第35話 いざ、殴り込み
春休み。
改札を抜け、新幹線のホームへと上がるエスカレーター。
旅行客やビジネスマンが慌ただしく行き交う喧騒の中、私たちは地方都市への遠征の途についていた。
今回の移動メンバーは、私、才川さん、金剛寺さん、そしてバンドの協力者である吉良雲母さんの四人だ。
ベースの凛ちゃんとキーボードの小清水さんは、居住地の関係で現地集合ということになっている。
駅での切符の手配から、乗車時間の管理、果てはお弁当の調達に至るまで、すべての手続きと引率は、才川さんが一人で完璧にこなしていた。
彼女の恐るべき行動力と処理能力は、もはや一つの企業のプロジェクトリーダーのようだった。
そして、その傍らでどっしりと構えている金剛寺さん。
彼女は特に何か実務を行うわけではないが、その大柄な体格と泰然自若としたオーラは、ただ存在しているだけで「強固な防壁」のような安心感をもたらしている。
一方、私と吉良さんはといえば、そんな輝かしい二人の背中の後ろを、ただオドオドとついて回るだけの『陰』でしかなかった。
「しゃ、社長、あの、荷物持ちます……」
「いいのいいの! 吉良さんは大事なカメラ機材があるんだから、自分の荷物だけしっかり持っててね!」
「は、はいぃ……」
自分より年下の高校生である才川さんのことを「社長」と呼び、腰を低くして慕っている謎の同行者、吉良さん。
もし私が性格の悪い人間であれば、年下に従属してヘコヘコしている彼女の不器用な姿を見て、心の中で馬鹿にしていたかもしれない。
しかし、私にそんな嘲りの気持ちなど、一ミリも湧きはしなかった。
私が性格のまっすぐな良い子だから、というわけではない。
ただ、残酷なまでの同族嫌悪と、絶望的な自己投影の対象として彼女を見ていたからだ。
私は、自分がこの先どれだけ歳を重ねて大人になったとしても、絶対に才川さんのような、眩しく頼りになる人間にはなれないということを知っている。
きっと私は、今の吉良さんのように、社会の隅っこで息を潜め、誰か強い光の背中にすがりつきながらでしか生きていけない。到底、自立した大人になどなれやしないのだ。
それが骨の髄まで分かっているからこそ、吉良さんの背中を見ていると、暗澹たる泥水のような感情が心の底から湧き上がってくる。
(……これが、数年後の、将来の私の姿なんだな)
新幹線の座席に深く沈み込みながら、私は自分の未来の確定したバッドエンドを想像し、激しく悲観していた。
車内販売が通りかかり、才川さんが私たちの分まで名物のアイスクリームを買ってくれた。
新幹線名物、スゴイカタイアイス。
プラスチックのスプーンを押し当てても、表面が少し削れるだけで、中身はカチカチに凍りついている。まるで、周囲の環境に溶け込もうとしない私の頑なな心のようだ。
(……いけない。今は、気持ちを切り替えよう)
私は、冷たいバニラの塊を口に含みながら、無理やりに思考のベクトルを捻じ曲げた。
何しろ、これから私たちは、完全なるアウェーで戦うことになるのだ。
こんなウジウジとしたマイナス思考のままでは、ステージに立つ前に自分の精神が持たないだろう。
気合を入れなければ。
* * *
新幹線を降り、在来線を乗り継いで、私たちは目的の地方都市のライブハウスへと到着した。
今日はワンマンライブではない。
ネットでの知名度が上がっているとはいえ、私たちが初めて訪れる土地で、その日のうちにハコを埋められるだけの集客力などあるはずがない。
今回は、このライブハウスを拠点に活動しているガールズバンド『燐光エピゴーネン』からの呼びかけに応じて、才川さんが決めた「対バン」だった。
対バン。
――バンド同士が同じイベントに出演すること。
それは別に、音楽で戦ったり、優劣を競ったりするような血生臭いものではない。ただの平和的な共演だ。
こちらにとっては他のバンドの客を取り込めるチャンスであり、相手方の客にとっても新しい音楽に触れる機会となる。お互いにメリットがあるからこそ行われる、インディーズバンドの一般的な文化だ。
そして何より、多くのバンドマンたちは、この対バンを通して「他のバンドメンバーとの交流」を楽しみにしているのだという。
しかし。
私は、他のバンドとの交流などという、ハードルの高いことをする気は毛頭なかった。
――というか、能力的に不可能だ。
自分が見知らぬ陽キャのバンドマンと愛想笑いを浮かべて談笑する姿など、想像すらできない。死んでしまう。
そんなわけで、私はライブハウスの薄暗い控室のパイプ椅子に座り、吉良さんと二人きりで残されていた。
凛ちゃんと小清水さんは、まだここに向かっている最中だ。
そして、才川さんと金剛寺さんは、到着するや否や「挨拶に行ってくるわ!」と、さっそく共演する『燐光エピゴーネン』の控室へと向かってしまった。
残されたのは、私と吉良さん。
沈黙。
完全なる、無音。
二人とも、自分から話題を振るようなタイプではない。
会話のキャッチボールの球すら持っていない人間同士が向かい合っても、ゲームは始まらない。
他のバンドの人間との交流どころか、自分の所属しているバンドの協力者とすら、満足に雑談一つできない。
痛いほどの沈黙が、私の皮膚をジリジリと焼いていく。
「…………」
「…………」
空調の作動音だけが、やけに大きく響く。
耐えきれなくなった私は、足元に置いていたギターケースのジッパーに手をかけた。
「あ、あの……少し、練習、しておきますね」
吉良さんに向かって、蚊の鳴くような声で一言だけエクスキューズを挟む。
「あ、はい……お構いなく……」
吉良さんも、救われたような顔をして小さく頷いた。
私はギターを取り出し、アンプには繋がず、生音でポロポロとコードを弾き始めた。音楽という鎧を纏うことで、この気まずい空間から逃避したかった。
それから、体感で十分ほどが経過した頃だろうか。
ガチャリ。
突然、控室のドアノブが回る音がした。
私はビクッと肩を震わせ、ギターの音を止めた。
才川さんたちが挨拶を終えて帰ってきたのだろうか。早くこの地獄の沈黙から助け出してほしい。
そう思い、安堵の息を吐きながら入り口へと顔を上げた。
しかし。
そこに立っていたのは、才川さんでも金剛寺さんでもなかった。
見知らぬ、同年代くらいの少女だった。
派手なピンク色に染め上げられた髪。
それを高い位置で二つに結んだツインテール。
彼女は、アイドルのように可愛らしい顔立ちをしていたが、その瞳の奥には冷たい光が宿っていた。
開け放たれたドアの枠に寄りかかり、腕を組みながら、彼女は私の顔をじっと見据える。
そして、口元を歪めて、明らかな嘲りの笑みを浮かべた。
「……あんたが、今日の対戦相手?」
対戦相手。
平和的な共演であるはずの対バンで、彼女ははっきりとそう口にした。
その言葉に含まれた刺々しい敵意と、見下すような響き。
不穏な予感が、冷たい蛇のように私の胸の奥を這い回る。
アウェーの洗礼。
それが今、私の目の前に突きつけられていた。




