第9話 ステージの支配者、あるいは孤高の歌姫
(才川陽葵の視点)
楽しかった夏休みも、もうすぐ終わり。
カレンダーの数字が残り少なくなってきた八月の終わりに、わたし――才川陽葵は、人生で初めて「ライブハウス」という場所に足を踏み入れていた。
パパはお仕事なので、今日はママにしっかりと手を引かれてやってきた。
お姉ちゃん(奏)が、萌ちゃん(お姉ちゃんのお友達)のお店で行われる「ライブ」に、特別にゲストとして出演することになったからだ。
階段を下りてお店の中に入り、スタッフの人に案内される。
大人の背丈よりも高い機材や、黒い箱がたくさん置かれた通路を、ママとはぐれないようにきゅっと手を握りしめて進む。
通路の壁にはたくさんのポスターが貼ってあって、なんだか秘密の地下基地に潜り込んでいくみたいで、ドキドキして胸が苦しくなるくらいだった。
「ひまり、一人でどこかに行っちゃダメよ。ここはお姉ちゃんたちの特別なお仕事の場所だからね」
ママが優しく笑いながら、わたしの頭をなでてくれた。
「うん! わたし、いい子で待ってる!」
案内されたのは、「バックヤード」と呼ばれる関係者だけが入れる特別な席の隅っこだった。ステージから一番遠い、少し高くなった場所。そこからは、お姉ちゃんたちが立つ予定の、まだ誰もいないステージが見えていた。
フロアには人がたくさんいて、演奏が始まるのを待っている。
しばらくママとお椅子に座ってクッキーを食べていると――
急に、それまで明るかった会場の電気がパッと消えて、真っ暗になった。
――ザザッ、とマイクが音を立てて、一カ所だけ、真っ白な光がステージを照らした。
そこには、ギターを抱えた奏お姉ちゃんが立っていた。
お姉ちゃんは、集まったたくさんのお客さんを見渡して、少しだけ大人っぽい、いたずらっ子みたいな顔で笑った。
「――こんばんは! 本日のゲスト『KANADE-ZAKURA』です! 今日はバンド名だけでも覚えてください!」
お姉ちゃんが声を響かせると、暗闇の中から「わあああ!」って、ひまりの胸まで震えるような地響きみたいな声が返ってきた。
お姉ちゃんはちっとも怖がらないで、もっと楽しそうに胸を張った。
「今日は夏休み最後に、最高の時間を届けに来ました。準備はいい? ……それじゃあ聞いてください。『光を見つめて』!」
お姉ちゃんがニカッと笑って、空いている手を高く突き上げた。
――次の瞬間、お腹の底をドーンと突き上げるような、ものすごい音が響き渡った。
何百人もの大人の「うわあーっ!」っていう大歓声が沸き起こる。
地響きみたいに胸まで震える声に、わたしは思わずすくみ上り、ママの体にぎゅっとしがみついた。
幼稚園の運動会や音楽発表会とは、ぜんぜん違う。
空気がビリビリと震えていて、床から足の裏を通して、心臓までドクドクと波打つような大迫力だった。
真っ暗だったステージに、青や赤、オレンジ色の眩しい光がサーチライトみたいに激しく走り始めた。
光の海の真ん中でスポットライトを浴びて輝いているのは、わたしの大好きなお姉ちゃんたちだった。
「おねえちゃん……!」
わたしはママに抱きついていた手を離して、ステージに目を奪われた。
そこにいたのは、お家でいっしょにご飯を食べている時の優しい奏お姉ちゃんではなかった。
メンバーとお揃いのTシャツを着て、前髪を揺らしながらマイクに向かって歌うお姉ちゃん。その姿は、まるで太陽そのものがステージの上に舞い降りてきたみたいに輝いていた。
お姉ちゃんがギターの弦をジャーンと掻き鳴らすと、ライブハウス全体の空気が一瞬で跳ね上がった。
ドラムの音がドコドコと胸を叩き、ベースの音がズンズンと足元を揺らす。
お姉ちゃんたちの音楽は、まるで生き物みたいに生き生きと跳ね回って、暗闇の会場を眩しい光でいっぱいに満たしていく。
フロアの大人たちは、みんな魔法にかけられたみたいに両手を挙げて叫んでいる。
すごい。
お姉ちゃん、本当にかっこいい。
わたしは息をするのも忘れて、ステージの上の圧倒的な光の渦と大迫力の音楽に、ただただ心を奪われて見入っていた。
このステージのどこかに桜ちゃんもいるはずなのに、今のわたしには、眩しすぎる光のせいでまだその姿を見つけることができていなかった。




