第5話 迫りくるバンドの足音
クラスの中心人物であり、圧倒的な陽キャにしてギターの天才。
そんな才川奏の家で、マンツーマンの個人指導を受けた翌朝。私は、いつもより少しだけ重い足取りで登校していた。
昨日の練習自体は、控えめに言って最高に有意義だった。
アンプを通さない生音であっても、彼女の演奏は別格だった。
間近で見る運指、ピッキングの角度、リズムの取り方。そのすべてが私にとって極上の教本であり、盗むべき宝の山だった。
しかし、一つの巨大な疑問が私の頭から離れない。
(……それにしても、なんであそこまでしてくれたんだろう?)
私が才川さんの立場なら、彼女から見て「初心者に毛が生えた程度」の陰キャに時間を割くなんてしたくないだろう。自分の練習時間を削ってまで他人の面倒を見るメリットが、どこにも見当たらない。
それなのに、昨日の彼女はやけに嬉しそうだった。
帰り際なんて、「これから練習の予定合わせるのに必要だから!」と、陽キャの神聖なる儀式『連絡先の交換』まで迫られたのだ。
私のスマホのメッセージアプリには、今も燦然と輝く才川さんのアイコン(めちゃくちゃ可愛い自撮り)が鎮座している。
(まさか、カルト的な何かの勧誘……? それとも、後で高額なレッスン料を請求されるとか?)
私の貧困な想像力では、それくらいしか理由が思い浮かばない。
そんな疑心暗鬼を抱えながら、今日も黒いギターケースを背負って教室のドアを開けた、その瞬間だった。
* * *
「おはよー! 細川さん!」
鼓膜を突き破らんばかりの明るい声。
クラス中の視線が、一斉に入り口の私に突き刺さる。
ビクッと肩を揺らす私をよそに、才川さんはしっぽを振る大型犬のような勢いで駆け寄ってきた。
「今日もギター持ってきたんだね! 偉い偉い! あのね、今日は萌の家で練習よ!」
「……」
……ん、えっと?
萌の家。
それはつまり、昨日私を威圧してきたあの高身長の不良(に見える)――金剛寺さんの家ということだろうか。
(いやいやいやいや、待って。金剛寺さんの家って……絶対にヤバい人たちの溜まり場でしょ? 鉄パイプとか転がってるんでしょ? 私なんて、足を踏み入れた瞬間に滅多打ちにされて、ギターを質屋に入れられるに決まってる!)
内心で大パニックを起こしていると、背後から地響きのような低い声が降ってきた。
「……おい、奏。誰が家に来ていいって言った。勝手に話を進めるな」
振り返ると、そこには不機嫌そうに眉をひそめた金剛寺さんが立っていた。
ヒィッ、と声にならない悲鳴が喉の奥で鳴る。
「勝手にじゃないもーん。昨日メッセージ送ったじゃん」
「スタンプ一個で全部伝わると思うな」
「別にいいでしょ、減るもんじゃないし! 萌も私たちと一緒にバンド組むんだし、音合わせくらいさせてよ!」
「……」
(――え? 金剛寺さんが、バンド?)
私は完全に硬直した。
確かに、最初に声をかけられた時、才川さんは「バンド組もう」と言っていた。
でも、あれはただの陽キャ特有のノリというか、挨拶代わりの軽口だと思っていたのに……。
本気だったのか?
しかも金剛寺さんをメンバーに入れるという……。
私はただ、才川さんの隣で技術を盗んで、いつか打ち負かしてやりたいだけなのだ。バンドなんていう、協調性とコミュニケーション能力の極致みたいな活動、私にできるわけがない。
「……悪いが、中途半端な遊びに付き合う気はねーよ」
金剛寺さんが、鋭い眼光で才川さんを射抜く。
そうだ、言ってやれ金剛寺さん。私みたいなコミュ障の素人が混ざったお遊びバンドなんて、時間の無駄だと。
「中途半端なんかじゃないわ。私も細川さんも本気よ!」
「……」
(ええええええええ!? ちょっと待って、なんで私も前向きなことになってるの!?)
全力で否定したかった。「違います、私はただこの人の技術を吸い取るための寄生虫です」と言いたかった。
しかし、金剛寺さんの鋭い視線が私に向けられた瞬間、喉の奥がキュッと締まり、声帯が完全にストライキを起こしてしまった。
「……細川、だっけ」
「……」
「お前……本気で、奏と一緒に音を鳴らす覚悟があるのか? こいつのペースに巻き込まれるのは、並大抵のことじゃないぞ」
違う、と首を振ればいい。
それなのに、金剛寺さんのあまりにも真剣な瞳と、横で期待に満ちたキラキラした目を向けてくる才川さんの板挟みになり、私はただ金魚のように口をパクパクさせることしかできなかった。
「……」
永遠とも思える数秒の沈黙。
すると、金剛寺さんは小さく息を吐き、なぜか感心したように頷いた。
「……そうか。下手な言い訳もせず、目で語るってわけか。細川も本気なら、一応考えてやるよ。その覚悟、音で証明してみせろ」
「やったあ! そう来なくっちゃ! 愛してるわ、萌!」
「ばっ……くっつくな、暑苦しい!」
(……なんでそうなるの!?)
私の声なき絶叫は、陽キャと不良の謎の結束力によって見事に掻き消された。
話し合い(?)の結果、今日の放課後は金剛寺さんの家で、三人で音合わせをすることが決定してしまった。
私は一言も、本当にただの一文字も発していないというのに。
ふと我に返り、周囲の気配に気がつく。
クラスメイトたちが、遠巻きにこちらを窺っている。
カーストの頂点に君臨する才川さんと金剛寺さん。その二人に挟まれ、黒いギターケースを背負って立ち尽くす、得体の知れない陰キャの私。
――なんなのあいつ。
――ボッチの陰キャの分際で、生意気なんだよ。
――身の程を知れ。クソが。
私に向けられる視線が、すべてどす黒い悪意に満ちているように感じる。
ギロチン台へ向かう罪人を見る目だ。あるいは、神聖な儀式に紛れ込んだ汚らわしい生贄を見る目だ。
実際には「あの地味な子、才川たちと仲いいのかな?」程度の好奇心なのだろうと、頭の片隅ではわかっている。だが、私の重度な被害妄想フィルターを通せば、教室の空気は完全に禍々しい瘴気へと変貌していた。
(ああ、胃が痛い……っ)
キリキリと胃が締め付けられる。
今すぐ自分の席という名の安全地帯に逃げ込みたい。
しかし、才川さんと金剛寺さんは「どんな曲やる?」「とりあえず適当に合わせるんだよ」と、私の頭越しにヒートアップして会話を続けている。
この空間から私一人だけがスッと抜け出して席に向かうのは、あまりにも不自然で、逆に悪目立ちしてしまいそうだ。
「……」
私はただうつむき、両手でギターケースのストラップをぎゅっと握りしめた。
始業のチャイムが鳴り響くまでの、わずか数分間。
それは私にとって、永遠にも等しい、針のむしろでの公開処刑だった。




