第42話 新学期の始まりと、私の余命。
(細川桜の視点)
私たちの初めての遠征ライブは、客観的な指標において、ほぼ完璧な成功を収めて幕を閉じた。
フロアの熱気と盛り上がりは申し分なく、ライブ終了後、情報収集を担う才川さんが確認したところによれば、ライブハウスを見に来ていた観客たちのSNSでの反応もすこぶる良かったらしい。
「#KANADE_ZAKURA」のハッシュタグをつけた好意的な投稿がいくつも散見され、新規ファンの開拓という遠征の主目的は、無事に達成されたということだ。
言うことなしの成功。
バンドとしての実績には、箔がついた。
しかし、それはあくまで全体としての評価であり、内部において問題がなかったわけではない。
汚点があるとすれば――。
それは間違いなく、私の存在だ。
友好と交流を主目的とした対バンにおいて、私は何を血迷ったのか、相手チームのメンバーに真正面から喧嘩を売ってしまった。
そして、その落とし前として、何故か相手チームの中心人物である堂本さんから、ほっぺにキスをされるという謎の儀式を執り行われた。
あれは一体、何だったのだろうか。
布団の中で冷静に分析してみた結果、私は一つの仮説にたどり着いた。
もめ事が起こるたびに、裏に呼び出して鉄拳制裁を加えるような暴力事件を起こしていては、ガールズバンドというサブカルチャー自体に悪印象がついてしまう。コンプライアンスが厳しく問われる現代において、それは致命的だ。
だからこそ、拳で殴る代わりにキスをする。
それが、現代のガールズバンド界隈における「平和的解決の知恵」なのではないだろうか。
そう考えると、パンチの代わりにキスで手打ちにするというのは、非常に賢い風習だと思う。
ニュースを見れば、きな臭い世界情勢が連日報道されている。
第三次世界大戦真っ只中といえば、そう言えなくもない――言っても過言ではないような、そんな不穏な世界を生きている身としては、争いを拡大させない知恵と文化はとても尊いもののように思えた。
* * *
私たちの短い春休みも、残すところあと僅か。
遠征が終わり、ライブの余韻も冷めやらぬまま――遠方に住んでいる凛ちゃんと小清水さんも、新幹線で私たちと一緒に地元へと移動してきた。
そしていつものように私の家に雑魚寝で泊まり込み、こっちでの凱旋ライブに備える。
翌日。
私たちは金剛寺さんの実家が経営するライブハウスで、五人揃っての演奏を行った。
遠征から戻った直後のライブ。
高校生のグループにしては、いささか忙しすぎる過密スケジュールだ。
しかし、優秀な才女である才川さんが、ライブハウス側との調整、機材の搬入スケジュール、チケットの管理といった各種の煩雑な手続きをすべて滞りなくやってくれていたおかげで、恐ろしいほどスムーズに事を運ぶことができた。
有能な人は、何をやらせても有能らしい。
バンドのリーダーとして、マネージャーとして、そして圧倒的なリードギターとして、才川さんは完璧に機能している。
それに比べて、私はどうだ。
ギターをかき鳴らし、無表情で歌うことしかできない。社会的な手続きも、対人交渉も、何をやっても無能な私とは大違いだった。
* * *
怒涛のように時は過ぎ、桜の花びらがアスファルトに散る季節。
新学期が、やってきた。
朝。
私は鉛のように重い足取りで、憂鬱な気分を抱えながら登校した。
新しいクラス発表。
コミュ障にとって、それは一年間のスクールカーストと生存確率を決定づける、死活問題の儀式だ。
昇降口に張り出された名簿の前。
人の波に酔いそうになりながら、自分の名前を探す。
『三年B組 細川 桜』
その文字を見つけた直後、私は同じ列に並ぶ二つの名前を見つけ、心の底から深く胸をなでおろした。
「やったあ、細川さんと一緒のクラスだ! よろしくね!」
不意に、横から甘い香りがして、私の右腕に柔らかいものがしがみついてきた。
私と一緒で何が嬉しいのかさっぱりわからないが、才川さんが満面の笑みを浮かべて、私に抱き着いて喜びを示している。
「おい奏。私も一緒なんだから、少しはよろこべよ」
背後から、相変わらずの威圧感と体格の良さを誇る金剛寺さんが、呆れたような声でクラス分けの掲示板を眺めながら言った。
「はいはい、嬉しいわよ。よろしくね、萌」
才川さんは私の腕に抱き着いたまま、金剛寺さんの方を見もせずに軽くあしらう。
私は、そんな陽キャの二人に挟まれながら、ただひたすらに「助かった」と安堵の息を吐いていた。
才川さん、金剛寺さん、そして私。
この三人が綺麗に同じクラスにまとめられたのは、決して偶然ではないだろう。
きっと、陰気でボッチでコミュニケーション能力が著しく欠如している問題児の私が、新しいクラスで孤立していじめなどのトラブルに発展しないよう、教師が意図的に配慮してくれたものと思われる。
(いじめとか不登校が発生すると、教師だって色々と手続きがめんどくさいもんね。優秀な才川さんたちに私を管理させておけば、事前に対処できる。賢いリスクヘッジだよね)
教師陣からも絶大な信頼を寄せられ、頼りにされている才川さんは流石の一言である。
そして、教師陣から――
「取り扱い注意の厄介な呪物」として邪険にされている私。
学校側からそういう評価を下されているという事実を肌でひしひしと感じながらも、それでも別に構わないと、私はこの采配に深く感謝した。
ボッチで昼休みを便所で過ごすくらいなら、呪物扱いされて才川さんに管理される方が、何万倍もマシだからだ。
どうせ、制服を着た学生でいるのは、あと一年だけだ。
三年生になれば、進路希望調査という現実が容赦なく突きつけられる。
世間一般では、漠然と「とりあえず大学に行った方がいい」という風潮があり、その情報は私も知っている。
しかし、悲しいかな、私には学力がない。
偏差値の低い大学に何百万円も払って行く意義を、どうしても見出せずにいた。
それに、我が家は母子家庭だ。
昼夜問わず働いている母親に、これ以上経済的な負担をかけたくはない。だから、私は大学進学を目指していない。
モラトリアムの期間は、あと一年。
この限られた三百六十五日という時間の中で、私は、ギターで食べていけるだけの確かな実力を身につけなければならない。
進学もせず、就職もせず、音楽の道で生き残る。
それがどれほど無謀で険しい道か、嫌というほど理解している。
毎日練習し、ずっと頑張って成長しているという自負はある。
けれど。
隣で私の腕に抱きついている、超高校級の天才ギタリスト・才川さんと比較すると、私の技術などまだまだ赤子同然だ。
彼女の背中には、どれだけ手を伸ばしても、全然届く気がしない。
(……うぅ)
喉の奥が、ひやりと冷たくなる。
タイムリミットが迫る焦燥と、将来への漠然とした、しかし巨大な不安。
私は、押し潰されそうになるその重圧から逃れるように、右腕に絡みつく才川さんの確かな温もりをそっと感じ取った。
「行こう、細川さん!」
「……うん」
引っ張られるままに、私は新しい教室へと続く廊下を歩き出す。
泣いても笑っても、これが最後の高校生活。
私の、終わりの始まりだった。




