第37話 戦況把握、あふれ出る闘志
私は、地方都市の薄暗いライブハウスの控室で、一人静かに息を吐いた。
私たちは今、他のバンドとの対決である「対バン」をしに、遠路はるばるここまで遠征に来ている。
そして先ほど、予期せぬ形で勃発した奇襲戦において、強襲してきたピンク髪のツインテール少女を、私がたった一言の威圧で退けることに成功した。
前哨戦は、見事な勝利であった。
私が謎の達成感と「やり切った感」に包まれながらギターを磨いていると、ガチャリと控室のドアが開いた。
戻ってきたのは、私たちのバンド『KANADE-ZAKURA』のメンバーたちだった。
敵陣へ殴り込みに行っていた才川さんと金剛寺さん。さらに、現地合流する予定だったベースの凛ちゃんと、キーボードの小清水さんの姿もある。
「ただいま、細川さん、吉良さん! 待たせちゃってごめんね!」
才川さんが、いつもの花が咲くような明るい笑顔で控室に入ってきた。
「…………」
私はいつものように、完璧な無表情で小さく頷く。
「お、お帰りなさい、社長……」
私の横で恐怖に震えていた吉良さんは、才川さんの姿を見るなり、親鳥を見つけた雛鳥のようにほっとした声を出して出迎えた。
殴り込みに行っていたはずのメンバーたちの顔は、総じて明るかった。
怪我一つないどころか、みな晴れやかな表情をしている。
どうやら、才川さんたち主力部隊も、向こうのメンバーとの戦いを無事に制してきたようだ。私は心の中で深く安堵した。
しかし。
才川さんの口から飛び出したのは、私の予想を根底から覆す、とんでもない報告だった。
「いやー、思い切って遠征に来てよかったわね! エピゴーネンの人たち、みんなすごく良い人だったし、機材の話とかおしゃべりもすっごく楽しかったわ!」
…………え?
……あれ??
「そうだな! あっちのベースの奴、見た目はちょっとイカツいけど、話してみたらいい奴でさ。趣味の合う奴に会えて嬉しかったぜ」
金剛寺さんも、腕を組みながら機嫌よくガハハと笑っている。
「私も、対バンって聞いていたから、もっとギスギスしてるのかと心配してたけど……母の現役時代とは、バンドのありようも全然違うのね。すごく平和で安心したわ」
お母さんが元バンドマンである凛ちゃんも、胸を撫で下ろしている。
昔の対バンは、本当に血で血を洗うような抗争があったのかもしれない。
……もしくは、凛ちゃんのお母さんが所属していたバンドが血の気が多かっただけなのか。
どちらにせよ、令和の今はずいぶん勝手が違うようだ。
「はい。ガールズバンド同士、同じ音楽を志す者として仲良くなれて、本当によかったですわ」
お嬢様の小清水さんも、優雅に微笑みながら上機嫌に同意した。
――沈黙。
私は、顔の筋肉を一切動かさず、表面的には冷静を装っていた。
しかし、その内心は、今まさに大パニックを起こし、警報ランプが真っ赤に点滅していた。
(……マズい)
皆の様子や会話の文脈から推測するに、今回の対バンの主目的は、間違いなく「友好的な交流」だ。相手のバンドは良い人たちで、私たちは平和的に親睦を深めるためにここへ来たのだ。
だというのに。
私は、留守番をしていたこの控室で、偵察に来た向こうのメンバー(ピンク髪)に対して、本気で喧嘩を売ってしまった。
『ぶっ潰す』などという、ヤクザ映画も顔負けの物騒なセリフを吐いて、相手を涙目で逃走させてしまったのだ。
(このままでは、きっと……空気が読めない無能な危険人物として、私はバンドを追放される)
皆が和気藹々と仲良く交流を深めている中で――
私一人だけが変にイキってしまっていた。
もし、あのピンク髪の子が、泣きながら自分のメンバーと合流し、「KANADE-ZAKURAのギターに脅された」と告げ口したらどうなるか。
才川さんたちの築き上げた友好的な空気が一瞬にして凍りつき、私がすべての元凶として糾弾されるのは火を見るよりも明らかだ。
*****
「あなたはクビよ。細川さん」
「……理由を、お聞きしても」
「理由? 空気が読めないからよ。さようなら」
*****
ついに。
私が日々恐れていたこの『クビ宣告』の妄想が、現実のものになってしまう時が来た。
冷や汗が背中を伝う。
胃がキリキリと痛み出し、心拍数が異常な数値を叩き出している。
私が一人で激しく焦りまくっているというのに、無表情という強固な仮面のせいで、誰もこの絶望的な危機的状況に気づいてはくれなかった。
* * *
やがて、そんな私の怯えなどお構いなしに、時間は無情にも過ぎていく。
本日のライブの主催者である『燐光エピゴーネン』のステージが始まる時間になった。
「挨拶も兼ねて、みんなで見学に行きましょう!」
という才川さんの提案により、私たちはスタッフ以外立ち入り禁止のステージ袖、関係者エリアへと移動することになった。
邪魔にならないよう、暗がりに一列に並んでフロアを見つめる。
熱気。ざわめき。
暗転したフロアにSE(登場BGM)が鳴り響き、色鮮やかな照明がステージを照らし出す。
「みんなー! 今日は集まってくれてありがとー!!」
マイクスタンドの前に立ち、元気いっぱいの声で観客を煽ったのは、エピゴーネンのボーカル&ギターを担当する堂本燈さんだった。
才川さんと同じ系統の、底抜けに明るい『陽キャ』のオーラ。彼女は巧みな話術と笑顔で、一瞬にして会場の空気を自分たちのものにしてしまった。
本日のゲストである私たち『KANADE-ZAKURA』のことにも触れ、「今日は遠くからすっごい可愛い子たちが来てくれてるから、みんな最後まで楽しんでいってね!」と好意的な紹介をしてくれる。
なんて良い人なんだ。
本当に私は取り返しのつかないことをしてしまった。
堂本さんのMCは、喋り慣れていて非常に上手い。
お客さんの入りも上々で、フロアは後ろまでぎっしりと埋まっている。間違いなく、この地方都市を拠点にする人気バンドとしての威容を誇っていた。
堂本さんは、私と同じボーカル&ギターというポジションだ。
しかし、客を乗せるパフォーマンス能力も、華やかさも、圧倒的に向こうの方が優秀だった。私のような地蔵ボーカルとは比べ物にならない。
カウントが鳴り、一曲目が始まる。
轟音。
音の塊が、空気を震わせて私たちにぶつかってきた。
人気があるだけあって、演奏技術は非常に高かった。
要塞のようなエフェクター群を冷静に踏み分け、緻密な音を奏でるリードギターの戌井紗凪さん。
荒々しいスラップ奏法でバンドのグルーヴを牽引する、リーダーで高校三年の潮崎湊さん。
そして。
ドラムセットの奥で、小さな身体をバネのように使って激しいビートを叩き出しているのは、先ほど私と吉良さんに喧嘩を売ってきた、あのピンク髪の矢野くるみ(やの くるみ)さんだった。
才川さんから聞いた話によると、堂本さんと戌井さんが高校二年、リーダーの潮崎さんが高校三年、そして矢野さんが高校一年生らしい。
実力的には、やはり一番年下の矢野さんが若干劣っているように聴こえるが、それでもバンド全体のアンサンブルを壊すほどではない。四人の音がしっかりと噛み合い、一つの巨大なうねりとなってフロアを揺らしている。
『燐光エピゴーネン』。
そのレベルは、インディーズの高校生バンドとしては、間違いなく高い。
……けれど。
私は、暗がりの袖でステージを見つめながら、冷静に一つの結論を下していた。
彼女たちの演奏は素晴らしい。
だが、私以外の『KANADE-ZAKURA』のメンバー。
――才川さん、金剛寺さん、凛ちゃん、小清水さんの個々の技術と爆発力は、目の前の彼女たちをさらに上回っている。
私の横に並んで真剣な顔でステージを見つめている仲間たちの横顔を見て、私はそう確信した。
今日は、ガールズバンド同士の友好を深めに来た。
それは十分に理解した。
相手は倒すべき敵ではない。
対バンの目的は平和的な交流だ。
けれど。
熱狂するフロアと、ステージ上で輝く彼女たちの演奏を肌で感じているうちに、私の心の奥底から、どうしようもない感情がフツフツと湧き上がってくるのを感じた。
(……負けたくない)
対決が目的ではない。
勝ち負けなど存在しない。
それはわかっている。
だが、私は根本的に空気が読めない人間であり、音楽という言語を介して、彼女たちと真っ向から張り合ってみたいと強く思ってしまったのだ。
私は、いつクビになるかもわからない、バンド内の最弱キャラだ。
人見知りで、コミュ障で、万年マイナス思考の陰キャだ。
しかし同時に、私は骨の髄まで『負けず嫌い』だった。
握りしめた手に、じわりと汗が滲む。
この対バン、絶対に私たちの音楽で、会場を呑み込んでみせる。
スポットライトの当たらない暗がりの中で、私は静かに、闘志を燃やしていた。




