第27話 軽音部の宿敵
(軽音部のエース、朝日奈陽菜菜の視点)
夏休みの部室は、特有の埃っぽさと、アンプから発せられる微かな熱気に満ちている。
私たち軽音部は、秋の文化祭に向けて連日厳しい練習を重ねていた。
部内オーディションを勝ち抜き、晴れのステージに立てるのは限られた人間だけだ。誰もがその切符を掴むため、指の皮が擦り切れるまで弦を弾いている。
そんな真夏のある日、部員たちの間で、とある噂が瞬く間に広がった。
「ねえ、聞いた? あの才川さんが、バンド組んだらしいよ」
才川奏。
この学校にいて、その名前を知らない者はいないだろう。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。底抜けに明るく、生徒からも教師からも絶大な人気を誇る、いわば『学校の顔』だ。
そんな彼女がバンドを作った。
そこまではいい。
才能の塊のような彼女なら、楽器の二つや三つ、すぐに弾きこなすだろうから。
しかし、噂には続きがあった。
「しかもね、もうライブハウスで演奏してるんだって」
その言葉を聞いた瞬間、私はチューニングペグを回す手をピタリと止めた。
(……ライブハウスで?)
それは、高校生の活動範疇を越えている。
お客さんからチケット代という名目でお金を取り、その対価として音楽を提供するプロの世界の入り口だ。
音楽でお金を稼ぐ。
それは決して生半可な覚悟で踏み込める領域ではない。
毎日基礎練習を欠かさず、音楽に真摯に向き合っている私にとって、その情報は到底聞き流せるものではなかった。
「……すごいわね」
私は努めて冷静な声を取り繕い、噂話で盛り上がる部員たちに尋ねた。
「でも、結成したばかりなんでしょ? お客さんはどのくらい入っているの?」
知り合いや身内だけを集めた、いわゆる『お披露目会』のようなものだろう。
そう高を括っていた。
しかし、返ってきた答えは私の予想を少しだけ裏切るものだった。
「それがさ、一緒に組んでる金剛寺さんっているじゃん? あの、ちょっと怖い感じの。彼女の実家がライブハウスらしくてさ」
「ああ、なるほど」
「で、知り合いのバンドが呼んだお客さんの前で、ちょっと演奏させてもらったみたいなんだよね」
私はそれを聞いて、胸の奥で小さく息を吐き出した。
(……なんだ。そういうことか)
自分たちの実力で観客を呼んだわけではない。
金剛寺さんの実家という『コネ』を使い、他のバンドが集めたお客さんの前で、いわば前座のようにお情けで演奏させてもらったに過ぎないのだ。
論理的に考えれば、嫉妬するような実績ではない。
しかし。
見ず知らずの大勢の観客の前で演奏し、拍手を浴びた(らしい)というのもまた、覆しようのない事実だった。
私たちは、この狭い部室で、ただ文化祭のステージに立つことだけを目標に汗を流している。
だというのに、彼女たちは持ち前の『人気』と『コネ』を使って、私たちがまだ見たこともない景色を、いとも簡単に手に入れてしまった。
まるで、地道に階段を登っている横を、特権階級の専用エレベーターで一気に追い抜かれたような感覚。
なんだか負けたような、理不尽に先を越されたような気がして、私の心の中には泥のような不快感が沈殿した。
悔しかったのだと思う。
だから私は意地を張り、そのライブを実際に見に行くことはしなかったし、新学期が始まってから『配信が開始された』と噂されていた彼女たちの曲を、一度として再生することはなかった。
認めたくなかった。
ルールも踏まずにショートカットしていく彼女たちを。
* * *
そして、運命の文化祭が始まった。
私たちの不快感を煽るように、才川さんのバンドは当然のようにステージ枠を獲得していた。
それも、一番人が集まる大トリに近い、最高の時間帯だ。
本来なら、軽音部がメインを張るべきステージ。
しかし、教師たちから好かれ、圧倒的なカリスマ性を持つ彼女の頼みを、実行委員は無下にできなかったのだろう。
(……本当に、何でも思い通りになる人ね)
私は、その不平等な現実がどうしようもなく気に入らなかった。
私の後ろにいる軽音部の部員たちも、はっきりと声には出さないけれど、同じような鬱屈とした思いを抱えているのは痛いほどわかった。正規のルートで努力してきた私たちが、なぜぽっと出の素人集団に割りを食わなければならないのか。
それでも、私たちは自分たちの役割を全うした。
熱気に包まれた体育館。私たちは軽音部の一軍として、ステージに立った。
結果は、完璧だった。
寸分の狂いもないアンサンブル。正確なピッキング。日頃の厳しい練習の成果が、十二分に発揮された最高のライブだった。
歓声と拍手を全身に浴びながら、私は客席の最後方に視線をやった。
そこには、才川さんたちの姿があった。
バンドメンバーを引き連れての、明らかな敵情視察。
私は、ギターを弾きながら彼女たちの表情をちらっと盗み見た。
てっきり、私たちの圧倒的な演奏に圧倒され、青ざめているかと思った。
だが、違った。
才川さんも、金剛寺さんも、その横にいる見慣れない二人の女子生徒も。
彼女たちは皆、私たちの演奏を「ふーん、なかなかやるじゃない」とでも言いたげな、余裕の笑みを浮かべて見下ろしていたのだ。
ギリッ、と奥歯を噛み締める。
気に食わない。
あの、底の知れない余裕が。
だが、その不遜な集団の中で。
ただ一人だけ、明らかに異質な存在がいた。
才川さんの影に隠れるようにして立っている、見覚えのある女子生徒。
名前は確か――細川桜さん、だったか。
普段は教室の隅で気配を消している、極めて地味で目立たない子だ。
彼女だけは、才川さんたちとは違っていた。
ステージ上の私を見た細川さんの顔は、まるで死神に肩を叩かれたかのように蒼白で、目には焦りとも絶望ともつかない色が浮かんでいた。
(……具合が悪いのかしら?)
そう思ったのも一瞬で、すぐに違うと気づく。
恐らく彼女は、才川さんの気まぐれなバンドごっこに巻き込まれ、数合わせとして入れられただけなのだろう。
才川さんたちの横暴に付き合わされている、可哀想な生贄。
けれど、音楽に対しては真剣なのだ。
だから、あんな顔をしている。
これからステージに立って演奏しなければならない。
私たちと比べられることになる。
他のメンバーは楽しければそれでいいお遊びだけど、彼女だけは比べられることを恐れている。
気の毒に思ったけれど、どうしてあげることもできない。
少し申し訳ない気持ちのまま、私はステージを後にした。




