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ガールズバンド【KANADE-ZAKURA】 ~最強バンドのメンバーに、何故か紛れ込んでいる私~  作者: 猫野 にくきゅう
本編

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第40話 敗北の痛み

 (矢野くるみの視点)


 私は、薄暗いトイレの個室で便座に座り込み、ガタガタと震えていた。

 ガールズバンド『KANADE-ZAKURA』の控室に一人で乗り込み、喧嘩を売りに行ったはずが、逆に見事に敗北を喫してしまったのだ。


 あの時。

 無表情でギターを抱えた女――「才川」。


 あの女が、真っ黒な瞳で私を見据えて「ぶっ潰す」と呟いた瞬間。

 得体の知れない強烈な威圧感に全身の毛穴が開き、私は恐怖のあまり、ちょっぴり股間を濡らしてしまった。


 急いで個室に駆け込み、恐る恐る下着を確認する。


 思ったほど濡れてはいなかった。

 少しだけ、ほんの少しだけ染みになっていた程度だ。着替えるほどではない。


 その事実にほっと安堵の息を吐き出すと同時に、マグマのような屈辱と怒りが腹の底からグツグツと沸き上がってきた。


(許せない。この私に、こんな惨めな仕打ちをするなんて……)


 ギリッと奥歯を噛み締め、私は個室を出て手を洗った。


 とりあえず、気を取り直して自分たちの楽屋に戻る。

 ガチャリとドアを開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 出番前のピリピリした空気はどこへやら、燈さん、紗凪さん、湊さんの三人が、とても和やかな顔でお茶を飲んでいるのだ。


「あ、くるみちゃん、どこ行ってたの?」


 燈さんが私を見て、屈託のない笑顔を向けてくる。


「さっきまで、KANADE-ZAKURAのメンバーが挨拶に来てくれてたのよ。機材の話とかで盛り上がっちゃって、すごく良い人たちだったわ!」


「えっ……?」


 私は呆然と立ち尽くした。

 私がいない間に、向こうの連中がここに乗り込んできていた?


 しかも、すっかり打ち解けたというのか。

 私はそれがひどく気に入らなかったが、続く紗凪さんの言葉で、さらに決定的な情報を得ることになる。


「向こうのギターの、才川さんっ。すごく気さくで明るい子だったわね」


 ……は?

 私の脳がフリーズする。


 向こうの天才ギタリスト「才川」が、さっきまでここにいて、挨拶をして帰っていった?


(じゃあ、私がさっき控室で遭遇した、あの無表情で不気味な女は、一体……誰?)


 あの女は「超絶ギタリスト」ではなかったのか。


 ……ひょっとして、KANADE-ZAKURAの過激なファンとか、ストーカーまがいのヤバい奴が、勝手に控室に上がり込んでいたのだろうか。


 そこまで想像した瞬間、急に背筋がゾッとして怖くなった。

 ヤバい奴に絡んでしまったのかもしれない。


(いや、でも……不審者だったら、本物のメンバーたちが戻った時に何とかするでしょ。私の知ったことじゃないわ)


 私は首をブンブンと振って思考を強制終了させた。

 今はそんなことよりも、本番だ。気持ちを切り替えて、私は自分のライブの準備に入った。


 * * *


 私たちのライブは、大成功だった。


 地元で築き上げてきた人気は伊達ではない。

 観客席は超満員で、フロアは熱気と歓声で激しく揺れていた。私の刻むドラムのビートが、何百人もの観客を踊らせている。


 私はステージの上で、自分自身の絶対的な価値と自信を取り戻していた。 

 あんな得体の知れない不審者女の一言で怯えていた自分が馬鹿らしく思えてくる。


 熱いステージを終え、転換の時間がやってきた。


 次はKANADE-ZAKURAの出番だ。

 燈さんたちが「呼びに行ってくるね」と立ち上がったので、私もその後に金魚のフンのように付いていくことにした。


 本当のところ、私は少し気になっていたのだ。

 「あの不審者」のことを先輩たちにちゃんと報告していなかった。もしあの女が刃傷沙汰の事件でも起こせば、主催者であるこちらの管理責任にされかねない。


 しかし、そんな私の懸念は完全な杞憂に終わった。


 相手の控室に入ると、あの不気味な女は追い出されるでもなく、当たり前のような顔でパイプ椅子に座っていた。


 他のメンバーから「細川さん」と呼ばれている。

 どうやらあの女は、不審者でもファンでもなく、向こうの正式なメンバーだったらしい。


 なんだ、あいつ、ただの陰キャじゃん。

 私は、自分が無駄に心配して怯えていた分、猛烈に腹が立ってきた。


 移動のため、狭い廊下を一列になって歩く。


 私は最後尾をトボトボと歩いている細川桜(そういう名前らしい)の横を通り過ぎる時、ふと意地悪なことを思いついた。


 こけさせてやろう。

 私はすれ違いざまに、彼女の進行方向に向かって、すっと右足を出した。


 これは、中学校で私が食らった陰湿な技だ。


 私のことを目の敵にしていたグループの女が、廊下でこっそり足を出して私を転ばせた。私は膝を擦りむいて教師に訴えたが、あいつらは「矢野が勝手にこけただけだ」とヘラヘラ笑って言い張った。


 多勢に無勢。

 教師はめんどくさそうにため息をつき、「証拠がない。お前の勘違いだろう?」と言って、まともに取り合わなかったのだ。


 教師が咎めなかった。

 つまり、この攻撃は「合法」なのだ。


 私は合法的な罠を仕掛けた。


 しかし、細川桜は私が出した足に気づき、その手前でピタリと歩みを止めた。

 運動神経が悪そうな奴の癖に、いや、だからこそか――直前に気づいたようだ。引っ掛けることはできなかった。


(タイミングが早かったか……くそっ)


「あんたのへぼいギター、楽しみにしてるわ。ここじゃあ、通用しないでしょうけどね」


 私は負け惜しみのように意地悪な言葉を投げつけた。

 すると、細川桜は相変わらずの無表情で、私を見下ろして言ったのだ。


「実力の違いを見せてあげるから、よく見ておきなさい」


 その堂々とした偉そうな態度に、私はカチンときた。


「こらっ! くるみちゃん! 失礼なこと言っちゃダメでしょ!」


 燈さんが即座に振り返り、私を叱りつけた。

 そして細川に向かって頭を下げる。

 攻撃は不発に終わり、私は先輩に怒られ、顔を真っ赤にして唇を噛んだ。


(くそっ……! おのれ細川〜〜っ! 何が実力の違い、よ。お前なんか大したことないに決まってるんだから!)


 インチキバンドのくせに。

 再生数稼ぎのまがい物のくせに。


 私は、あの女を徹底的に否定してやるために、腕を組んでステージ袖へと向かい、彼女たちの演奏を睨みつけるようにして聴き始めた。


 * * *


 轟音。


 波のように押し寄せる、圧倒的な音の塊。

 暗黒の宇宙に引きずり込まれるような、凄絶な引力を持ったボーカルの声。


 KANADE-ZAKURAの演奏が、すべて終了した。

 客席からの割れんばかりの歓声と拍手が、ライブハウスの壁を震わせている。


 私は。

 暗がりのステージ袖で、ボロボロと泣いていた。


 悔しかったのだ。

 ただただ、死ぬほど悔しかった。


(……あんな奴の歌声に、感動してしまうなんて……!)


 インチキバンドだと馬鹿にしていた。

 大したことないと見下していた。

 私をコケにした、あの細川桜といういけ好かない女。


 その彼女が放つ圧倒的で、息を呑むほど美しい歌声に、私は細胞の奥底から揺さぶられ、完全に心を支配されてしまった。


 悔しくて、涙が止まらなかった。


「……くるみちゃん」


 ふと、温かい腕が私の肩を包み込んだ。

 隣で同じようにステージを見つめていた燈さんが、泣きじゃくる私を優しく抱きしめてくれた。


「凄かったわね。……私たちも、もっと頑張りましょう」

「燈さん……っ」


 背後から、紗凪さんと湊さんも無言で近寄り、そんな私たちごと力強く抱きしめてくれた。


 三人の体温が、私の冷え切った心をじんわりと溶かしていく。


 私は、この人たちがいるから生きていける。

 この『燐光エピゴーネン』という居場所があるから、私は一人じゃないのだ。


 そして。

 自分がされて嫌だった「足を引っ掛ける」という行為を、他人にしてはいけないのだということも、皆に教えてもらった。


 私がやったことは、ただの惨めな八つ当たりだった。

 自分のしたことが、急に恥ずかしく思えてきた。


 一人だと、反省も後悔もできなかったに違いない。 

 けれど――私は今、大好きな先輩たちの温かさに包まれている。


 これは、役得だ。

 たくさん泣いたけれど、結果的にこうして良い思いができたのだから。


 私は涙を袖で乱暴に拭いながら、鼻をすんっと鳴らした。


(……まあ、今回は許してやるか)


 ステージの片付けをしているあの生意気な細川桜の背中を遠目に睨みつけながら、私は徹底的に上から目線で、そんなことを心の中でつぶやいた。

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