた。


「ちちち違うよ? 人の身体的特徴を揶揄するのは最低! ましてや女の子のお尻をとやかく言う男なんてクズだよ! うんうん、だから半身になって構えるのは止めてね」


 間違いなく疲れている。全員のテンションが妙な方向に上がっていた。

 一行はモーテルにやって来ていた。

 L字型の一階建て、かなり古くピンク色の壁の塗装があちこち剥がれている。


「——ドアだけは頑丈なものに変えてあるからショットガンでぶち破られない限り大丈夫だと思うよ、あ、部屋に電話はないからその文句は禁止、かけたきゃそこのを使いな」


 受付で二部屋要求すると、特に怪しまれた感じはなくスムーズに部屋の鍵を二つ確保できた。雑に説明を終えた受付の男はタバコをふかして小型テレビが映すフットボールニュースに戻っていった。


「お前らは八番で奥の部屋、俺は二番で角の手前の部屋な」

「では四時間後に伺います、夕食はそれからということで。」

「あいよ、ダリアを頼んだ」

「おやすみ~、イーサンはボロボロなんだから休まないとダメだよ」

「はいはい、部屋にいろよ? 絶対出るな」


 クロフォードに鍵を渡すと、ライツを連れて駐車場に面した外廊下を歩いて行く。


「ねぇねぇ、先にシャワー浴びてもいい?」

「いいですよ、テレビでも見て待っています」


 遠ざかる二人を見送る。

 部屋に入る直前、クロフォードが振り返ってこちらを見た気がした。

 疑問に思いつつも二人は部屋に入ってしまったのでグレイも自分の部屋に入った。


「……はぁ」


 靴も脱がずにベッドに飛び込む。スプリングが軋み、身体が沈んでいく。

 久しぶりの静寂。誰も喋っていない時間は車内でいくらでもあったが、こうして一人になる時間は無かった。

 怪力の傭兵にぶん殴られ、走行中の車から飛び降りたり突っ込んだり。タフな男を気取ってみても所詮はちょっぴり頑丈なだけのただの男。


「つっかれたぁ……」


 当たり前に疲弊する。

 身体が丈夫でも痛いものは痛いし、長時間運転していれば頭はボーっとしてくる。

 自分が折れれば旅は立ち行かなくなり、ライツは連れ去られ殺されるかもしれない。自分が選択を誤ればクロフォードはライツを守ろうとして犠牲になるかもしれない。

 諦めるなどという選択肢は勿論ないのだが、疲労は如何ともしがたいもので容赦なくグレイの身を削っていた。


「隊長ってのは大変だな、アラン」


 グレイは買ったばかりのタイトなデニムのポケットからライターを取り出す。

 傷だらけの真鍮製ボディが鈍く光っている。


「お前みたいにはできそうもねぇや」


 文字を親指の腹でなぞって目を閉じた。


 ——瞼の裏に広がるのはスラムのバラック集落。

 潜伏期間が半年を過ぎた頃、少佐から通信があった。作戦開始の命令だった。

 臨時の弾薬庫となっている大学体育館の爆破。


『——確かに逃走にこの街を通過するのにはリスクがある。だが一方でこの先の山を突破しちまえば大隊が奪還した地域が近い。奴らも無理に追って来ないはずだ』

『爆弾を設置してすぐに脱出、事態の処理に人員が動員されるので最悪検問に引っかかっても強引に突破できると? ははっ、なるほど悪くない、いいぞイーサン!』


 ミルクティー色の髪をかき上げたアラン隊長はタバコに火をつけて笑った。一時帰国時に作ったというオイルライターは蓋を開ける時、とてもよく音が響く。


『イーサン、それは極端に強引だ。トラックでの移動は目立ち過ぎる』

『命令が下っちまった以上は爆破して逃げなきゃならねぇだろうが。生きて帰るならこの方法以外ない。ジェイク、あんたは歳だから保険かけて守りに入っちまうのも無理はねぇけど』

『アウチ、ははっ、若いもんに言われちまったなジェイク! ロートルだとよ!』

『笑っている場合ではない! 全員の命を考えるなら爆破後も潜伏を続けるという選択肢もあるだろう!』

『爆破してすぐに正規部隊が侵攻してくれるならそれもいい。だが、もしまた半年も動きが無かったら? 爆破工作でピリついた敵さんは血眼になって俺たちを探すぞ。そうなればいずれ見つかるだろうし、この街の無関係な市民が疑いを掛けられ粛清されるかもしれないんだ。俺はイーサンの意見に賛成だな』

『わざと敵の目に触れて逃げるというのか』

『俺たちは試験的に運用される非公式部隊。お偉方は俺たちのことを陽動作戦の一つくらいにしか考えていない。成功すれば良し、失敗なら見捨てれば良しってな。合衆国軍とハーネリア国軍の中から体質持ちを寄せ集めただけのオモチャの兵隊、一応は特殊部隊って扱いなんだろうが、その実態は、特殊な作戦を遂行する部隊じゃなくて、特殊な人間が集まった部隊、それが俺たちだ——』


 アランは続けてこう言った。


『だが、オモチャにだって意地がある、生き延びてやるって意思がある! 極端で結構! 極端に生きようじゃねぇか! 俺たちの意志で!』


 ——目を開けた。


 うんざりするほど何度も見た夢だ。より正確に言うのならば過去の再生だが。

 この夢の続きを見たくないが為にグレイはいつもここで覚醒する。

 そのせいでここ数年は薬と酒の力で気絶するように眠るのが常となっている。

 時計を見ると部屋に入ってから十分も経っていない。意識が落ちてすぐ夢を見たらしい。


 四時間後には動き出さなければならないので酒を呷るわけにもいかない。重い身体を無理やり起こしてシャワールームへ向かった。

 汗を流すといくらか気分も晴れ、頭がスッキリした。

 浮かれたバスローブではなく脱いだばかりの服を再び着た。


 窓際に設えられたイスに腰掛け、レースカーテンを少しだけ開けて外を窺う。ちょうど二人の部屋が見える位置である。


(駐車場に新たな車両はなし)


 二人の部屋を見守りつつグレイは顎を撫でる。


 ジョンはホテル・ハービンジャーで待っていると言っていた。不都合なことにそのホテルはグレイらの旅の終着点でもあり、依頼人が待っている。

 ジョンがライツを誘拐しようとしているのは身代金の為。ヴァルターが記念式典に参加することは公式に発表されているので、父親を直接脅すことが可能だと踏んだのだろう。

 この誘拐計画はジョンにとってついでだ。

 スパイの会合場所となっていたバーのVIPルームで接客をしていたスタッフ四名が失踪していることから考えて、本来ならライツも消してしまえば済むはず。

 だが、彼女が社長の娘だと知ったジョンは欲張った。『それならついでに稼がせてもらおうか』と。マネージャーと仲間の逮捕によって、このまま合衆国で資金調達を続けることはできないと悟り、最後に少しでも金をむしり取ってから国外に逃亡する算段なのだろう。


(一丁前なのは動機だけで、やってることはただの小悪党。追い詰められたチンピラだ)


 ならば、このことをフェリーを通じて連邦警察(FIB)に報告すればいい。

 そうすれば式典は中止になり、ヴァルターも保護され、家出娘と感動の再会を果たすことができ、上手く行けばジョンも逮捕できるかもしれない。

 そう、フリスカ王女がやって来るホテルは厳戒態勢。万が一の危険も許されない状況下で事件が発生する可能性ありと分かれば、事態はすぐに動くだろう。

 簡単な話だ。

 しかし、


(それはできない、式典を中止されちゃ困るんだ)


 ダリア・ライツをニューリードへ連れて行く、その真意。


 グレイには秘密があった。


 公になるべきでないことは世の中に意外と多く存在する。ホテルのマネージャーが敵国のスパイだった事実も然り、巷に流布しては無用の混乱を招く真実というものは確かにある。


(人のことを言える立場でもねぇが、案外俺も触れてたりして、秘密にしておくべきものに)


 グレイは部屋を出た。


「まぁ、もう十分きな臭い事件に巻き込まれてる訳だけども。ただの探偵が外国の工作員から女の子守る、なんてことは分不相応だって、そもそもジョンは合衆国の敵なんだから、俺には関係ないだろって」


 愚痴を零してモーテルの受付に戻った。

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