第31話 きららチャレンジ
(吉良雲母の視点)
「へ、へぇー……学園祭で、ライブですか……」
「うん、そうなの! すっごくお客さんが入ってね、最高に楽しかったわ!」
カフェのテーブル越しに、才川さんはキラキラとした笑顔でそう語った。
命の恩人であり、私をアルバイトとして拾ってくれた彼女が振ってくる眩しい話題に対し、私はひきつった笑みを浮かべて、なんとか無難な相槌を打つことしかできなかった。
極度のコミュ障であり、会話のキャッチボールが絶望的に下手な私だが、才川さんはコミュニケーション能力のバケモノ――というか、放っておいてもほとんど一人で楽しそうに喋り続けてくれるので、なんとかやり取りを成立させることができている。
(しかし、文化祭か……。私には、いい思い出なんて一つもないな)
ストローを噛みながら、私は自身の高校時代に思いを馳せた。
底辺を這いつくばるような、灰色の青春。
私にとって学校行事とは、参加を強要される苦痛のイベントでしかなかった。
いかに目立たずに、周囲の風景と同化して、無難にやり過ごすか。息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つことしか考えておらず、楽しむどころの話ではなかった。
しかし、目の前にいる才川さんは私と違い、自分の結成したバンドでステージに立ち、自らの手で演奏をして大勢の観客を熱狂させたという。
(完全に、別世界の話だわ……)
住む次元が違いすぎる。
そんな卑屈な感想を抱くと同時に、私の脳内に、ふとあるビジネス的な閃きが降りてきた。
「あ、あの……才川さん」
「ん? どうしたの、吉良さん」
「その、文化祭で演奏したという曲を、ちゃんとした機材で動画に撮って、サイトで配信するのはどうでしょうか?」
目の前でパフェを頬張るこの明るい女子高生は、バンドのリーダーであり、驚くべきことに株式会社の社長でもあった。
彼女たちのバンド『KANADE-ZAKURA』のオリジナル曲は、すでに音楽配信サイトに登録されており、再生数は千回を超えている。結成したての無名な高校生バンドとしては、かなりの好成績だと思う。
私も実際に配信されている曲を聴いてみたが、心を激しく揺さぶられる、とてつもなく良い曲だった。今はまだ埋もれているが、何か一つバズるきっかけさえあれば、きっと爆発的に伸びるに違いない。
才川さん自身、自分のギター演奏動画にかなりの視聴者を抱えている。
いずれは、そこからバンドの曲へ視聴者を誘導するという戦略を立てており、折を見て実行する気でいるらしかった。
しかし、その切り札を切る前に、他のアプローチ――「文化祭の熱狂」という、学生バンドならではのエモーショナルな付加価値をつけたライブ風動画――を試しておくのも、マーケティングとして非常に有効だと思ったのだ。
私の拙い説明を聞いた才川さんは、「それ、すっごくいいアイデアね! 採用!」と即決した。
こうして、私のようなゴミ捨て場出身の底辺人間の提案が採用され、後日、動画の収録を行うことになったのである。
* * *
収録当日。
私はバッグを提げて、駅前のライブハウスへとやってきた。
黒く塗られた重厚な扉。
地下へと続く、薄暗いコンクリートの階段。
才川さんに付き添われてでなければ、私一人ではとても入ることさえできない、恐ろしい場所だ。
ビクビクしながら階段を下り、楽屋のドアを開ける。
中に入ると、パイプ椅子に座って何やら書き物をしている、日焼けで褐色の女子高生がいた。
金髪に染めた髪。
鋭い三白眼。
耳には複数のピアス。
私の最も恐れる、カースト最上位の肉食獣の気配がした。
「萌、この人が吉良さんよ! 動画の撮影をしてくれるの」
才川さんが明るく紹介する。
金剛寺さんというらしい。このライブハウスのオーナーの娘であり、バンドのメンバーでもあるとのこと。
彼女は、シャーペンを動かす手を止め、ちらっと鋭い視線をこちらに向けた。
「……よろしく」
地を這うような低い声。
それだけ言うと、彼女は再び机に向かい、書き物の続きに取り掛かった。
よく見れば、彼女が熱心に解いているのは、学校の数学の宿題だった。
集合時間までの間、真面目に課題をこなしているらしい。極めて学生らしい、正しい時間の潰し方だ。
それはいいのだが、いかんせん見た目が怖すぎる。
「……よ、よろしく、お願い、します」
私は極限まで身体を縮こまらせ、邪魔をしないように、それだけを言うので精一杯だった。
睨まれただけで心臓が止まるかと思った。
殺されなくて本当によかった。
それからしばらくして、もう一人のメンバーが楽屋に現れた。
メインボーカルを担当しているという、細川桜さん。
彼女は、金剛寺さんとは全く違った意味で、非常に話しにくい相手だった。
「……おはようございます」
ボソボソとした消え入りそうな声。
瞳の焦点が合っておらず、完全に無表情で、何を考えているのか全くわからない。
彼女から発せられる「他者との関わりを拒絶するオーラ」は、私自身のそれと酷似していた。
(本当に、この子が、あの歌を歌っているの?)
私は、部屋の隅でギターのチューニングを始めた細川さんを盗み見ながら、強烈な違和感を覚えていた。
配信サイトで聴いたあの曲。
魂を削り出すような、切実で、力強くて、それでいてどこか透き通るような圧倒的なボーカル……。目の前で猫背になっているこの陰気な少女から、あんな声が出るとは到底思えない。
(……きっと、音源はパソコンのソフトか何かで、機械的に歌声を弄っているのだろう)
今の時代、ボーカルのピッチや声質を後から加工するなんて当たり前の技術だ。
元の声が小さくても、機械の力を使えばどうにでもなるのだろう。私は自分の中で勝手にそう結論づけ、カメラのセッティングを進めた。
* * *
機材の準備が整い、メンバーが定位置についたことで、いよいよ演奏を開始することになった。
今回の撮影での編成は、メインボーカルとギターの細川さん、リードギターとサブボーカルの才川さん、そしてドラムの金剛寺さんのスリーピースだ。
ベースの井上凛子さんと、キーボードの小清水涼音さんは遠方に住んでいるため、今日は通信で参加。二人が別録りした映像と音源を後で送ってもらい、私が編集で一つの動画にまとめるという段取りになっている。
「それじゃ、回します……」
私はビデオカメラの録画ボタンを押し、息を呑んだ。
静寂を切り裂き、曲が始まる。
――ズドンッ。
空気が、物理的な質量を持って私にぶつかってきた。
口火を切ったのは、才川さんの圧倒的なギターソロ。滑らかな運指から放たれる、雷鳴のようなディストーションサウンド。
それに続く、金剛寺さんのドラム。
見た目の迫力そのままの、腹の底まで響き渡るような重厚で正確なビート。
たった二人で鳴らしているとは信じられないほど、レベルの高い暴力的なまでの音の分厚さ。
そして。
その轟音の渦の中へ、マイクを握りしめた細川さんが踏み込んだ。
『――――ッ!』
放たれた声に、私の全身の産毛が総毛立った。
機械による加工?
ピッチ補正?
とんでもない。
それは、私の浅はかな疑念を粉々に打ち砕く、圧倒的な『生』の力だった。
普段の消え入りそうな声からは想像もつかない、どこまでも伸びていく力強い高音。不器用な魂の叫びがそのまま音符に乗ったような、痛切で、それでいて天使のように美しい歌声。
彼女が息を吸い、声を放つたびに、ライブハウスの空気が震え、私の鼓膜と心臓を直接揺さぶってくる。
(音楽って、生で聴くと……こんなに凄いんだ……)
私はカメラのファインダー越しに、ただただ圧倒されていた。
灰色の人生を生きてきた私の網膜に、彼女たちが放つ強烈な光が焼き付いていく。あんなに弱々しかった細川さんが、今はまるでステージを支配する絶対的な存在に見えた。
涙が出そうになるのを必死に堪えながら、私は震える手でカメラを固定した。
この奇跡のような瞬間を、一秒たりとも逃してはならない。
一滴の熱もこぼさずに、世界に届けなければならない。
私は熱狂の渦の中で感動に打ち震えながら――
ただ無心で、彼女たちの姿を撮影し続けた。




