第44話 女子大生の二人組。再び――
(女子大生・美紀の視点)
ドン、ドン、と。
腹の底に響くようなベースの重低音が、フロアの空気を震わせている。
私は親友のユイと一緒に、人の熱気で満ちたライブハウスの真ん中らへんに陣取っていた。
ここはお馴染みのライブハウス『GUREN(紅蓮)』ではない。
隣の市にある『THE VOID -Centrum-(ザ・ヴォイド・セントラム)』という、普段はあまり来ない大型のハコだ。
今日、私たちがわざわざここまで足を運んだ理由はたった一つ。
私の大好きな、いや、今や人生の大きな生きがいとなっているガールズバンド『KANADE-ZAKURA』が、ここで演奏するからだ。
現在、彼女たちは10代限定の国内最大級ロックフェス『NEO GENESIS ROCK FES』(通称:ネオジェネ)に参加している。今日はその3次審査である、地区別ライブハウス審査の日なのだ。
私が彼女たちのファンになって、もう一年以上が経つ。
桜ちゃんの凄まじい歌声に撃ち抜かれ、気がつけばどっぷりと沼に浸かっていた。
私をこの沼に引きずり込んだ張本人であるユイも、彼女たちの姉貴分である『Crimson Riot』のファンでありながら、妹分であるKANADE-ZAKURAのことも熱心に応援している。
今年の春休みに行われたという彼女たちの初めての遠征ライブ。
私は大学生の宿命とも言える金欠のせいで、泣く泣く行くのを断念した。
その分、毎日二人で動画投稿サイトの演奏動画をリピート再生し、SNSの公式アカウントやファンたちの発信を血眼になってチェックし、通販でグッズのTシャツを買い(今日はもちろんそれを着ている!)、音楽配信サービスで曲をダウンロードして無限ループで聴きまくっていた。
でも、やっぱりこうしてライブハウスのフロアに立ち、同じ空間で生で音を浴びることこそが、ファンにとって一番の応援であり、至上の喜びなのだ。遠征先には行けなかったけれど、電車で一時間弱のこの場所なら全く問題ない。
出番を待つ間、他の出場バンドの演奏もいくつか聴いてみた。
さすがは厳しい一次・二次審査を勝ち抜いて三次審査まで残ってきただけあって、どのバンドも演奏技術が高く、固定のファンもついているようだ。曲の構成もしっかりしていて、普通にお金を払って聴けるレベルのものばかりだった。
だけど。
私の推しである『KANADE-ZAKURA』は、それらとは完全にレベルが違う、次元の違う存在だ。
(楽しみだなぁ……!)
私はステージを見つめながら、ワクワクして胸を高鳴らせていた。
このバンドのことをまだ知らない審査員や、他のバンドの応援に来た観客たちが、彼女たちの演奏を初めて聴いたらどうなるだろう。
間違いなく、度肝を抜かれるはずだ。
一体どこからあんな化け物みたいな高校生たちが現れたんだと、フロアが騒然とする光景が目に浮かぶ。
それだけの実力と、圧倒的な引力が、あの子たちにはあるのだ。
タイムテーブルが進み、次はいよいよ彼女たちの番だ。
暗転したステージに機材がセッティングされていくのを見守っていると、隣にいたユイが、ふと不穏なことを口にした。
「……桜ちゃん、緊張してなきゃいいけどね」
「えっ?」
私はユイの横顔を見返した。
「いや、大丈夫でしょ。地元のライブハウスで何度も場数を踏んでるし、私たち行けなかったけど、春の遠征だってSNSの評判めちゃくちゃ良かったじゃん」
「そうなんだけどさ」
ユイは腕を組み、少しだけ心配そうに眉を下げる。
「レイさん情報だとさ、桜ちゃんって、かなりの『人見知り』らしいのよ」
「ええっ!?」
私は思わず大きな声を出しそうになり、慌てて口を塞いだ。
レイさんというのは、もちろん『Crimson Riot』のリーダーのことだ。
彼女たちと直接親しく交流しているプロのバンドマンからの裏情報なのだから、その信憑性は高いだろう。
でも。
(桜ちゃんって、寡黙でクールな、何事にも動じない孤高のキャラだと思ってたんだけど……極度の人見知りなんだ……)
私が抱いていたイメージとのギャップに驚きつつも、私はすぐに首を横に振った。
「でも、大丈夫よ。普段がどうであれ、いざマイクの前に立って歌う時は、いつも堂々としてるじゃない。あっという間に、あの声で空間を支配しちゃうんだから」
私はユイの不安を、そして自分の中にもほんの少し芽生えた不安を払拭するように、力強く言った。
きっと大丈夫。
あの子たちなら、絶対にやってくれるわ。
やがて。
静かな足音とともに、ステージに『KANADE-ZAKURA』の五人が登場した。
私は改めて、この場所の異質さを肌で感じていた。
ここは廃工場をリノベーションして作られた大型ライブハウスだ。内装は徹底してモノトーンで統一され、壁面は冷ややかなコンクリート打ちっぱなし。バンドのポスターや、演者たちのサインの落書きなどは一切禁止されているらしい。
何より特異なのは、ステージが通常のライブハウスよりもかなり高く設定されていることだ。
見上げる私たち観客との間に、明確な物理的・心理的な距離が存在する。
照明もそうだ。
普段のライブのような、演者を彩る色とりどりの派手な演出はない。
「演者の実力を誤魔化さない」という審査の意図があるため、昼光色に近い、鋭く冷たいライティングが多用されている。
そして、音響。
ここは壁面や天井の吸音性が極めて高く設計された「デッド」な空間だ。
ライブハウス特有の、音が反響して混ざり合う「音の濁り」がない。
つまり、ギターの一音のミス、ボーカルの息継ぎの乱れ、リズムのわずかなズレが、誤魔化しがきかずにそのままストレートに響いてしまう、残酷な環境なのだ。
フロアの後方、一段高くなった隔離されたスペースには、黒い服を着た業界関係者やプロデューサーたちが陣取り、手元のタブレットやバインダーに挟んだ審査シートに、淡々とペンを走らせている。
ここは、音楽を楽しむ場所ではない。
彼女たちを「査定」し、切り捨てるか拾い上げるかを決める、審判の場だ。
(たしかに、いつもとは環境が違いすぎる……。人見知りの桜ちゃん、こんなプレッシャーの中で、大丈夫かしら……?)
張り詰めた氷のような静寂。
私の胸の奥で、再び不安が頭をもたげた。
ステージの中央。鋭い照明を浴びた桜ちゃんが、無表情のままマイクスタンドの前に立ち、ギターを構える。
――ジャァァァン!!
私の不安ごと、世界を叩き割るような爆音が鳴り響いた。
一曲目のイントロ。
リーダーの才川奏ちゃんのギターソロから入った。
デッドな音響空間をものともしない、圧倒的な手数と正確無比なピッキング。
冷徹な審査員たちの鼓膜に直接ねじり込むような、苛烈で美しいギターの音色。
その最初の一音が鳴った瞬間。
勝負は決まった。
――勝った。
私は本能でそう確信した。
背筋を強烈な電流が駆け抜け、全身に鳥肌が立つ。
そして。
分厚いバンドサウンドに重なるようにして、このバンドの最大の武器である、桜ちゃんの歌声が放たれた。
――ああっ、やっぱり、凄い!!
モノトーンの無機質な空間が、彼女の叫びによって鮮やかに塗り替えられていく。
人見知り?
プレッシャー?
そんなものは微塵も感じさせない。
魂の奥底から絞り出されるような、鋭く、それでいてどこまでも深く響く圧倒的なボーカル。
観客たちも、そして後方でペンを構えていた審査員たちでさえも、一瞬にしてその声に釘付けになり、息を呑んでいるのがわかった。
私の不安は、爽やかな秋風に吹き飛ばされるように、跡形もなく消え去っていた。
何の心配もいらない。
彼女たちは、すでにこのハコを完全に支配している。三次審査なんて、ただの通過点に過ぎない。
圧倒的な熱量の中で拳を振り上げながら、私は全く別の心配事を抱え始めていた。
この審査を通過した先にあるのは、11月に東京で行われる『ネオジェネ』のファイナルステージ・本戦だ。
(……ヤバい。11月なんてあっという間だわ。――チケット代、今からバイト増やして貯めなくちゃ……!)
それは、ファンにとって最高に幸せで、最高に嬉しい悩みだった。




