第6話 魔王の城
放課後。
西日に染まる通学路を、私はギターケースを背負って歩いていた。
前を歩くのは、カーストの頂点に君臨する才川奏と、他を寄せ付けないオーラをまとった金剛寺萌。
その後ろを、一定の距離を保ちながら、影のようにトボトボついていく私。
(……これ、客観的に見たらどういう図なんだろう)
仲の良い友達グループには、まず見えない。
すれ違う生徒たちが、ちらちらと私たち――正確には、前を歩く光輝く二人と、その後ろを這う這うの体でついていく私を振り返る。
私の脳内シミュレーターが、最悪のシナリオを弾き出し始めた。
◇◆◇◆◇◆
前を歩く二人が、不意に立ち止まる。
ゆっくりと振り返り、冷たい蔑みの視線を私に向けた。
『……なんでついて来てんの、細川さん』
『細川? 誰だお前は。奏のストーカーか?』
『え、バンドって本気にしてたの? キモ……警察呼ぶよ』
その瞬間、私は悟った。
――この二人にはめられたのだ、と。
◇◆◇◆◇◆
(いやいや、これは流石にない。誘われて来てるし、音合わせのために移動してるんだし……そんな展開、あるわけ……)
(……いや、でも。私、調子に乗って「友達面」でついてきちゃったけど……不安になってきた。本当に来てよかったのかな? この二人が、ボッチの私をからかってる可能性も……ありえる。十分にありえる……!)
だいたい、こんな大勢(三人)で押しかけて、金剛寺さんのご家族に迷惑ではないのだろうか。
そもそも、私のような最底辺の陰キャが、カースト上位の二人と並んで歩いていいはずがない。私は彼女たちの踏み台であり、養分であり、せいぜい「面白半分で飼われているハムスター」程度の存在なのだから。
際限なく不安が増大する。
被害妄想の自家中毒に陥り、私が無意味にきょろきょろと周囲を窺いながら歩いていると、不意に前を歩く金剛寺さんが立ち止まった。
「……おい、細川」
振り返った金剛寺さんの切れ長な瞳が、私をスッと射抜いた。
ヒッ、と喉の奥で悲鳴が漏れる。
ついに来た。
ストーカー認定からの、カバン没収&鉄拳制裁の時間だ。
「ちょっと具合悪そうだけど、大丈夫か?」
「えっ!」
予想外の言葉に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
隣の才川さんがそれを聞き立ち止まると、パッと振り向いて(心配そうに眉を下げて)私に駆け寄ってくる。
「ほんとだ! 細川さん、顔色悪いよ!? もしかして無理してる? 今日の練習は止めておく? バンドなんていつでもできるんだし、無理しなくていいのよ!」
彼女の顔が近い。
金剛寺さんの不器用ながら真っ直ぐな気遣いと、才川さんの慈愛に満ちた優しさ。
その眩しすぎる光を浴びて、私の胃は「申し訳なさ」という名の痛みでぎゅうっと縮んだ。
(違う。具合が悪いのは、最悪のケースをシミュレートしてたせいで……。私が勝手に被害妄想でダメージを受けてただけ。二人に申し訳なさすぎる。今すぐ消えたい……)
でも、今さら「やっぱり帰ります」なんて言えるはずもない。
それに、超一流ギタリスト・才川奏の音を、アンプの爆音で間近に聴けるチャンスを逃すわけにはいかない。
「……大丈夫。授業で少し疲れてるだけだから」
私は消え入りそうな声でそう返し、重いギターケースをぎゅっと背負い直した。
* * *
少し寂れた商店街を抜け、地下へと続く薄暗い階段を降りた先。
そこに、魔王の城はあった。
【Live House ⚡️ GUREN】
駅から徒歩十五分の立地。
年季の入ったコンクリートの壁。
重厚な鉄扉には、全国のバンドマンたちが残していったステッカーが、層を成すようにびっしりと貼られている。
入り口に立っただけで、染みついたタバコと酒の匂い、そして長年の熱気が混ざり合った“本物”の空気が鼻を突いた。
(……一歩入ったら二度と生きて戻れなさそうな、世紀末のシェルターだ)
ライブハウス。
私にとっては、ネットで断片的に見た情報だけが頼りの、完全な未知の領域。
ギターの練習は――引っ越す前は親友の凛ちゃんの家で。
こっちに来てからは、ずっと自室で一人きり。
そんな私にとって、この場所はまさに異世界だった。
「お邪魔しまーす!」
才川さんが慣れた様子で重い鉄扉を押し開ける。
中に入ると、百五十人ほどは入りそうなホールが広がっていた。
床は、長年のライブでこぼれたドリンクが染みついたのか、歩くたびに少しベタつく。
正面には、年季の入った木製のステージ。
赤を基調とした照明と、天井からぶら下がる剥き出しの電球が、どこか退廃的でロックな空気を作り出していた。
「ここなら思いっきり音が出せるわ。私の演奏動画も、ここで撮らせてもらってるのよ」
「……へえ」
才川さんの言葉に、私は曖昧に頷きながらステージを見上げた。
そこには、まるで要塞のように鎮座する巨大なドラムセットがあった。
金剛寺さんは、ドラムをやっているらしい。
しかも、物心ついた時からずっと。
(……あの才川さんがわざわざ誘うんだ。きっと、金剛寺さんの実力も化け物レベルなんだろうな)
圧倒的な天才と、その幼馴染のドラマー。
そこにポツンと放り込まれた、無名の陰キャギタリスト。
疎外感とプレッシャーに押し潰されそうになりながら、私はステージの隅でそっとギターをケースから取り出した。
その時だった。
「おい。ここはお前らの遊び場じゃねーぞ。……ったく」
背後から、ドスの効いた男の声が響いた。
振り返った私の視界に飛び込んできたのは、金髪でピアスだらけの、いかつい男だった。黒のタンクトップからは、タトゥー(のようなもの)が覗く筋骨隆々の腕が伸びている。
二十歳くらいだろうか。
その目つきは、ナイフのように鋭かった。
(えっ、なに!? 不良!? 殺される!)
私の心臓は、文字通り跳ね上がり、そのまま停止しそうになった。
ついにこの世紀末のシェルターの住人に狩られる時が来たのだ。私はギターを盾にするべく、身構えた。
しかし。
そんな私をよそに、才川さんと金剛寺さんは、その不良(仮)に向かって全く怯む様子を見せなかった。
「遊びじゃねーよ。入ってくんな、クソ兄貴」
金剛寺さんが、氷のように冷たい声で吐き捨てた。
……クソ兄貴?
「萌、お前なぁ。俺がせっかく様子を見に来てやったのに、その態度はなんだ。あと奏、お前はうちの機材を勝手に使いすぎる」
「えー、いいじゃん、別に。遊びじゃないし――私の方が豪火よりギター上手いんだから、文句言われる筋合いはないわね」
「なっ……! お前なー、ったく――年々生意気になっていくな。ギター教えてやった恩を忘れやがって」
金剛寺 豪火。
どうやらこのいかつい男は、金剛寺さんのお兄さんらしい。
萌と豪火。
名前の響きからして、すでに戦闘力がインフレを起こしている。
「あのな、今日は母さんがいないから俺がハコの番をしてるんだ。機材壊したらタダじゃおかねえからな。あと、そこの小動物みたいなやつは誰だ」
豪火さんの鋭い視線が、ビシッと私に向けられた。
小動物……。
カチカチに凍りついた私を見て、豪火さんは大きなため息をつき、頭をガシガシと掻いた。
「見てわかるでしょ? バンドのメンバーよ」
「はぁ……。まあいい。やるなら真面目にやれよ」
「勿論よ。私はいつだって真面目だわ」
怒鳴り散らしながらも、豪火さんはどこか面倒見の良さを滲ませて、楽屋の方へと消えていった。
(……この兄弟、血気盛んすぎるでしょ……)
私はギターを抱えたまま、完全にフリーズしていた。
魔王の城に棲む、戦闘狂の一族。
私の静かで薄暗かった高校生活は、もう二度と元には戻らない。
その事実がライブハウスの重い空気と共に――
私の肩にずっしりとのしかかっていた。




