第11話 歌姫(ディーヴァ)降臨
(才川奏の視点)
――完璧だわ。
私は愛用のギターの弦を弾きながら、内心で快哉を叫んでいた。
地下ライブハウス【GUREN(紅蓮)】での、二回目のバンドの集まり。
今日は細川さんの幼馴染である井上さんだけでなく、そのクラスメイトだという小清水さんもリモートで演奏に加わっている。
井上さんのベースは、重厚にして正確無比。
萌のドラムが作り出すビートに、太くうねるようなグルーヴを絡みつかせていく。
そして、小清水さんのピアノ。
お淑やかなお嬢様だと聞いていたけれど、彼女の鍵盤から叩き出される音は、優雅でありながらも非常に攻撃的で、ロックの熱をしっかりと帯びていた。
ふたりとも、かなりの実力者だ。
高校生の遊びレベルなんて、軽く飛び越えている。
(流石は、私の愛する細川さんが選んだ親友たちだわ!)
名君のもとには忠臣が集まる――そんな言葉が頭をよぎる。
神に愛された彼女の周りに天才が集うのは、もはや必然なのだ。
何でも「細川さんの手柄」に変換してしまう私の脳内回路は、今日も絶好調。
五人の音がぴたりと重なった瞬間、胸の奥が一気に熱くなる。
これよ、これ!
せっかくバンドをやるのだから、全力で楽しまなきゃ損だわ。
何事にも本気で向き合う――そんな私が求めていた「最高のメンバー」が、今まさに形になろうとしている。
* * *
「ふぅ……結構いいんじゃねーか?」
演奏後、萌が満足げにスティックを回しながら言った。
普段は音楽に対して妥協を許さないガチ勢の萌も、井上さんと小清水さんの加入にはすっかり乗り気になったようだ。
「これでリズム隊と上モノは揃ったな。あとは、ボーカルも入れて完成させようぜ」
萌のその提案に、私は大賛成だった。
完璧な楽器隊が揃ったのだ。
あとは、私たちの音を束ねる象徴――
バンドの顔が必要だ。
すると、画面の向こうから井上さんが静かに口を開いた。
『ボーカルなら……桜を推薦するわ』
「え?」
私が驚いて細川さんを見ると、井上さんはさらに驚くべき事実を語り始めた。
なんでも、井上さんのお母さんは元バンドマンで、細川さんの内に秘められた「歌声」にいち早く光るものを感じていたらしい。
そして、彼女の声の小ささを矯正するという名目で、過酷なボイストレーニングを徹底的に課して鍛え上げてきたのだという。
(あの華奢で小柄な細川さんが、厳しいボイトレを……!?)
それは、期待せずにはいられないわね。
私はたまらず、隣に立つ細川さんの方をちらりと盗み見た。
彼女は――
沈黙していた。
口を真一文字に結び、視線はどこか遠くの虚空を見つめている。
微動だにせず、私たちの会話に口を挟もうともしない。
(あぁ……なんて凛々しいの!)
私の胸が、ドクンと高鳴った。
普通の女の子が、急にボーカルに推薦されたら「えっ、私!? 無理だよ!」と慌てふためくはずだ。
しかし、彼女は違う。
その表情は、どこまでも冷徹で、自信に満ちた余裕すら漂わせている。
あれは「ついに私の本当の力を解放する時が来たのね」と、内なる怪物を呼び覚まそうとしているプレデターの目だ。多くを語らぬ真の天才の沈黙――これこそが、絶対的王者のカリスマ。
「……どうかしら、細川さん?」
私は、溢れ出しそうな期待を抑え込み、努めて冷静な声で確認を取った。
「……」
細川さんは、静かに、そして深く、こくんと頷いた。
――ッ!!
全身の産毛が総毛立つような鳥肌が立った。
一切の言い訳も、謙遜もしない。
ただ一回の頷きで、彼女はすべてを背負う覚悟を示したのだ。それは、私たちに対する「私の歌についてこられるかしら?」という、宣戦布告に他ならなかった。
「じゃあ、ボーカルは、細川さんで決まりね!」
私は歓喜と共に手を叩き、高らかに宣言した。
* * *
さあ、歴史が動く瞬間よ。
私たちは、さっきの曲をもう一度演奏することにした。
今度は、細川さんのボーカル付きで。
マイクスタンドの前に立つ彼女の姿は、神々しいほどに美しかった。
萌のカウントが入り、私のギターがイントロの閃光を放つ。重厚なバンドサウンドがうねりを上げ、そして――Aメロの入り。
細川さんが、マイクを両手で包み込むようにして、声を発した。
『――――ッ!!』
空気が、震えた。
いや、ライブハウスの空間そのものが、彼女の声によって支配されたのだ。
普段はあんなに寡黙で、触れれば折れてしまいそうな小柄な体。それなのに、マイクを通して放たれたその歌声は、どこまでも力強く、天を貫くようにクリアで、それでいて心臓を直接鷲掴みにするような魂が宿っていた。
轟音のディストーションギターにも、重いキックドラムにも決して埋もれない。
圧倒的な抜けの良さと、聴く者の感情を揺さぶる切実なバイブレーション。
(な、何よこれ……凄すぎる……!)
私はギターを弾きながら、雷に打たれたような衝撃に震えていた。
彼女の歌声の振動が私の鼓膜を震わせ、骨を伝い、魂の奥底まで響き渡る。体中の細胞が、歓喜の悲鳴を上げている。
そして、私は唐突に「真理」を理解した。
私は、女の子が大好きだ。可愛い女の子と仲良くなるための、合コンの舞台を作るためにバンドを始めた。
その不純な動機のために、指先から血を流し、一日の四分の一をギターの練習に費やし、超絶技巧を身につけた。
でも、違ったのだ。
私が血の滲むような努力をしてきた本当の理由は、この瞬間、この歌姫の声を彩るためだったのだ!
(私のギターは、細川さんのために存在していたのよ!)
彼女の歌声という絶対的な「主旋律」を輝かせるために、私のギターが縦横無尽に駆け巡る。不純な動機で磨き上げた私の技術が、彼女の純粋で圧倒的な才能と結びつき、今、至高の芸術へと昇華していく。
演奏しながら、私はあまりの幸福感に涙が出そうだった。
ジャーン!!
最後のコードが鳴り響き、演奏が終わる。
静寂。
誰もが、細川さんの歌声の余韻に言葉を失っていた。
歌い終えた細川さんは、いつものように無表情で、スッと冷たい視線を客席の空間に向けている。
荒い息一つ立てず、ただ静かにそこに佇む姿。
――あぁ、なんて完璧な「ステージを支配した者の静寂」だろうか。
「……おいおい」
ドラムセットの奥で、萌が信じられないものを見たという顔で呟いた。
私は萌と視線を合わせ、力強く頷き合う。
言葉なんて必要ない。
このバンドのボーカルは、細川さんしかあり得ない。
これなら、絶対にいける。
* * *
ライブハウスの営業時間が迫り、今日の歴史的なセッションはお開きとなった。
機材を片付け、私は細川さんと共に夕暮れの道を家へと帰る。
茜色に染まった空。
長く伸びる二つの影。
隣を歩く細川さんは、ギターケースを背負い、いつものように静かに俯き加減で歩いている。
さっきまでの、空間を切り裂くような圧倒的な存在感を放っていたボーカリストの姿は鳴りを潜め、今はどこにでもいる、大人しくて可愛らしい普通の女子高生に見える。
(でも、この小さな体の奥に、あんな怪物を飼っているなんて)
私は彼女の横顔をちらちらと盗み見ながら、胸の奥がきゅんと甘く締め付けられるのを感じていた。
風に揺れる短い髪。
伏せられた長い睫毛。
なんて凛々しいの。
やっぱり、最高に素敵だわ。
不純な動機で始めた音楽だったけれど、私は本物の宝物を見つけてしまったのだ。
私の女神。
私のディーヴァ。
絶対に、この手から離したりしない。
「ねえ、細川さん」
私はたまらず彼女の名を呼んだ。
「……?」
彼女が不思議そうに首を傾げる。
「バンド……結成して、本当によかったわね」
私が満面の笑みでそう言うと、彼女はほんの少しだけ目を瞬かせ、またこくんと、小さく頷いてくれた。
その控えめな仕草がまた愛おしくて、私は自分の強運と、彼女への深い愛に、心の底から感謝したのだった。




