第36話 宣戦布告
私たち『KANADE-ZAKURA』は、春休みを利用して地方都市のライブハウスへと遠征に来ている。
今回のイベントの形式は「対バン」である。
言葉のルーツを辿れば、それは「対決するバンド」の略称であり、かつては演奏技術や客の動員数を競い合う血生臭い抗争を意味していた時代もあったと聞く。
しかし、現代のインディーズシーン、とりわけ女子高生を中心としたガールズバンド界隈においては事情が異なる。
現在の対バンとは、バンド同士の「平和的な交流の場」であることが主流だ。
お互いのファンを共有し、リスペクトし合い、時には一緒に写真を撮ってSNSにアップする。
それが現代の正しい対バンのあり方であり、暗黙の了解であるはずだった。
だが、どうやら今回の相手は、そうではないらしい。
私と吉良さんが息を潜めている控室。
突如として乱入してきた、派手なピンク髪のツインテール少女は、ドアの枠に寄りかかりながら、好戦的な笑みを浮かべてこう言い放ったのだ。
「……あんたが、今日の対戦相手?」
きな臭い。
あまりにもきな臭すぎる。
その言葉の響き、声のトーン、そして私を射抜く鋭い視線。
そこには「平和的な交流」などという生温い意思は微塵も含まれておらず、明確な「敵意」だけがギラギラと輝いていた。
極度のコミュニケーション障害であり、他者との争いを何よりも恐れる私の脳内で、危険を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響いた。
このままでは、面倒なことになる。
私の生存本能は、思考をすっ飛ばして、口に一つの防衛の言葉を形成させた。
「……いえ、違います」
私は、手にギターを抱えたまま、普段通りの完璧な無表情で、彼女の目を見つめ返してそう答えていた。
「え?」
ピンク髪の少女は、私のあまりにも堂々とした即答に、一瞬だけ間の抜けた顔になった。
「あ、えっと……人違い……?」
彼女はぎょっとしたように目を泳がせると、慌てて控室の外へと飛び出し、ドアに貼られた紙を確認しに行った。
当然、そこには太字で『KANADE-ZAKURA 様 控室』と印刷されているはずだ。
ここはライブハウスのバックヤードであり、出演者以外が迷い込むような場所ではない。
数秒後――
再びドアから顔を出した少女は、顔を真っ赤にして私を指差した。
「……あんた、『KANADE-ZAKURA』のギターよね!?」
「…………」
私は沈黙した。
膝の上には、先ほどまで弾いていたエレキギターがしっかりと乗っている。
どう見てもバンドマンだ。
迷い込んだ一般の女子高生だと言い張るには、無理がありすぎた。
これ以上の嘘は通用しない。
私は観念して、コクン、と小さく一度だけ頷いた。
「やっぱり、対戦相手なんじゃない! なんで嘘つくのよ、私をからかってるの!?」
少女は顔を真っ赤にして怒り出した。
……どうしよう。
私のとっさの保身の嘘が、逆に相手の火薬庫に火をつけてしまったようだ。
さらに彼女は、一歩控室の中に踏み込み、機関銃のように捲し立て始めた。
「とんでもない天才ギタリストが来るって聞いて、わざわざ見に来てあげたのに、全然大したことないわね! さっきの音だって、まっ、高校生にしては凄いって程度ね。高校レベルからは脱していないわ。噂ほど凄いわけでもないし、うちの紗凪さんには到底、及ばないわね!」
私は目をパチクリとさせた。
天才ギタリスト?
噂ほど凄くない?
どうやらこの子は、私を『ネット動画でバズっている凄腕ギタリスト』――つまり、才川さんのことだと完全に勘違いしているらしい。
私が先ほど暇つぶしに弾いていた適当な手癖のフレーズを聴いて、才川さんの実力を値踏みした気になっているのだ。
「それなのに、動画で人気なんですって!? ムカつくわ。実力がイマイチなのに、流行りのアニメの曲なんかをカバーして弾いて、再生数を稼いでるだけのインチキバンドじゃない! 今日はあんたたちのその化けの皮をひっぺがして、ステージでギッタンギッタンにしてやるんだから。ばーか、ばーか!」
とんでもない勢いの悪口と挑発の連打。
小学生のような「ばーか」という語彙に少し毒気を抜かれたものの、その圧倒的な悪意と攻撃性に、私はすっかり萎縮してしまっていた。
陰キャの私には、とても対処できる相手ではない。
誰か助けてほしい。
才川さん、金剛寺さん、早く戻ってきて。
そう願いながら、ふと自分の横に座っている大人――
吉良雲母さんに視線を送る。
しかし、頼みの綱であるはずの彼女は、パイプ椅子の上で膝を抱え、恐怖でガタガタとすくみ上がっていた。私と目が合うと、「ヒィッ」と小さく悲鳴を上げて視線を逸らす始末だ。
(……なんてことだ)
私は絶望した。
自分以上に頼りない人間を、生まれて初めて見たかもしれない。
社会人であるはずの彼女がこの有様では、もはや私がこの狂犬の相手をして、場を収めなければならない。
私が吉良さんを守らなければ――。
「…………」
しかし、なんと言い返せばいいのだろうか。
私は他人に言い返すような経験など、これまでの人生で一度もしてこなかった。
「才川さんと勘違いしてますよ」
――と訂正するのも、なんだか彼女の怒りに油を注ぎそうで怖い。
「私たちはインチキバンドじゃありません」
――と正論をぶつけるほどの度胸もない。
思考が空回りし、何も言葉が出てこない。
「なによ? 黙り込んで! なんか文句でもあるの? 文句があるのならはっきり言ったらどうなのよ!」
ツインテール少女は、腰に手を当ててまだ居座っている。
どう答えるのが正解なんだ。
タイムリミットが迫る中、私のポンコツな脳味噌が、極度の緊張状態の中で異常な論理展開を始めた。
私たちは、対バンしに来た。
そして、目の前の相手は、友好ではなく明確に抗争を望んでいる。
――だとすれば、ここは受けて立つのがバンドマンとしての礼儀ではないか?
それに、他のメンバーである才川さんと金剛寺さんは、すでに相手の控室に『挨拶』という名の『殴り込み』に行っているはずだ。
前線で戦っている仲間がいるのに、本陣で留守を預かる私がここで言われっぱなしで引き下がってしまえば、『KANADE-ZAKURA』の沽券に関わる。
なんでもいい。
なんでもいいから、何か強そうな言葉で言い返さなければならない。
そんな強迫観念が、私の喉の奥から、一つの言葉を絞り出させた。
沈黙。
静寂。
私は座ったまま、ゆっくりと彼女を見る。
表情筋を一切動かさず、瞬きもせず、ただ真っ直ぐに、深い闇のような瞳でピンク髪の少女を見据える。
そして、極限まで削ぎ落とされた、感情のない低い声で、ぽつりと呟いた。
「……ぶっ潰す」
静電気のように走る、冷たい殺気。
「ひっ!」
少女の肩が、ビクンと大きく跳ねた。
先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、彼女は私の無表情の奥にある何か得体の知れないヤバさを感じ取ったのか、顔面を蒼白にさせて後ずさりした。
「こ、怖い……」
なぜか、私の背後に隠れていた吉良さんまでが、涙目で怯えた声を漏らしていた。
よくわからないが。
ツインテール少女はそのまま尻尾を巻いて、逃げるように控室から走り去っていった。
演奏が始まる前のプレバトルは、どうやら私の勝利に終わったようだ。
私はゆっくりと視線を下に向け、再びギターの弦に指を置いた。




