第18話 夏休みの宿題と、頼れる(?)家庭教師
ジリジリと焦げるようなセミの鳴き声が、窓ガラスを越えて部屋の中にまで響いてくる。
冷房の効いた涼しい自室で、私はギターを抱えながら、今年の夏休みの異質さをひしひしと噛み締めていた。
これまで「夏休み」といえば、誰とも会わず、一歩も外に出ず、ひたすらに息を潜めてやり過ごすだけの灰色の期間だった。
しかし、今年の夏は違う。
私は結構な頻度で、幼馴染の凛ちゃんと過ごしている。
ライブの出演が立て続けにあるため、彼女がこっちに泊まりに来る機会が増えたのだ。音楽活動の合間に、一緒にゲームをしたり、他愛のない話をしたりと、純粋に遊ぶ時間もできて本当に嬉しかった。
さらに、そこに小清水さんも合流して、三人でこのあたりのお店を回ったりもした。本来なら地元民である私が案内すべきなのだが、引きこもり気質の私が近所のオシャレなカフェや雑貨屋に詳しいはずもない。
結局、ふたりが事前にスマホで調べたお店を、私が金魚のフンのようにくっついて見て回るという形になった。
地元民としての面目丸つぶれである。
しかし、私には最初から見栄を張るような立派な仮面など備わっていないので、今更恥じることもない。
「友達と外で遊ぶ」という(こちらに転校してきてからは)未知の体験――。それは、私の灰色の夏に鮮やかな色彩を落としてくれていた。
バンド活動の方も順調だ。
初ライブでの反響が思いのほか大きく、あれから金剛寺さんのお兄さんのバンドのツテや、他の知り合いのバンドからの誘いで出演機会を貰い、私たちは着実に人前で演奏する経験を積んでいる。
私はSNSをやっていないし、チェックもしていないので詳しいことは分からないが、才川さんの分析によればネットでの評判も上々らしい。私たち目当てでライブハウスに足を運んでくれるお客さんも増えているそうだ。
(でも、それって絶対に、私以外の四人の演奏がプロレベルだからなんだよなぁ……)
私は一人、深くため息をつく。
違いの分かる人が聴けば、あの四人の圧倒的な凄さにすぐに気づくはずだ。
私も足を引っ張らないようにと必死でギターの練習をしているが、技術というのはそう簡単には上達してくれない。
この前のライブでも、私はギターのコードチェンジで簡単なミスをしてしまった。
お客さんには多分バレていないような、ほんの小さなミスだ。
しかし、メンバーの耳をごまかせるはずがない。
『細川さんは、ボーカルに集中してるから仕方ないわ』
終演後、落ち込んでいた私に、才川さんは優しくそうフォローしてくれた。
しかし、私のひねくれた被害妄想フィルターを通すと、その言葉の真意は全く別のものに変換される。
(きっと心の中では、『こんな簡単なコードも弾けないなんて、マジで足手まといなんだけど』って文句が渦巻いているに違いない……!)
いつか、才川さんの中に眠る「異世界で冒険者をしているパーティリーダー」の人格が目を覚まし、冷酷な表情で「あなたはクビよ。武器と防具を置いて出て行きなさい」と言い出すのではないかと心配になる。
私は気が気ではなかった。
現状、バンドのボーカルというポジションはなり手がなかなかいないので、代わりの候補が現れるまでは安泰だとは思う。
つまり今は、執行猶予期間なのだ。
いつクビを切られてもおかしくない。
そんな、崖っぷちの状況であることには変わりない。
(早く、早くギターを上達しなくちゃ……!)
強迫観念に駆られ、ピックを握る手に力を込めたその時。
ピンポーン、と。
突然、玄関のチャイムが部屋に響き渡った。
ビクッと肩を震わせ、恐る恐るインターホンのモニター画面を確認する。
そこには――
夏の強い日差しの中、日傘をさして歩いて来たのだろう。
微笑む才川さんの姿が映っていた。
(……えっ? どうしてウチの場所が分かったんだろう?)
一瞬、疑問が走った。
住所を教えた記憶はない。
しかし、すぐに思い当たった。
そういえば、初ライブの打ち上げの後、私と凛ちゃんと小清水さんは、才川さんのお母さんの車で、それぞれの家とホテルまで送ってもらったのだ。
あの時、一緒に車に乗っていた才川さんは、ご丁寧にマンションのエントランスまで私を見送りに来てくれた。
おそらくあのわずかな時間の間に、私がオートロックを解除する部屋番号や、ポストの表記などを目で追って、完璧に情報をインプットしたのだろう。
才川さんの用意周到さは底知れない。
一瞬のホラー演出を味わった気分だが、今はクビの恐怖に怯える身である。
彼女の機嫌を損ねるわけにはいかない。
私は特に気にしないことにして、慌てて玄関のドアを開けた。
「細川さん、おはよー!」
「突然来て悪いな。今、大丈夫か?」
ドアの向こうには、才川さんだけでなく、金剛寺さんも一緒に立っていた。
「……大丈夫」
私は小さく答えて、ふたりを冷房の効いた部屋へと招き入れた。
「一緒に宿題しましょ!」
部屋に入るなり、才川さんが元気よく宣言した。
「こいつが、細川の家でやるって聞かなくてさ」
金剛寺さんが、頭を掻きながら呆れ気味に説明してくれる。
どうやら、勉強が苦手な金剛寺さんは、いつも成績優秀な才川さんに夏休みの宿題を手伝ってもらっているらしい。
今年も手伝ってもらおうと才川さんを訪ねたところ、才川さんが「細川さんの家でやる!」と駄々をこねて、一緒にここまで来たみたいだ。
「細川さんも、宿題全然進んでないでしょ?」
才川さんの鋭い指摘に、私は言葉を詰まらせた。
そういえば、完全に忘れていた。
もともと私は成績が良くない底辺層の住人だ。
夏休みの宿題も毎年さぼりがちなのだが、今年はバンド活動や、凛ちゃんたちとのお出かけなどで忙しく、机に向かうことすらしていなかった。
馬鹿でどんくさい私を心配した才川さんが、金剛寺さんを巻き込み宿題の面倒を見に来てくれた。そして、その懸念は的中している。
さすがはパーティリーダーだ。
私が勉強で手間取れば、バンド活動にも支障が出てしまう。
断る理由はない。
私は金剛寺さんと一緒に、才川先生のお世話になることが決定した。
ローテーブルにノートやドリルを広げ、勉強会がスタートする。
「んー、わかんねー。ちょっと、休憩しよーぜ?」
だるそうにシャーペンを回しながら、金剛寺さんがうめき声を上げる。
「ほら、さぼらないの。ここは公式に当てはめるだけでしょ。はい、ここやり直し」
才川さんが、有無を言わさぬ淡々とした、しかし論理的で分かりやすい指導を入れる。
その横で、金剛寺さんと同じく成績の悪い私は、自分に飛び火しないように息を潜め、黙々とドリルに向かって鉛筆を動かしていた。
金剛寺さんは私に「うちら、同類だよな」という親近感を持った目を向けてくるが、私はただひたすらに気配を消すことに努める。
(自分の家で、クラスメイトと勉強会だなんて……)
ふと手を止め、喧騒に包まれた自室を見渡す。
金剛寺さんのボヤキと、才川さんの的確なツッコミ。
窓の外のセミの声と、微かに響く冷房の稼働音。
こっちに引っ越してきて、引きこもっていた頃には考えられなかった光景だ。
他人が自分のパーソナルスペースに入り込むことにあんなに抵抗があったはずなのに、今は不思議と嫌な気がしなかった。むしろ、胸の奥がじんわりと温かくなるような圧倒的な日常感が、そこにあった。
* * *
夕暮れ時。
オレンジ色の光が部屋に差し込む頃、嵐のような二人は帰っていった。
結局、膨大な量の宿題を全て片付けるには至らなかった。
しかし、床に転がった消しゴムのカスを拾い集めながら、私はこれまでにない心地よい疲れと、確かな達成感を感じていた。
また明日も、彼女たちと一緒にバンドをして、一緒に笑うのだ。
クビになる恐怖は相変わらず消えないけれど。それでも、ほんの少しだけ、前を向いて歩いていけそうな気がした。




