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ガールズバンド【KANADE-ZAKURA】 ~最強バンドのメンバーに、何故か紛れ込んでいる私~  作者: 猫野 にくきゅう
本編

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第26話 口下手な私

「あなた、これから演奏するバンドの人よね?」


 静まり返った廊下。

 誰もいない教室の入り口で、私は軽音部のエース、朝日奈陽菜菜あさひな ひななさんに退路を塞がれていた。


 先ほどのステージで圧倒的な実力を見せつけた、私の完全なる上位互換。

 白いテレキャスターを背負った彼女の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いている。


「……」


 私は突然のことに、極度の緊張で喉が引き攣り、言葉を返すことができなかった。無表情の裏側で、脳内だけがけたたましく警報を鳴らしている。


「ライブハウスに出演している本格派って聞いてるわ」


 朝日奈さんは、一歩踏み出して私の顔を覗き込んだ。


「さっき、教室で弾いている音、聞かせてもらったけど……なかなかやるじゃない。リズムが全くブレてなかった。あなたが、あのバンドのエースね」


「……?」


 思わず、間抜けな声が漏れそうになった。

 辛うじて飲み込んだが、私の脳内コンピューターは完全にフリーズした。


 この人は、何を言っているのだろうか?


 エース? 

 ……私が? 


 才川さんという超絶天才ギタリストを擁するバンドにおいて、足手まといの代名詞たるこの私が?


 不安に苛まれた私の練習音を聞いて、何をどう評価したというのか。


(……そうか。これは『皮肉』というやつね)


 数秒のフリーズを経て、私の思考回路は一つの論理的結論を導き出した。


 彼女は、私の底辺レベルの実力をとっくに見抜いているのだ。

 その上で、あえて「あなたがエースね」とおだて上げ、身の程知らずのプレッシャーを与えることで、本番で私を自滅させようとしているのだ。


 なんという高度な悪口。

 なんという恐ろしい心理戦。


 朝のジャブに続き、これが本命の精神攻撃か。


「でも、才川さんのお遊びに付き合うのも大変でしょ?」


 朝日奈さんは、ふと声を潜め、真剣な表情で言った。


「あなたさえよければ、軽音部に来ない? うちなら、もっとちゃんと音楽がやれるわよ」


「……」


 これもトラップだ。

 私を引き抜くふりをしてバンドを崩壊させ、後で「嘘に決まってるじゃない」と笑うつもりなのだ。

 軽音部の頂点に立つ人間は、盤外戦術のレベルも桁違いらしい。


 それはともかく、話しかけられた以上、ここで沈黙し続けるのは良くない。

 何か言い返して、この場を切り抜けなければ。


「……あの、私は軽音部には入りません」


 絞り出すようにそれだけを告げると、私は回れ右をして、逃げるように体育館への廊下を早歩きで進んだ。背中にどんな視線が突き刺さっているか、振り返る勇気はなかった。


 * * *


「次は、有志バンド『KANADE-ZAKURA』の皆さんです!」


 体育館のステージ裏、薄暗い控室。

 幕の向こうから、司会進行の生徒の明るい声と、パラパラとした拍手が聞こえてくる。


 いよいよ、私たちの出番だった。


「いよいよだわ。楽しみね、細川さん!」


 隣に立つ才川さんが、キラキラと目を輝かせて私を振り返った。

 出番直前だというのに、彼女には微塵の緊張も見られない。


 まさに生まれながらのスターだ。


「……」


 何と答えたものだろうか。


 楽しみ、なんて感情は一ミリも存在しなかった。

 私の胃袋は雑巾のように絞り上げられ、心臓は口から飛び出しそうだ。できれば今すぐギターを投げ捨てて、この場から逃げ出したい。


 朝から軽音部の二軍に陰口を叩かれ、先ほどは一軍のエースから直々に高度な心理攻撃を受けた。


 精神攻撃は確実に私の存在理由を削り取り、心はすでにボロボロだった。


(きっと、ステージに立ってしまえば、歌うことは問題なくできる)


 ライブハウスで初舞台を踏んだ時もそうだった。

 マイクの前に立ち、音が鳴り始めてしまえば、感情をシャットアウトして心を無にできる。


 私は自分を「歌う機械」として操縦することには長けているのだ。

 けれど、ステージに立つまでのこの「待機時間」は別だ。逃げ出したいという衝動が、波のように何度も押し寄せてくる。


 私一人だけなら、きっととっくに逃げ出していただろう。


 大した実力もなくて、みっともなくて、不格好な自分。

 そんな姿を、全校生徒という大勢の他人の目に晒されることが、死ぬほど怖くて嫌だから。


 それでも、私は逃げなかった。


 私のせいで、才川さんや金剛寺さん、曲をアレンジをしてくれた凛ちゃんや小清水さんの顔に泥を塗るわけにはいかない。バンドの仲間にだけは、絶対に迷惑をかけられない。


 その細いけれど強靭な一本の糸だけで、私はかろうじてこの場所に踏みとどまっていた。


「……うん」


 才川さんの問いかけに対し、私は短く肯定を返した。


 決して楽しくはない。

 けれど、私は逃げない。


 そういう覚悟を込めた、小さな相槌だった。


 * * *


 幕が上がり、体育館の照明が私たちを照らし出した。

 目の前には、想像以上の数の生徒たちがひしめき合っている。顔の広い才川さんの呼びかけが功を奏したのだろう。


「みんな、集まってくれてありがとう! 最後まで楽しんでいってね!」


 才川さんのよどみないMCが、一瞬で観客の心を鷲掴みにする。

 そして、一拍の静寂の後、演奏が始まった。


 口火を切るのは、才川さんのギターソロ。


 凛ちゃんと小清水さんが再構築した、ドラマチックで攻撃的なイントロ。才川さんの指がフレットの上を踊り、圧倒的な音圧が体育館を揺らす。


 その高度な技術と華やかさに、観客から「おおっ」というどよめきが上がった。


 そこに、凛ちゃんの重厚なベースと、金剛寺さんのドラムビートが重なる。

 私も、コードをかき鳴らしながらその渦に加わっていった。


 選んだ曲は、誰もが知っている有名アーティストのナンバー。

 孤独を抱えた女の子が、不器用ながらも世界から祝福されるような、切なくも力強い楽曲だ。


 メインボーカルは私だが、今回の文化祭用アレンジでは、私の負担を減らす(という私の生存戦略の)ため、才川さんにも多くのボーカルパートを担ってもらっている。


 Aメロ。

 私はいつものように、心を無にしてマイクに向かった。


 ピッチを外しさえしなければいい。

 自分を機械的に操縦し、正確に声を乗せていく。


 だが、サビに差し掛かり、才川さんとのコーラスが重なった瞬間だった。

 圧倒的な音の奔流の中で、ふと、視界がクリアになった。


 目の前には、私たちの音に体を揺らす大勢の生徒たちがいる。


 いつもは教室の隅っこで身を縮め、なるべく存在を消すことをモットーに生きてきた私が、今、スポットライトの中心で、マイクを握りしめ、腹の底から大声を出している。


 自分の声が。

 私たちの鳴らす音が。

 この広い空間の、隅々にまで響き渡っている。


 隠れるのではなく、曝け出している。

 自分という存在を、世界に向けて放っている。


(あぁ……なんだか)


 心拍数が、ドラムのビートと完全に同期していく。

 指先から伝わる弦の振動が、血管を通って全身を駆け巡る。


 背負っていたプレッシャーも、軽音部への恐怖も、底知れない自己卑下も、あふれ出す音符の波に押し流されて消えていく。


 歌うことが。

 音を鳴らすことが。


 ――楽しくなってきた。


 私は、能面のような顔をわずかに崩し、マイクに強く息を吹き込んだ。


 もう機械じゃない。

 震える心臓のまま、私は歌っていた。


 * * *


 最後のジャーンというコードが鳴り止むと、体育館は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


 熱狂の中、幕が下りる。


「あーっ! 楽しかったね、細川さん!」


 ステージ裏に戻るなり、汗だくの才川さんが満面の笑みで私に抱きついてきた。

 金剛寺さんも「おう、やりきったな」と満足げに笑っている。


 私は、荒い息を吐きながら、才川さんの顔を見つめた。


 きっと、才川さんに強引に誘われなければ、私はバンドを組むことなど一生なかった。皆の前で大声を張り上げて歌うなんて、想像すらしていなかった。


 自分一人の暗い部屋で、誰に聴かせるわけでもなくギターの練習をしていれば、それで満足だったはずなのだ。


 彼女と一緒でなければ、私は絶対に、今の私にはなれなかった。

 ステージの上で「楽しい」と感じる――こんな自分に出会うことはなかっただろう。


 だから、とても感謝している。


 太陽みたいなあなたに、日陰から引っ張り出してもらえたことを。

 そして、今日は本当に、心の底から楽しかった。


 言いたいことは、山ほどあった。

 でも、私は絶望的なまでに口下手だ。脳内に溢れる一万文字の感謝の言葉を、上手く音声に変換する機能が備わっていない。


 だから私は、才川さんの抱擁を不器用に受け止めながら、今日一番の感情を込めて、たった一言だけ言葉を紡いだ。


「……うん」


 短く返したその言葉は、出番前の義務的な響きとは違う。

 しっかりと、心のこもった相槌だった。

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