第34話 順風満帆
冬休みの間、私たち『KANADE-ZAKURA』は二度の単独ライブを行った。
一度目は年末、そして二度目は冬休みの終了間際。
無謀とも思えたワンマンライブへの挑戦だったが、結果から言えば、二回ともフロアの客入りは非常に良い方だった。
謎の協力者である「吉良雲母」さんのおかげで、ネットにアップした私たちの演奏動画や、音楽配信サイトの再生数は現在も右肩上がりを記録しているらしい。
才川さんの懐は潤い、バンドの活動資金も潤沢になっていると聞く。
しかし、リアル世界におけるライブハウスへの集客は、決してそのネットでの人気だけがもたらした効果ではない。
ネット上で無料で音楽を消費する層と、時間と交通費をかけ、チケット代を払って現場に足を運ぶ層の熱量は、全く別物だ。
画面の向こうで数万回再生されたからといって、その一割ですらリアルのライブに来てくれるわけではない。
それほど、音楽という実体のないもので人の物理的な行動を促すのは、厳しく困難なことなのだ。
では、このフロアを埋め尽くした観客たちはどこから来たのか。
それは、夏休みに私たちが他のバンドのイベントに『オマケ』として出演させてもらった時の、地道な成果だった。
ライブハウスという空間には、根っからの音楽好き、いわゆる「お金を払ってでも生の演奏を聴きに来る、耳の肥えた人たち」が生息している。
その厳しい審美眼を持った彼らの前で、私たちは演奏を披露した。
私以外のメンバーは、全員がプロ級の凄腕ぞろいだ。
才川さんの感情をかきむしるようなギターソロは私が聴き惚れるほどの技術を持っているし、そこに金剛寺さんの地鳴りのようなドラム、凛ちゃんの重厚なベース、小清水さんの彩り豊かなキーボードが加わる。
私のギターとボーカルは、その分厚い音の壁に乗っかっているだけのオマケ程度のものだ。
それでも、日々の狂ったような反復練習の成果なのか、夏よりも確実に声は出ているし、指も動くようになっている。
私たちの「本物の音」がライブハウスの常連たちに受け入れられ、口コミで広がり、コアなファンを獲得できたこと。
それこそが、今回の単独ライブ成功の最大の要因だった。
* * *
ライブハウス。
強いスポットライト。
視界を白く染める光の束。
私は極度の人見知りでコミュ障だが、不思議なことに、あのステージの上に立っている時だけは、自分の中の不要な感情がすべて削ぎ落とされる感覚があった。
他者の視線への恐怖や、日常の鬱屈としたノイズ。
それらが完全に消え去り、無心になって自分の肉体という楽器を操作できる。
冬の最後のライブでも、私はトランス状態の中で、一度のミスもなくすべてのセットリストを歌いきり、弾き切った。
だが、単に「無心になれる」というだけではなかった。
学園祭の時にも薄々と感じていたことだが、曲のサビに入り、サブボーカルである才川さんと声の波長を合わせる瞬間。
――呼吸。
――発声。
――共鳴。
私の不器用で直線的な声に、才川さんの明るく艶やかな声が絡みつく。
二つの全く違う色の声が、空中でぶつかり、溶け合い、一つの巨大なうねりとなって、熱狂する大勢の観客の頭上へと降り注いでいく。
その瞬間、私の背筋を、電気のようなものが駆け抜けるのだ。
(ああ……気持ちいい)
マイクを握りしめながら、私は明確にそう感じていた。
日頃はマイナス思考の沼に沈み、明日が来ることすら恐れている私が、ステージ上で才川さんと声を重ね合わせているこの一瞬だけは、心の底から「楽しい」と思えた。
――まさか。
まさか私の灰色の青春時代に、「嬉しい」とか「楽しい」なんていう、眩しい感情を抱く日が来るなんて、思ってもみなかったことだ。
一瞬でも、自分という存在の価値を肯定できた。
生きている実感を持てた。
それは間違いなく、私を強引にこの光の中へ引きずり出してくれた、バンドメンバーのみんなのおかげだった。
* * *
しかし。
冬休みが終わり、三学期が始まると、残酷なほどあっさりと魔法は解けた。
私はまた、学校という息の詰まる閉鎖空間で、極力気配を消して風景の一部となる元の生活に戻った。
教室の隅で息を潜め、チャイムが鳴れば逃げるように家に帰り、自室にこもってギターと歌の練習に打ち込む。
ライブでの高揚感は夢だったのではないかと思うほど、私の日常は相変わらず鬱屈としていて、憂鬱なもので満たされていた。
ちなみに、二度のライブを終え、私の銀行口座には『KANADE-ZAKURA』から出演料として、高校生としては破格の金額が振り込まれていた。
だが、私はそのお金に一切手をつけることなく、通帳の数字をそのまま眠らせている。
使い道がないというのもあるが、それ以上に私には明確な目的があった。
(……私は将来、きっと――まともに働くことなどできない)
これは悲観ではなく、自己分析に基づいた冷静な事実だ。
挨拶すらまともにできず、他人の目を見て話せない私が、集団社会に適合して普通の会社員になれるわけがない。面接の段階で落とされるか、運良く入社できても三日で心を壊して退職するだろう。
だから、今――口座にあるこのお金は、来るべき『完全ニート生活』のための防衛資金なのだ。
将来、親に見放されても細々と生き延びるための命綱。
備えあれば患いなし。
私は通帳を机の引き出しの奥深くにしまい込み、再び灰色の日常を低空飛行でやり過ごしていった。
* * *
そんなこんなで時は過ぎ、冷たい風の中に微かな暖かさが混じり始めた頃。
季節は、いよいよ春休みを目前に控えていた。
ある日の昼休み。
いつものように、私と才川さんと金剛寺さんの三人で机をくっつけ、お弁当を食べていた時のことだ。
「そういえば、春休みの予定なんだけど」
才川さんが、唐揚げを口に放り込みながら、いかにも何気ない風を装って口を開いた。
私の第六感が、強烈な危険信号を発する。
過去の経験上、彼女がこのトーンで切り出す話題は、間違いなく私の平穏な生活を根底から破壊する爆弾だ。
「……何か、あるのか?」
金剛寺さんが、卵焼きを齧りながら尋ねる。
「ええ。決めたの」
才川さんは、不敵な笑みを浮かべて、いつもの思いつきの無茶ぶりを炸裂させた。
「春休みは、遠征するわよ」
遠征。
その二文字が、私の脳内でこだまする。
「おっ、遠征! 県外に行くのか! いいねえ、燃えてきたぜ!」
金剛寺さんは、相変わらず何も考えずに喜んでいる。
「…………」
私は箸を持ったまま、完全に硬直した。
地方都市のライブハウス。
見知らぬ土地。見知らぬ客。完全なるアウェーの環境。
極度のインドア派でコミュ障の私にとって、自分のテリトリーから遠く離れた場所へ行くというだけでも、凄まじいストレスだ。
しかし、当然ながら私に拒否権などない。
暴君の勅命は絶対だ。
私は心の底で絶望の溜め息をつきながらも、ほんの少しだけ……またあのステージで、みんなと音を合わせられることに、微かな胸の高鳴りを感じてしまっている自分に気づいていた。




