朝食と言えばドーナツ
それからどうやって集合場所の郵便局へ辿り着いたのか、グレイは覚えていなかった。
おぼろげな意識の底で、ライツが何かを叫んでいた気がする。クロフォードが目に涙を浮かべていたような気もする。それが現実だったのか、夢だったのかは分からない。
「腹ぁ減った」
ソキウスの後部座席で、膝を畳んで寝かされたグレイは唐突に目を覚ました。
「きゃあああああああっ! いきなり何ですか全く! 起きるなら起きると言ってから目覚めてください! ビックリします!」
「アタシはコリンの絶叫に驚いたよ、鼓膜破れるかと思った」
どこまでも続く平坦な道とソキウスの相性はバッチリなようで、ハイウェイをひた走る。
後部座席は揺りかごのように快適であり、いつの間にか夜が明けていた。
上体を起こすと、運転席にクロフォードの後頭部があった。金髪を頭の後ろでまとめている。
「……ブラウスのボタン閉じちゃったんだ」
「一晩中眠っておいて第一声がそれですか」
「コリンは本当に心配してたんだよ? 何度も車止めて息があるか確かめたし、傷の手当ても全部やったんだよ」
「よ、余計なことは言わなくていいんです! 警官として当たり前のことですから!」
頭に包帯が巻かれ、腕には絆創膏やガーゼが貼られていた。二四時間営業の薬局に寄ったらしい。紙袋が床に落ちていた。
「また追手が来るかもって警戒して運転してくれてるんだ。アタシも免許持ってるから、いつでも代われるって言ったのに、護衛としての責任だってさ」
「大丈夫ですよ、運転好きなので」
乾いた唇を動かして、グレイは言う。
「ありがとう、コリン」
「い、いつになく素直じゃないですか」
クロフォードがニヤつくのを必死に堪えている仕草が気になったが、寝起きのグレイにはその意味が分からなかった。
「まだぼーっとしてるからじゃない? 皮肉を考えられる状態じゃないんだよきっと」
何か失礼なことを言われている気がするが、その通りで上手く頭が回らない。
「それで、ここはどこだ」と、グレイはねばつく口内を気にしつつ訊ねた。
「Aの六七に入ればナボロって町だよ」
「ちょっと分かんねぇな」
「とりあえず寄りますね、ガソリン入れたいです」
「寄ろう寄ろう! 車もアタシたちも朝ごはんだね!」
一行はナボロなる町で一時の休息をとることに決定。
特に観光地というわけでもなく、国道沿いに全国チェーンのハンバーガー屋、レストラン、ガソリンスタンドが集中している普通の田舎町である。
ハイウェイから外れて、食事できるところはないかとソキウスを転がす。
昔ながらの個人商店が密集するメインストリートは寒々しく、店先のセールと書かれた垂れ幕は色あせ、入り口の前には落ち葉が溜まっており、そもそも閉まっている店も多い有様だ。
ショッピングモール建設の住民説明会なるものがあったことを、廃業した自転車屋の入り口に貼られたチラシを見て知った。一帯の住民は数年前に街はずれにオープンしたショッピングモールに吸い寄せられているらしい。
「そのモールに行きましょうか。色んな用事が一度で済みますし」
「名物とか食べたかったけど仕方ないねー。服も買わないといけないし」
「服?」
グレイが後部座席の中央から身を乗り出して訊くと、クロフォードは鼻筋にしわを寄せた。
「その恰好で過ごすつもりですか? 汚いですし匂います」
「ハッキリ言いやがる」
度重なるトラブルに見舞われた結果、彼の身なりはボロボロだった。シャツのあちこちに血のシミを作り、ターコイズのジャケットは土汚れがひどい。デニムの左膝部分は味のあるダメージでは言い訳にならない程ド派手に破れ、膝が挨拶していた。
「身体も傷だらけですし、もし私がパトロール中なら絶対に職質かけてます」
「何だろうなこの釈然としない感じは。必死に頑張ったフットボールの試合が終わって家に帰ったら、母親に汗臭いって文句を言われたような、そういう理不尽と無理解を感じる」
「あ~あ、コリンのせいでイーサンのボヤきエンジンがスタートしちゃった」
「私が悪いんですか⁉」
×××
三人はショッピングモールに到着した。
敷地内の端にあるガソリンスタンドで給油を済ませ、駐車場の外れにあるドーナツショップに流れるが如く入店。
「また、ドーナツかよ」と文句を垂れつつ、グレイは三人分の支払いを済ませた。
朝のドーナツショップは、ガラス越しの陽光と甘い香りで人々を目覚めさせる。コーヒーの湯気が立ち上り控えめに響くマシンの音が朝のリズム刻む中、テイクアウト待ちの列には通勤客が並び、少しの談笑を挟んで紙袋を受け取る。
グレイ達が座るボックス席にもドーナツが並んだ。
ライツはチョコレートドーナツを頬張り、クロフォードは異なる種類のグレーズドを両手に持って齧りついていた。
甘味に興味がないグレイとしては不満な朝食だが、それはそれとして空腹なのでぱくぱく食べ進めていく。
皆が夢中で一つ目を食べ終えたタイミングでグレイが「えー本題に入ります」と口を開いた。
「いよいよ金がない。次の給油もできない。ニューリードに行けない。さあどうしよ?」
早くも二つ目のドーナツに手を伸ばしかけたクロフォードが固まった。彼女のプレートにはたっぷり五つも乗っている。
「ダリアをニューリードに連れて行くこの旅はあくまで俺の仕事。そう思ってここまでの旅費は俺が出していた訳だけど、限界がきました」
「えー! 服買ってくれないのー⁉ 私こんな薄着だよ⁉」
流石に寒いようで、ライツは腰で縛っていた赤いシャツの結び目を解いていた。下は相変わらずのデニムのショートパンツ。
今の時期の北部では考えられない格好だ。
「無いものはない! よって力を合わせる時だ。コリン、財布出せ」
クロフォードはナプキンで手を拭いて、脇に置いた白のハンドバッグを無言のまま開き、年季の入った折り畳み財布を取り出した。
「本当に社会人か。ガキの小遣いじゃないんだぞ」
「あなただってないくせに!」
財布の中には二十デイルと小銭が少々。
「給料日前なんです、警察官の懐事情を舐めないでください」
「ダリア、これが社会というものだよ」
「ごくり。勉強になったよ」
「ちなみに、君はいくら持ってるのかな? 一か月のバイト代は——」
「それだけはダメです! 大人が高校生のバイト代にたかるなんて!」
掴みかかってくるクロフォードの腕を振り払う。
「モラルだ何だと言ってる場合じゃねぇ! 使えるものはガキのバイト代でもジジイの年金でも何でも使う!」
「実はあたしも持ってないんだな~、休みに買い物してたから!」
そう言ってショートパンツの尻ポケットから取り出したブランド財布は、風が吹けば飛んで行ってしまいそうなほどペラッペラだった。
「宵越しの銭は持たないタフな生き方でしょ?」
「それは無計画と言うんです……」
卓が沈黙に支配され、グレイは頭を抱えた。
死んだスパークと助手席の男の財布を拝借したが、それもさっきの給油とこの食事に費やした。あんな高級セダンでカーチェイスしたというのにお前らも手持ちが無いのか、と心の内で唾を吐いた。
「二人とも、クレジットカード持ってないの?」
「私立探偵は信用が無くて」
「私は現金派で持ち歩いてません……」
「あはは! どうしようね、これ!」
参った、とばかりにライツが両手を広げる。
「そうだ、コリンと俺が連邦警察のふりをして偽札の捜査に来たって設定にする。この店で偽札が使われた可能性があるって言って、レジを開けてもらうんだ。あとは偽札が見つかったってことにして証拠として数百デイルを回収、これなら——」
「通用するわけないでしょう。というか完全に犯罪です」
困り果てたグレイは窓の外をぼんやり見る。
モールの営業開始時間が迫っているとあって、ガラガラだった駐車場に車が増えてきた。
そこへ新たに古ぼけたバンが一台侵入する。
駐車したベージュのバンから大勢の人が降車してきた。黄色のナイロンジャケットを着た男性らがワイワイと談笑し、タバコを咥えてモールの入り口方向へ移動し始める。
——そんな中、ひと際若い男が彼らの後ろを歩いているのを発見。
グレイの瞳がそのひょろ長いシルエットにピントを合わせた。
「は…………ははっ、俺よりツいてねぇ奴がいやがった!」
手を叩いたグレイは「ここにいろ」と言って、弾かれたようにドーナツショップを飛び出した。
間違うはずがない、彼はグレイをドーナツ地獄から救ってくれた救世主なのだから。
シルエットが大きくなり、近づくにつれて初めてのデートのように胸が高鳴った。
「メェェェェェェェェェエエエエエルヴィィィィィィィイイン!」
「え、は……? わ、わわわ⁉ ぐ、グレイさん⁉」
メルヴィン・サンダース。食堂車の戦闘に巻き込まれた哀れな記者の卵がそこにいた。




