第9話 画面越しの幼馴染
家に帰り、制服から部屋着に着替えた私は、さっそくスマートフォンのメッセージアプリを開いた。
宛先は、ただ一人の気安い幼馴染。
『ねえ、凛ちゃん。急なんだけど、正式にバンドを組むことになって。もしよかったら、ベース弾いてくれないかな』
送信ボタンを押し、私は台所へ向かった。
今日のおかずは冷蔵庫の余り物で作る野菜炒めだ。
お味噌汁以外にもレパートリーを増やそうと、簡単な料理から挑戦している。
フライパンにごま油を引き、キャベツを炒めていると、ポケットの中でスマホが震えた。メッセージの返信ではなく、直接の着信だった。
「……もしもし」
『桜! メッセージ見たわ。桜にそんな友達ができたなんて、私、本当に安心した』
スピーカー越しに聞こえる、落ち着いた心地よいアルトの声。
井上 凛子。
遠くの県に住んでいる彼女は、私の数少ない理解者だ。
彼女には、誰が見てもすぐにわかる特徴がある。
――身長187センチという、圧倒的な長身だ。
長い黒髪を真っ直ぐに伸ばした清楚な顔立ちに、見上げるほどのスタイル。
ベースを背負って歩く姿は、控えめに言っても格好いい。
同性からは、まるで女神のように慕われていた。
「友達っていうか……向こうが勝手に巻き込んできただけなんだけどね」
『ふふっ。でも、バンドを組むなんてすごいじゃない。参加するわ。桜が一人だと心配だしね』
「……もう、子供じゃないんだから」
『高校生はまだ子供でしょ? 悪い人に騙されていないか、私がしっかり見てあげるから』
野菜をひっくり返しながら、私は自然と口角が緩むのを感じた。
遠くに住んでいるため、高校生が放課後に気楽に行き来できる距離ではない。
だが、今は便利な時代だ。ネット回線を使った「リモートセッション」という形なら、一緒に音を合わせることができる。
何より、この強すぎる「保護者」がいてくれれば、あのカースト上位の怪物たちに囲まれても、私の精神は崩壊せずに済むかもしれない。
* * *
翌日。
昼休み、いつものように(強制的に)合流した才川さんと金剛寺さんに、私は凛ちゃんがベースとして参加してくれることを報告した。
「えっ! いいって!? やったー! 細川さんの友達なら、絶対いい子に決まってるもん!」
才川さんはお弁当のハンバーグを箸で刺したまま、エンジョイ勢全開で諸手を挙げて喜んだ。
一方で、金剛寺さんは眉をひそめて腕を組む。
「……そいつの音を聴いてから判断するよ。話はそれからだ」
「えー! いいじゃん萌、楽しくできればさ!」
「アホ。バンドの土台を支えるベースだぞ。仲良しこよしでリズムが崩れたら目も当てられねぇ。私はガチでやる気だからな」
むくれる才川さんと、妥協を許さない『音の門番』こと金剛寺さん。
相変わらずの温度差に胃がキリキリとするが、私はいつも通り「……」と無表情を貫きながら、お弁当の卵焼きを口に運んだ。
でも、内心では不思議な感覚が芽生えていた。
こうしてメンバーが集まり、計画を立て、少しずつ『KANADE-ZAKURA』という形のないものが動き出していく。
彼女たちとの時間に、私は確かな「楽しさ」を感じていたのだ。
* * *
数日後の放課後。
私たちは、ライブハウス【GUREN】の薄暗いステージに立っていた。
タバコと埃の匂いが染み付いた重厚な空気感の中、才川さんが持ち込んだノートパソコンの画面だけが、四角く明るい光を放っている。
『繋がったかしら? あ、見えたわ。こんにちは、初めまして』
画面の向こう側――明るく清潔な学校の音楽室から、凛ちゃんが手を振った。
座っているはずなのに、画面の枠いっぱいに存在感が溢れ出している。背後に映る音楽室の黒板が、妙に低く見えた。
「こんにちはー! 私がギターの才川奏でーす! こっちがドラムの金剛寺萌!」
「……ちわす」
『才川さんに金剛寺さんね。桜から聞いています。うちの桜がいつもお世話になってるみたいで』
凛ちゃんは画面越しに軽く頭を下げた。
完全に、「娘の友達とあいさつする母親」である。
そして、凛ちゃんはスッと目を細め、才川さんを査定するように見つめた。
『才川さんのような明るいお友達ができて、私もほっとしたわ。桜は口下手で誤解されやすいけど、根はすごくいい子だから。……どうか、よろしくね』
「任せておいてください! 細川さんと私は、運命で繋がってますから!」
「……?」
(ちょっと才川さん。『運命で繋がってる』って何? そこは『ギターで繋がってる』とか『音楽で繋がってる』って言いなさいよ)
私の内心のツッコミは、当然ながら誰にも聞こえない。
画面越しの凛ちゃんは、才川さんの規格外のポジティブさに一瞬だけ言葉を失い、「……ええ、そう、なのね」と引きつった笑いを浮かべた。
『……コホン。あの、さっそく音合わせの準備をしたいんだけど、その前にもう一つ、お話があるの』
凛ちゃんが姿勢を正す。
『実は、私がバンドに入るって知ったクラスメイトが、自分も入れてほしいって言っていて。その子、ピアノが弾けるんだけど……キーボードは、もういるかしら?』
「……え?」
私が間抜けな声を漏らすのと同時に、画面の端から、ちょこんと小さな影が顔を出した。
187センチの凛ちゃんの隣に並んだせいで、大人と幼稚園児くらいに見えるが、おそらく私や才川さんと同じ150センチ台半ばだろう。
ふわふわとした髪を、おしとやかな三つ編みのツインテールにした女の子。制服の着こなしも清楚で、いかにも『深窓のお嬢様』といったオーラを纏っている。
『初めまして。小清水 涼音と申します。幼い頃からクラシックピアノを習っていて、今回の課題曲もちゃんと弾けます……凛子さんと一緒に音楽活動がしたいと思いまして。――もしよろしければ、私も混ぜていただけないでしょうか?』
涼音さんは、画面越しに深々とお辞儀をした。
キーボード。
お嬢様。
そして、凛ちゃんのお友達。
情報量が多すぎる。
『どうかしら?』と凛ちゃんが尋ねる。
「もっちろん、大歓迎よ! 5人編成なんて最高じゃない!」
才川さんがノータイムで即答する。この陽キャのリア充は、人数が増えれば増えるほどお祭り騒ぎになって喜ぶのだ。
「……演奏を聴いてみねーと、何とも言えねーな。ピアノが弾けるからって、バンドのキーボードが務まるたぁ限らねえ。……まあ、いっぺん合わせてみるか」
金剛寺さんは腕を組みながら、相変わらずのシビアな判定を下す。
「……」
そして私。
ただでさえ3人で限界突破していたキャパシティが、いきなり5人という大所帯に膨れ上がってしまった。知らない人が増えることへの恐怖で、胃が悲鳴を上げている。
しかし、それと同時に。
(ギター2本に、ベース、ドラム、そして……キーボード)
画面の向こうの凛ちゃんと涼音さん。
そして隣にいる怪物二人。
この5人が一斉に音を鳴らした時、一体どんな音楽が生まれるのだろうか。
圧倒的なプレッシャーに押し潰されそうになりながらも、私の手は無意識のうちに、愛用のギターのネックを強く握りしめていた。
「よし、じゃあ回線テストも兼ねて、軽く音出してみるか。ワン、ツー……!」
金剛寺さんのカウントダウンが、魔王の城に響き渡る。
私の被害妄想と、制御不能な熱量が交差する。画面越しと現場、距離を超えた混沌の初セッションが、今、始まろうとしていた。




