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探偵の義理立て

「クソ、何でこうなるんだ!」


 呟いてから、自分がエーデルの運転席に先客と重なる形で転がっていることに気づいた。

 裸の美女の隣で目覚めることが最高とするならば、これはまさしく最低最悪の目覚めだろう。

 グレイは首までタトゥーがびっしり入った男の死体の上で目を覚ました。

 鼻と口から血が垂れ、首が不自然な角度で曲がっている。首の骨が折れたのだろう、と推測した。

 鼻先に漂うのは焼けたゴムと香水、それに血の鉄臭さ。

 フロントガラスにはちょうど成人男性一人が通れるほどのサイズの大穴が穿たれていた。


「シートベルトは締めましょうってな」


 返事などあるはずもなく、寡黙な男の上から身を起こす。

 助手席の男も静かなもので、ダッシュボードに額を乗せ呼吸音すら発していなかった。

 車は旅行代理店に突っ込んでいて、車外にはガラスと一緒に大量のパンフレットが散乱していた。


「言ってる場合じゃねぇか、どうすんだこれ話聞けねぇじゃん」


 この男たちは何者で、どういう目的でダリアを狙うのか。何度も襲撃を受けていながら理由さえ分かっていないのは非常に危機的である。パットビルからニューリードまでは一四〇〇キロ。その間、またいつ襲われるか分からない。グレイの力で守り切るのにも限界がある。


 思案しつつフロントガラスから出ようとダッシュボードに足をかけるが、グレイはその動作をピタリと止めた。


「あ?」


 電話のコール音が鳴っている。


 初め、店の奥から鳴っているのだと思ったが、それはグレイのすぐ後ろだった。振り返ると、後部座席のトンネル状に盛り上がった足元の上に電話が設置されていた。


「自動車電話かよ、金持ちめ。すぐに携帯電話が普及して廃れるに決まってる」


 渡りに船とばかりに受話器を取った。


『私だ。ダリア・ライツはどうなった』


 推定、四~六〇代の男性の声。


『何とか言ったらどうだ。貴様にいくら払ったと思ってる? ご自慢のスーパーパワーの兵隊はガキのオモチャか』

「……」

『非武装の探偵とボディガードの女二人だけなのだろう⁉ こんなことなら貴様を頼らず、いつものように私の部下を使うべきだった! 今後ソラタで、いや合衆国で仕事できるとは思わないことだ! スパーク!』

「この男、スパークっていうのかぁ。確かに火花(スパーク)みたいに派手に散ったもんな」


 受話器の奥で息を呑んだ気配を感じる。


「どーも、俺がその探偵さ」

『スパークを殺したのか』

「こっちも必死なんでね。でも安心しろ、悲鳴を上げる間も無かったはずだ、ついでに手下みたいな奴も道連れになってる、みんなで仲良く地獄行きってわけよ」

『君がイーサンか。ダリア嬢をニューリードの父親の元へ連れて行く依頼を受けたというグレイ探偵事務所のイーサン・グレイ。大企業のトップが個人的に依頼する私立探偵がどんなものかと思えば、なるほど確かに凄腕だ』

「カッコつけるんじゃねぇ。いくら冷静ぶったってお前がコイツにブチギレてるのを聞いちゃったもんね。大物のフリはよせよ、余計安っぽいぜ」

『……失礼、怒鳴るのはマナー違反だったな』

「随分と外面が良いんだな、で、その態度の下には獣以下の鬼畜な本性が隠れてるってわけだ。愛想が良く社交的だが身内には威圧的、見栄っ張りな小金持ちのジジイにありがちだ」

『鋭いご指摘恐れ入った。確かに部下からどう思われているか心配な時があるよ。いつか裏切られるんじゃないか、とね。流石は探偵だ、少し話しただけで私の不安を暴いてみせた』

「そんな煽り余裕ですってか。政治家、いやセールスが得意なワンマン経営者とみたね」


 グレイは入れ墨男スパークと助手席の男のポケットから財布を抜き取る。惨めな死体漁りだが、あまり深く考えないようにして失敬する。


『感心しているんだ。そこでどうだろう、君を聡明な男と見込んで交渉したいのだが』

「名前も知らないおたくと?」

『ふむ、こちらは君の名前を知っているのに、名乗らないというのは行儀が悪いか。ジョン、と呼んでくれたまえ』

「嘘臭ぇ」

『誓って本名さ、この国ではありふれた名だろ?』

「信用できないね」

『そう無下にしないでくれ。君は今日、車を失っただけでなく事務所兼自宅も、そこにある少量の現金もテレビも冷蔵庫もベッドも失ったんだ。これから何かと入用じゃないかな?』

「何……」

『おっと、ようやくシリアスな声が聞けた。大家のカークさんや隣人のスタイルズさんに連絡してみるといい。君の家がキャンプファイヤーだと教えてくれるだろう』

「馬鹿な——」

『ハッタリだと思うか? 家にあった主要な物のリストだそうだ。冷凍食品の袋と安物ビールの缶とハーネリア産ウィスキーボトル、乱雑に積まれた仕事の書類とポルノ雑誌、洗面台には大量の鎮痛剤と睡眠薬。誰かと生活している様子は皆無で、恋人の痕跡どころか家族写真、友人との記念写真一枚発見されず、仕事以外の目的で書かれた電話番号のメモは大家だけ』


 ジョンはククッと喉を鳴らした。


『イーサン、イーサン、君は孤独な男らしいな。所帯を持て、少なくとも独身の寂しさは解消されるぞ。主婦と一緒にエアロビでも始める気か?」

「悪党が俺に家庭の温かさを説く気か」

『ふ、些か話が逸れたな』


 短く笑ったジョンは一呼吸置いた後、結論を言った。


『二〇万デイルだ。ダリア嬢をニューリードのホテル・ハービンジャーまで二日以内に連れて来れば二〇万デイル支払おう』


 グレイの探偵としての年収の三倍以上、電話付きの高級セダンを新車価格で二台は購入できる、それどころか田舎に家が建てられる金額だ。依頼の成功報酬と手付金を合計してもそこまでの額では決してない。


『事務所はもう無い。人生の再スタートには十分な金額。それに偶然にも君の旅の終着もそのホテルだ。届け先が父親から私に変わるだけ——』


 だが、


「話にならねぇ。その金でテメェのケツでも拭きやがれってんだ」


 当然、グレイは断る。迷うまでも無い。


「車も家も二〇万も、依頼達成に比べりゃ安過ぎる。天秤にかけるまでもねぇ」


 最初は嫌悪だった。

 そして今、胸の奥で静かに、しかし確実に燃え始めているものがある。

 怒りだ。

 それは、瞬間的な衝動とは違う。もっと深く、もっと重い、大切なものを無意味に踏み荒らされた時に生まれるような、粘ついた怒り。


『分からないな、君の動機は何だ? 家族もいない孤独な男が、金で動かないなら何を原動力として命を張る? 仕事それ自体を生きがいにするタイプでもあるまい』

「人生を救ってくれた人達がいる。どれだけ感謝してもし足りねぇし、返したくとも返せないデッケェ恩と深い愛がある。だから俺はこの人生をその人達の為に使うんだ」

『まともじゃない』

「まともじゃなくて結構、恩義を忘れた恥知らずとして生きていたくないんでね」

『……スーパーヒーローへの憧れは程ほどにしておくんだな。行き過ぎた奉仕精神と過剰な救世願望は身を亡ぼすぞ』

「身の程は知ってるつもりさ、俺は大勢を救えるような特別な人間じゃない。必死に足掻いて自分ともう二人助けるのにも四苦八苦する凡人。でもな、おまけでガキを誘拐しようとする悪党の鼻っ柱をへし折ることくらいはできるかもな」

『哀れな男よ。アルコールと薬で頭を麻痺させ、心の隙間に妄想を詰め込むとは……現実を見ていない。病人だ』

「心の隙間ねぇ、アンタは札束詰め込んでそうだな」


 息づかいだけが聞こえる。相当苛立っているらしい。


『君は私を大金持ちのフィクサーか何かだと勘違いしているようだな。確かに大金を動かす立場にあるのは事実だが、実際のところ、私は自分の為に金をあまり使わんのだよ』

「へぇ、立派な慈善事業でも?」

『ある意味ではそうだ。多くの者を救う為に』

「おいおい、今自分で言ったこと忘れちゃったのかよ、過剰な救世願望は何とかってよ。おたくこそ自分が特別な人間だとか思っちゃったりしてんじゃないの?」

「事実、私は特別だからな」

「そうかいそうかい、特別なあんたは立派な事に金を使う。でもその資金はいたいけな少女を誘拐して父親からの身代金で賄う、ってか」

「金の出どころは問題ではない。何に使うかが肝要だ」


 ここへきてジョンは開き直った。悪びれもせず、苦し紛れの言い訳すらない、当然かのようにあっさり認めた。ジョンの声はどこか自信に満ちている。「俺は私欲で動いているんじゃないんだ」という虚栄心が顔を覗かせる。

 傲慢。人の願い、命までも簡単に踏みにじれると考えて憚らない外道。グレイとは真逆の人間。

 分かり合えない。この男の言葉を一ミリも理解したくなかった。


「ここまでなりふり構わず追ってくるテメェのことだ、最後はダリアを殺すかもな。おかしいだろ、それ。どんな大義があろうと何をしてもいいって理屈にはならねぇよ」

『私には大きな使命があるのだ、君には分からんだろうね』


 ジョンには何か大きな理由があるらしい。だが、そんなことはどうでもいい。結局、こいつがやろうとしているのはただの身代金目的の誘拐と恐喝なのだから。


『ニューリードで待っている』


 そう思うとどうしようもない怒りが込み上げてきて、グレイはたまらず叫んだ。


「ふざけんじゃねぇ!」


 何の為にだとか、そんなものは聞くだけ無駄。どれだけ耳障りの良いことを言っても所詮、この男はただの小悪党に過ぎない。


「ダリアを待ってる人がいる。かけがえのない大切な人があいつを待ってるんだ! テメェなんかがあの人の一瞬を邪魔すんじゃねぇっ! 話したいこと、伝えたいこと、謝りたいことがあると言っていた! これが最後のチャンスなんだ! 二日以内にニューリードのホテルだ? 偉そうに水差してんじゃねぇぞクソジジイ!」


 遠くでパトカーのサイレンが鳴っている。じきにここへ到着するだろう。


『イーサン、やはり君の依頼主はヴァルター・ライツではないな? 君には何か全く別の軸があって、ヴァルターは説得力を持たせるためのカバーストーリー……君はいったい何者——』


 グレイは受話器を外へ投げた。千切れたコードが闇の中でのたうつ。

 サイレンの音が急速に近づいていた。

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