第47話 本気の覚悟
10代限定、国内最大級のロックフェスティバル。
『NEO GENESIS ROCK FES』(通称:ネオジェネ)の最終ステージ。
本戦の会場はライブハウスではない。
首都圏にある大規模アリーナを丸ごと貸し切って行われる、文字通りのビッグイベントである。
事前に才川社長から共有された資料によれば、会場にはプロ仕様の巨大なセットが組まれ、観客動員数は1日あたり約30,000人。2日間開催で計60,000人にも上るという。
さらに、客席の後方やVIPエリアには、音楽関係者、メジャーレーベルのスカウト、音楽メディアの記者たちが千人規模で詰めかけるらしい。
会場内には複数のステージが設置されており、巨大なモニターと最新鋭の照明・音響設備を備えたメインステージでは、決勝進出を果たしたバンドが己のすべてを懸けて演奏する。
一方、サブステージでは、ゲストとして招かれたプロのアーティストや、前年度の覇者がパフォーマンスを行うことになっている。
今年度の総エントリー数は、全国から3,500組を超えた。
その途方もない数のバンドの中から、本戦への出場切符を手にしたのは、わずか10組のみ。
審査プロセスは、「10代の勢い」だけでなく「プロとして通用するか」を冷徹に見極めるため、多角的なステップが組まれていた。
まず前提として、この大会の「10代の定義」は、メンバー全員が大会当日に19歳以下であること。
幸いにして私たちのバンド『KANADE-ZAKURA』に留年している者はいないため、この点は難なくクリアしている。
1次審査では、オリジナル曲のクオリティと演奏の基礎力が、音源や動画を通じて判別された。
ここで3,500組から約500組にまで絞られる。
2次審査は、公式サイトでの視聴数、SNSでの拡散力、一般投票を用いた「集客ポテンシャル」の測定。
ここでさらに約50組へと削られた。
そして3次審査。
全国5都市のライブハウスで実際に審査員の前で演奏を行い、生身のライブパフォーマンスが評価された。
そのすべての選別をくぐり抜け、私たちは今、ファイナリストとしてここにいる。
事実として、私たちはここまで勝ち進んできたのだ。
* * *
本戦のルールは明快だ。
巨大なメインステージで、各バンドが2曲を演奏する。
音楽業界の重鎮たちによる専門的評価である「審査員票」が60%。会場でのリアルタイム投票と配信視聴者による「観客票」が40%。その合計ポイントで、今年の優勝チームが決定する。
そして。
見事グランプリに輝いたバンドに贈られる優勝賞金は、100万円。
(分配方法はまだ決まっていないけど……才川さんのことだから、きっとメンバーの人数で平等に分配されるはず。つまり、私の取り分は20万円……)
20万円。
私の頭の中は、今やその具体的な数字で完全に支配されていた。
高校卒業後、確固たる進路を持たない私に高確率で訪れるであろう「緩慢な破滅(ニート生活)」。
その暗黒の未来に備え、私は少しでも貯金を増やしておきたい。
荒海に投げ出された時、20万円という浮き輪があれば、少しは長く息ができるかもしれない。
私は他のメンバーには一言も口に出していないが、胸の奥底で、本気で優勝を狙っていた。
すべては、自分の生存を確保するためだ。
大会の前日。
参加するバンドのメンバーは、リハーサルや事前の打ち合わせのため、学校を休んで会場近辺の指定されたホテルに集まることになっていた。
うちのバンドで少し懸念だったのは、別の高校――しかもお嬢様学校(恐らく、厳格な教育方針だろう)に通っている、ベースの凛ちゃんとキーボードの小清水さんのことだった。
「ロックフェスに出るから学校を休ませてください」なんて理由が、お堅い学校で通用するのだろうか。
しかし、蓋を開けてみれば、二人とも何の問題もなく無事に学校から送り出されていた。
どうやら才川さんが、保護者同伴のもと学校側に「これは単なる遊びではなく、音楽業界の公式なコンテストであり、社会的な実績となる」というプレゼンを見事に行い、公休扱いで許可をむしり取ったらしい。
有能な社長のネゴシエーション能力には、恐れ入るしかない。
何はともあれ。
これで、100万円を手に入れるための、私たち5人のベストな布陣が完全に仕上がった。
* * *
そして、迎えた翌日の朝。
本番当日。
私は迷子にならないように、才川さんの後ろ姿をしっかりと見つめ、金剛寺さんの大きな背中に隠れながら、会場を目指して歩いていた。
見上げるような高層ビル群。
どこまでも続く広い道路。
コンクリートとアスファルトの巨大な迷宮。
冷たい秋の空気が、都会の喧騒と混ざり合って肺の奥へと流れ込んでくる。
(……なんか、やたらと広い)
周囲の景色に圧倒されながら歩みを進めると、やがて視界が開け、目的の巨大なアリーナ施設が見えてきた。
その瞬間、私は信じられない光景を目の当たりにして、足の動きを止めた。
朝のまだ早い時間だというのに、建物の周囲をぐるりと取り囲むように、黒山の人だかりができている。
長蛇の列が、まるで巨大な蛇のようにうねっていた。
(ええっ! 高校生のバンドの大会なのに、何でこんなに並んでるの!?)
私は心の中で激しくツッコミを入れた。
物販の列だろうか?
それとも入場待ち?
なんにせよ、人が多すぎる。
サブステージに出演するという、有名なアイドルかプロのアーティストが目当てなのだろうか。
そのあたりのエンタメ事情に絶望的に疎い私には、この異様な熱気の理由がさっぱり分からない。
ただ、この何万人という「他者」の集合体が放つプレッシャーに、早くも胃のあたりがキリキリと痛み始めていた。
私たちは出演者なので、その恐ろしい長蛇の列に並ぶ必要はない。
首から「ARTIST」と書かれたパスを下げ、警備員が立つ関係者用の入り口から、施設の中へと足を踏み入れた。
コンクリートむき出しの薄暗い通路を歩く。
すれ違うスタッフたちは皆、インカムをつけ、忙しそうに走り回っている。
飛び交う専門用語。
張り詰めた空気。
「まずは、メインステージの下見に行きましょう。立ち位置と、モニターの確認ね」
才川さんの指示に従い、私たちは控室へ向かう前に、アリーナのフロアへと続く重い防音扉を開けた。
開けて、踏み出した。
見上げた。
――静寂。
いや、機材の調整音は鳴っているのだが、私の耳には何も入ってこなかった。
ただ、広かった。
地平線のように広がる、フラットなアリーナ席。
そこからすり鉢状にせり上がり、天空まで届くかのように連なるスタンド席の海。
私たちの目の前にそびえ立つ、要塞のようなメインステージ。
見上げれば、首が痛くなるほどの高さに設置された巨大なLEDモニターと、数え切れないほどの照明機材。
――空間。
ただひたすらに、暴力的で、巨大すぎる空間があった。
(……大きすぎる)
今まで、地元のライブハウスや、遠征先の少し大きめのハコでは演奏してきた。
そこでも十分すぎるほど緊張した。
でも、ここは次元が違う。
ここに、人が入るのか。
三万人という、一つの街の人口に匹敵する人間が、あの無数の座席を埋め尽くし、ステージの上に立つ私たちを、ただ一点に凝視する。
――無理。
思考の海が、一瞬にして干上がった。
論理も、計算も、野心も、すべてが吹き飛んだ。
(…………無理だわ)
20万円を手にしたいという私の野望など――
この圧倒的な暴力の前では塵芥に等しい。
生存本能が、全細胞に対して撤退の警鐘を鳴らしている。
私は、誰にも悟られないように無表情を保ったまま、心の中で、優勝賞金100万円を完全に諦めた。




