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極端なアイデア

 裏道のゴミ箱や段ボールを躊躇なく跳ね飛ばしながら、クロフォードが呟く。


「重たいですね、振り回しているはずのこっちが振り回されますよ。排ガス規制法には賛成でしたけど今だけは反対派です。やっぱり車はV8でなければ!」


 ハンドルを握り、唇を舐めるその横顔はその道のプロといって差し支えないものだった。

 裏路地に突入しても、彼女はスピードを一切緩めない、それどころか更に加速させる。


「おおおおお前、こんな狭い道でよく踏めるな!」


 身体がシートに沈み、グレイは汗ばむ両手でシートの縁をがっちり握る。


「よく言われます。ですが、運転には自信があるのに、何故か仕事では運転を任せてもらえないんですよね。やはり私が女だからでしょうか。音楽が持ち歩けるこの時代に、女は運転が下手だって決めつけは時代遅れですよ。個人の能力を正確に評価してほしいものです。優秀な私が駐禁係や書類整理をするのは社会にとって損失なのに」

「いや女とかじゃねぇ! こんな運転する奴にパトカー任せられるかっ! ——ぎ、いいいいぃぃっ! 当たり前にオートマでドリフトするな! 大事な足が悲鳴上げてるって!」

「ただ乗っているだけのイーサンに文句を言われたくないですね」

「おえっ、う、うるせぇ! だったら少しの間車真っすぐにしろ!」

「分かりましたよ!」

「コリン! 次を左に! 広い道に出るよ!」

「了解です! 曲がったら、しばらく直線になります! いいですね⁉」

「あぁクソ! 馬鹿じゃねぇの⁉ カーチェイスの銃撃戦なんて映画だけで十分だ!」


 悪態をつきながらレギュレーターハンドルをグルグル回して助手席の窓を下げていく。

 握った拳銃を今一度確認する。


(Fk26のコピー品……これってクロフォードの自前の拳銃じゃないよな。戦いの中でハンマーが落としたのを拾ったのか……?)


 安全装置(セーフティ)を解除。シートベルトを右腕に巻き付けると、振り返ってシート上に膝を付く。


「しっかり掴まってください!」


 叫んだと同時、車が左方向へ鋭く切り込んだ。

 タイヤがアスファルトを噛み、女性の悲鳴にも似たスキール音が鼓膜を叩く。

 車体が振られ、慣性に従ったグレイの身体が窓の外へ向かった。

 横滑りが収まると、再加速。ソキウスが直線に入った。

 グレイは窓から上半身を乗り出し、銃口を後方へ向ける。


 そして——


 エーデルが遅れてコーナーに入った瞬間、引き金を連続で引いた。


「死にやがれ!」


 三発の銃弾が高級車のフロントガラスにめり込んだ。透明なガラスに亀裂が広がる。

 だが鏡のように磨かれた黒色のボディが怯む様子もなく迫る。


「クソッタレ!」

「外したんですか⁉ あなたも人のこと言えませんね!」

「ガラスが邪魔なんだよ! 下手くそのお前と一緒にするな!」

「また下手くそって言いましたね⁉」

「いいから前見て運転してろ!」


 グレイは続けて発砲。三発がボディの上を跳ね、一発が右タイヤに命中した。


「へいへいへい、今当たったろ! 何でパンクしない⁉」


 エーデルは一度速度を緩めたが、またすぐに追いすがって来た。


「ランフラットタイヤじゃないかな! パンクしても走れるタイヤ!」

「そんなのありかよ!」

「でも変だよ。まだ一般販売は限られて……ううん、違う、速過ぎる。ランフラットタイヤはパンクしても安全に最低限の運転ができるっていうもので、百キロ以上出せる強度はないんだよ! 六十キロがせいぜいなのに! 特注品かも!」

「どうなってんだそりゃ!」


 銃撃を諦めたグレイが席に戻る。


「ちょ、どうするんですか⁉ パンクさせて尚、追い付かれそうですけど! このまま中心街へ突っ込むのは危険すぎます! どんな被害が出るか、警官として断固反対です!」

「分ぁかってる! 今考えてっから!」


 クロフォードは人気を避けるように右折を繰り返す。

 グレイは一縷の望みにかけてグローブボックスを漁るが、出てくるのはチラシやハンバーガーの包み紙とタバコの箱だけで、弾丸は見つからなかった。


 人が少ない夜間とはいえここはダウンタウン。乱立するビルやアパートには大勢の人がいるだろうし、既に通報されているかもしれない。グレイとしては警察の厄介になるのは避けたいところ。

 拳銃は使えない。クロフォードの運転でも振り切れない。相手はパンクしても走れる特別仕様車。


 しかし、そこでふと、グレイは最低最悪なアイデアを思いつく。思いついてしまった。


(——銃弾はガラスを破った。正面から攻撃は通る)


 無茶で馬鹿馬鹿しい作戦だが、閃いてしまった以上はもうそれ以外ないとさえ思えてくる。

 グレイは叫んだ。


「コリン! ダリア! 出来るだけ離して出来るだけ長くて細い道に逃げ込め!」

「何か思いついたんですか⁉」


 パッと表情を明るくさせたクロフォードにグレイが自嘲気味な笑顔で応えた。


「俺が突っ込む」


 グレイは腕時計を外し、首を回す。


「つ、突っ込むって何です⁉ どういう意味ですか⁉」

「ダリア、案内頼む」

「うん! えっと、あれは郵便局だね、その二つ先を左折! その次に右折して直進! すぐにY字の岐路に当たるからそこを左に入って! 少し坂になってるけど大丈夫?」

「問題ない。一気に駆け抜けろ!」

「いや、え、ちょ、は⁉ 結局何をどうするんですか⁉」

「お前は運転に集中! 疑問、反論は受け付けない! 為すべきことを為せ!」

「そ、そんな!」

「きっと大丈夫! イーサンはタフだから!」

「ダリアさんは今の説明で分かったんですか⁉」

「ううん全然。でも大丈夫。イーサンが死ぬとは思えないもん。これは私の直感だよ」

「ははっ、お墨付き頂いちゃったな! 心強い」

「な、何が何やら……」


 作戦は決まった。

 郵便局を通り過ぎ、左の路地へ入る。


「……よし」


 デニムのポケットに入れたライターをズボンの上からなぞり、一度深呼吸をした。腹は決まった。

 右折して直進。

 クロフォードは注文通り、追手を突き放しY字路の左に突っ込んだ。


「はっはっはっは! いいぞアラン! このまま突っ切れ!」


 路地は狭く、車両がすれ違うことも出来ない完全なる一方通行で、アスファルトはひび割れ、オレンジの街灯が弱弱しい光を放ち、アパートの非常階段は錆びついているような、古びた一角。その直線で——


「んじゃ、ちょっと行ってくる。さっきの郵便局で待ってろ」


 まるで近所のコンビニに出かけるような気軽さで言ったグレイは、助手席のドアを開け、倒れるように身を投げた。


「——、——! ————!」


 クロフォードの声にならない悲鳴が遠ざかる。

 一瞬の浮遊感。

 直後、死神のように無慈悲な重力に引っ張られ、地面に叩きつけられた。

 転がる。擦れる。運動エネルギーを失うまでブレーキのない肉体は幾度となく地面を撥ねた。

 アスファルトと夜空と街灯の明かりがグロテスクに混ざり合う視界の中、手放しそうになる意識を必死に繋ぎとめる。

 そして、古いアパートの入り口階段の手すりに腰を打ちつけて、グレイはようやく停止した。

 視界が明滅する。喉が詰まったようで息ができなかった。

 もがいて首を横に向けると、血が混ざった吐瀉物が口から零れ出た。


「がっ! はぁ! ……はぁはぁはぁ」


 ようやく胸が上下し始め、新鮮な酸素が全身に満たされる。

 何とか頭を持ち上げて身体を確認する。はらわたをぶちまけていたり、腕が千切れているような事はなかった。両足が正常な向きに収まっていることが自分でも驚きだった。


「え……映画のスタントマンが……はぁ、と、特別な訓練を受けてるって、マジだよな……毎回こんな目に遭ってるわきゃ、ねぇよな」


 全身の痛みを堪え、ゲロと血のマーブル状になった汚れを踏みつけ、立ち上がる。

 死の間際、人は過去の記憶や幻覚を見るらしいが、グレイはそういったものを一度も見たことがない。もしも走馬灯なるものが本当にあるとするならば、彼にとってこの程度のことは命の危機でも何でもないのかもしれない。

 実際、遅れてやって来たエーデル・コンチネンタルのヘッドライトが近づいているのを確認したタフな男は、既に次の行動に移っていた。


「寒ぃし痛ぇなちくしょう。南国(ホミア)でちっちゃい傘がついたバカみたいなカクテル飲みてぇなクソ野郎」


 進路上に立つグレイに気づかず猛スピードでやってくる黒塗りの高級車。あるいは気づいているのかもしれないが止まる気配は感じられない。減速の意思も感じられない伸びやかな走りで向かってくる。


 グレイは自分自身を武器にすることにした。

 つまり、壊れないタフな身体を弾丸に。

 引き殺さんとやって来る車に向かって全力で駆け出す。


「こんなことしか思いつかない極端な自分が嫌になるぜ、まったくよぉぉぉおおおおおっ!」


 飛んだ。

 空中で両足を揃えて畳み、一気に開放する。

 運転席の男の目玉が零れんばかりに見開かれるのが見えた。


 ——瞬間。


 デタラメなドロップキックがフロントガラスを突き破った!

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