第13話 加速する歯車
季節は七月。
ジリジリとした陽射しがアスファルトを焦がし、梅雨の湿気がまだ微かに残る息苦しい空気の中、私と才川さんの作詞作業がようやく完了した。
金剛寺さんの方針は「とにかく数が欲しい。一つの曲のクオリティーにこだわるより、多くの可能性を探る」という体育会系かつ合理的なもので、私と才川さんはそれぞれ二曲ずつ、計四曲の歌詞を書き上げた。
しかし、その中身たるや、どうにもいびつなコントラストを描いていた。
私が書いた歌詞は、端的に言えば「日陰者のサバイバル」だ。
『朝起きると、まぶたの裏に悪夢がへばりついている。そして始まる、地獄のような一日。誰の視界にも入らないように息を潜め、冷たいコンクリートの隅でひっそりと生き延びる――』
……我ながら、ため息が出るほど暗い。
これはただの、私の陰鬱な日常と思春期のルサンチマンを書き殴っただけの日記だ。これを人前で歌うなんて、自分の腹をかっさばいて内臓を見せびらかすようなものではないか。
一方、自信満々で提出された才川さんの歌詞は、情熱的な恋愛ソング……の皮を被った「ホラー」だった。
『私に見つからないようにずっと隠れていたなんて、意地悪な人。でも、暗闇の中で震えるあなたを、私は見つけた。ここから新しい世界が始まるの。この先はずっと、ずっと一緒よ。絶対に、逃がさない――』
……怖い。
ただひたすらに重くて怖い。
これを「純愛」だと言い切る才川さんの笑顔が一番怖い。
だが、奇妙なことに、この二つの全く異なる歌詞は――
物語のようにリンクしてしまった。
私が「見つかりたくない、息を潜めて生きる」と歌い、才川さんの曲で「見つけた、もう逃がさない」と歌う。図らずも『獲物と捕食者の終わらない追いかけっこ』というコンセプトアルバムのような一貫性が生まれてしまったのだ。
これがそのまま歌になるわけではないのが救いだ。
作曲を担当する凛ちゃんと小清水さんによってアレンジされる。
二人が作曲したメロディーに、私たちの言葉が乗る。
これでついに、バンド『KANADE-ZAKURA』のオリジナル曲が形になったのだ。
「よし、各自、個人練習はやってきたな。今日はこの四曲、通して合わせるぞ」
地下ライブハウス【GUREN】の薄暗いスタジオ内。
金剛寺さんの掛け声とともに、私たちの初のフルセッションが始まった。
私はもう、恥ずかしさで死にそうだった。
自分の書いた「恥部」のようなポエムと、才川さんの「逃げ場のない愛」を、私自身の口から大音量で叫ばなければならないのだ。
羞恥心を誤魔化すには、何も考えないのが一番だ。
私は目をきつく閉じ、ひたすら無心でギターの弦をかきむしり、マイクに向かって声を張り上げた。
『――朝の光が、私の影を殺す! 息を止めろ、ここは地獄の底だ!』
ドン!
――と金剛寺さんのキックドラムが心臓を打ち抜くように響き、凛ちゃんのベースが地を這うように唸る。小清水さんのピアノが狂騒的に踊り、才川さんのギターが、私の情けない叫びを切り裂いて鮮やかに飛翔する。
(ああもう、どうにでもなれ!)
私は自分の闇に深く没入していった。
真っ暗な泥水を頭から被るような、自暴自棄に近い感覚。
私がただの愚痴として書いた痛々しい言葉たちは、四人の圧倒的な演奏というフィルターを通すことで、無自覚な熱量を帯びた「鋭利な叫び」へと変換されていった。
四曲ぶっ通しの演奏が終わり、アンプのノイズだけがジリジリと耳鳴りのように残る。
私は肩で息をしながら、ようやく固く閉じていた目を開けた。
そして、心臓が口から飛び出しそうになった。
「へー、やるじゃん。萌と奏が自慢していただけあるね」
「はっ、まだまだ。リズム隊と上モノがちょっとばかしずれてるところがあった。まだ甘いな」
いつの間にか、フロアにギャラリーがいたのだ。
見知らぬ派手な髪色の女の人が数名。
腕組みをしてニヤリと笑う金剛寺さんのお兄さん、豪火さん。そして、カウンターの奥から鋭い視線を送ってくる、金剛寺さんのお母さん。
私が蛇に睨まれた蛙のように硬直していると、他のメンバーは全く動じることなく会話を始めた。
* * *
話の内容から察するに、あの見知らぬ女性たちは、このライブハウスを拠点にしているプロかセミプロのガールズバンドのメンバーらしい。
「いやあ、面白えボーカル見つけてきたな。あの病んだ歌詞、飾らない剝き出しの言葉が胸に刺さったわ」
「うん、歌う前は自信なさげに突っ立ってたのに、歌声には妙な説得力があるのよね。原石って感じ」
先輩バンドマンたちが、私を見てそんな恐ろしい評価を下している。
(ち、違います! あれはただの日記で、病んでるんじゃなくて根暗なだけで、胸に刺さったなら今すぐ抜いてください!)
私は必死に弁解したかったが、極度の人見知りが発動して声帯が完全にストライキを起こしていた。
「で? こいつら、いつお披露目するんだ?」
豪火さんの問いかけに、才川さんが満面の笑みで答える。
「夏休みに入ったらすぐ、ライブに出演させてもらうつもりよ。井上さんと小清水さんも、夏休みの間はこちらに滞在できるそうなので――」
えっ?
私の頭の中で、警告音が鳴り響いた。
「とは言っても、結成したばかりの無名の女子高生バンドが自主企画をやったって、客なんか一人も入らねえぞ。箱代はどうする?」
金剛寺さんのお母さんが、ライブハウスのオーナーとして現実的な問題を突きつける。
しかし、才川さんは余裕の笑みを崩さない。
「費用の心配は無用です。私の動画チャンネルの収益を軍資金に回しますから」
「なるほどな。金はあると。なら、うちのバンドのライブの合間に、前座か休憩明けの噛ませ犬としてねじ込んでやってもいいぜ? うちの客なら、面白がって見てくれるかもな」
先輩バンドマンの一人が、面白そうに提案した。
「ありがとうございます! 助かります。今はまだ、地道にファンを増やしていく段階ですから」
……ちょっと待って。
私を置いて、話がものすごいスピードで転がっていく。
(えっ? 見知らぬお客さんの前で演奏? 結成したばかりの私たちが? ……っていうか、ボーカルは私なのに? 人前で、しかもお金を払って見に来る本物のバンギャたちの前で、あのポエムを歌うの? いや、無理無理無理無理無理でしょ!?)
脳内では、緊急事態を知らせる赤色灯がクルクルと回り、サイレンが鳴り響いている。
いますぐ「やめてください、私には無理です」と土下座して頼まなければ――私の平穏なはずだった夏休みが、公開処刑の連続に変わってしまう!
「どう、細川さん? いよいよ私たちの初陣よ」
才川さんが、キラキラとした瞳で私を振り返った。
「……」
私はいつもの無表情で、一言も発せずに立ち尽くしていた。
本当は、あまりの恐怖と絶望に魂が口から抜けかけて、完全にフリーズしているだけだ。喉の奥が干からびて、声の出し方を忘れてしまったのだ。
「ふっ……いいツラ構えだ。少し震えてるが――武者震いってやつか」
豪火さんが、腕を組みながら満足そうに頷いた。
「ええ。彼女はすでに、ステージを見据えてるのよ。内に秘めた闘志が伝わっくるわ!」
才川さんもうっとりと私を見つめる。
違う。
闘志じゃなくて、ただの硬直だ。
武者震いじゃなくて、怯えて震えているだけだ。
私の「沈黙」は、周囲の大人たちや才川さんの目には「ステージに向けて闘志を燃やすアーティストの静寂」という、とんでもなく都合の良いフィルターを通して変換されてしまっていた。
私の意志などお構いなしに、加速する歯車。
こうして、私は一言も反対できないまま、絶望的なライブデビューのステージへと引きずり出されることになってしまったのだった。




