(30)共犯.1
女性用トイレ内――。二人の若い従業員が洗面台に向かって化粧直しをしていた。
「何か、さっきから騒がしくない?」
左の女性が口紅を塗りながら右の女性にそう言った。
「確かに、何かあったんかなぁ?」
右の女性は頬にパウダーを付けながらそう言った。
その時だった。天井の通気口から薄黄緑の髪の子供が落ちてくる。二人は化粧直しの手を止め、子供を見つめる。
「イテテテ……。あっ――」
子供は自身の尻を擦ってから二人の目線に気付く。女性二人は微動だにせず子供を見つめ、子供もまた二人を見つめて止まってしまう。
「――あ、あの、失礼しましたっ!!」
子供はそう言い残して走り去っていった。二人の女性は去りゆく子供を見送ると、互いに目を合わせる。
「なに今の子、チョー可愛かったことない?」
「マジ可愛かった。なに?天使が舞い降りたん?」
二人はそう会話を交わすと、暢気に化粧直しを再開した。
備品室前――。マヨイがドアノブに触れると、向こう側から水分が蒸発する音が聞こえ、それからマヨイはノブを捻る。
「――居ないな」
マヨイの頭上からラルレインが部屋を覗くと、そこにリオネットの姿はなくなっていた。
「そんな筈は……!」
マヨイは部屋に入って全体を確認する。だがやはり、リオネットの姿は何処にもない。
「――通気口の蓋が外されていますね。やられました。あんな小さな子供にそんな行動力があるとは。正直、侮っていました……」
「失敗は誰にでもある。気負う必要はない」
ラルレインは温和な口調でそう言った。が、マヨイはラルレインを鋭く睨み付ける。
「やめて貰えませんかソレ。不愉快です」
「そうか。すまない」
「そもそも、もとを糾せば貴方が命令違反をしたせいでもあるんですからね?判っていますか?」
「申し訳ない……」
ラルレインはしゅんとする。
「しかし困りましたね。通気口から脱出している辺り、この部屋に居た時点ではまだ例のバイオレーターと接触はしていなさそうですが、もし我々よりも先に接触されるとかなり厄介です。ここは二手に分かれて――、……いえ、二手には分かれず、共に子供の行方を探しましょう。通気口から逃げたとなると、ある程度近辺にもう一カ所外された通気口がある筈です。それを探しますよ」
「通気口……、分かった」
二人は備品室を飛び出した。
一方その頃、リオネットは人混みに呑まれていた。
軽快なチャイムののち、船内放送が響く。
『~~~。只今、船内下層エリアにて、銃を所持した、不審な人物が確認されました。お客様には、乗務員の指示に従い、身の安全を確保をして頂きますよう、お願い、申し上げます。以上、船内放送でした――』
放送はやはり軽快なチャイムの音で締め括られる。
娯楽エリア一階・噴水広場にて、僕は騒然とする大量の乗客に揉みくちゃにされていた。というのも、備品室からは何とか脱出したものの、トモエさんの居場所が分からなかった僕は、取り敢えず階段を登って人が多そうな方に向かったのであるが、そこで避難誘導する乗務員に促された乗客の流れに巻き込まれ、そして今、多くの乗客にぎゅうぎゅう詰めにされながら船内放送を耳にしたのである。
放送が終わると、恐怖・混乱して声を上げる沢山の乗客と、それを治めようと奮闘する乗務員たちの剥き出しの大声が飛び交う。何処からか赤ん坊の泣き声も聞こえる。何か、いつの間にか凄い大事になっていて、とても申し訳ない気持ちになる。
まぁ、それは一度扨置き――。
「――銃を所持した、不審な人物……」
僕は一人、放送を一部復唱した。“銃を所持した不審な人物”って……、それってどう考えてもトモエさんのことだよね?こんな形でトモエさんの存在を知るのはちょっと複雑ではあるが、でも少なからず、トモエさんはまだこの豪華客船の中に居る!やっぱりトモエさんは僕を売って逃げたんじゃなかった!全部マヨイさんの出鱈目だったんだ!僕の中に、跳ね回りたいくらい嬉しい気持ちが溢れる。
「下層エリアって言ってたよね……?」
僕は誰に言うでもなく、そう自分に問い掛けた。
「トモエさんは、下の階に居るんだ……!」
僕の中に一抹の希望が花開いた。よしっ、そうと決まれば――!
「――あっ!ちょっと!きみっ!」
僕は乗務員の制止を振り切り噴水広場を飛び出した。
――そして、迷った。今や自分が何処にいるのかも分からない。船内は粗方避難が済んだようで、何処に行っても静まり返っている。自分の荒れた息遣いと、響いては溶けていく足音だけが繰り返し木霊する。
……どうしよう。人の気配がしない通路はどこまでも終わりなく続いているような妙な感覚を引き起こす。恐怖心が着実に僕の足下を這い上がって来ているのを感じる。……と、兎に角、走るんだ!走り続けたらそのうち何処かに辿り着く!そう決心することで僕は挫けそうな気持ちを保つ。
ひたすら、ひたすらに足を動かす。幾つもの通路を、幾つもの広場を、幾つもの曲がり角を、何度も何度でも――。
――その時だった。曲がり角を曲がった瞬間、僕の体は何かにぶつかって吹き飛ばされる。
「いてて……」
「――あれ、リオじゃん!」
聞き馴染みの声。前を向くと、そこにはトモエさんの姿があった。
「えっ?と、トモエさん……?どうして此処に……?」
「あっ、リオ~!奇遇だね~!」
トモエさんはいつも通りの飄々とした様子で、尻餅を付いた僕に手を差し伸べてきた。僕はその手を掴んで立ち上がる。
「――ってか、リオ自分で脱出してたんだ。偉いぞ~!」
トモエさんから頭を撫でられる。……触れている。やっぱり幻覚じゃない!僕の内に少し遅れて興奮が押し寄せる。
「あれぇ?もしかして、閉じ込められているって私、あの女の口車に乗せられてた?」
嬉しさのあまり僕が何の反応も示さなかったので、トモエさんはちょっと困惑した顔をした。
「あ、いえ、閉じ込められてました。それで僕、自力で逃げ出してきました!」
自慢げに言い切る。僕の心は、自分でも滑稽に思えるほど浮かれていた。
「そっかそっか~!出来したぞ~、リオ~!」
トモエさんは再度僕の頭を撫でる。僕は達成感と嬉しさで笑みが止まらなくなる。
「――というか、トモエさんはどうして此処に居るんですか?下層に居るって聞いていたんですけど」
「あ~、それね~。一対二になったから一回離脱してたんだよね~」
「そうだったんですね」
僕は胸を撫で下ろす。トモエさんが殺されてなくて良かった……!
「んでね、今から反撃開始って意気込んで戻って来たトコなんだよ。ほら、そこ、夜ご飯食ったレストラン」
トモエさんは自身の後ろを指差す。
「あそこの椅子と置換して戻って来たんだ~」
「成る程……」
レストランの真ん前ではないか。僕はいつの間にそんな所に……。
気が緩んだその瞬間、心の隙間から冷ややかな声が聞こえて、途端に僕は笑っていられなくなった。
「……あっ、あの、トモエさん!」
「ん?どうした?」
「あの、トモエさんは、僕を売ってなんてないですよね?!」
僕はトモエさんの顔を食い入るように見上げる。違うって言って欲しい。違うって返事が聞きたい。
「え?――あっ、もしかして、あの眼帯野郎にそう言われたの?」
「は、はい……」
するとトモエさんは少し冷たい顔をした。
「で、リオはそれを信じたの?」
「え?いや、その……、信じてはないですけど……、その……」
――怒った?怒らせてしまった?……当然だ。弱い僕はトモエさんを信じ切れなかった。すぐに簡単に揺らいだ。情けない。僕は俯く。
「……すみません」
「リオ、こっち向いて」
言われた通りに顔を上げると、トモエさんは膝を付いて、僕の両肩に手を置いて、今まで見たことないくらい真剣な顔で、真っ直ぐに僕を見つめていた。
「リオを売るなんて、そんなこと私は絶対にしないから」
その言葉に僕は、涙と笑みが溢れ出した。
「――そう、ですよね……?」
「当たり前でしょ?リオを連れ出したのは私なんだもん。ちゃんと面倒見るって」
トモエさんは表情を綻ばせて僕の涙を払う。
「でもお姉さんショックだな~。普段からあんなに可愛がってあげてるのに、余所者にちょっとウソ吹き込まれたからってさぁ~」
トモエさんは試すような視線で僕を見る。
「……ごめんなさい」
「まぁ、リオに信じてもらえなかったのは、私がリオの信頼を受けるに足らなかったからだね。だからリオが謝ることじゃないよ。……でも、そうだなぁ。じゃあこれからは、これまで以上に可愛がって、余所者の付け込む隙間を無くしちゃおっか?」
トモエさんは意地悪な笑みを浮かべて、両手で僕の両頬を押し潰す。
「いや、それは……」
「ダメ、強制だよ。私を疑った罰だもん。リオの心と体にみっちり教え込んであげるよ。私はリオが大好きだよって、ね?」
トモエさんのあまりに真っ直ぐな顔に、その言葉に、僕は耐えられず視線を逸らした。
「……宜しく、お願いします……」
恥ずかしながら、その言葉が僕の精一杯だった。けれど、トモエさんは朗らかに、それでいて少し悪戯っぽく笑った。
「うん!覚悟しててね?」
そう言うと、トモエさんは立ち上がる。その頃には、トモエさんの表情は臨戦態勢になっていた。
「――だけどそれは、邪魔者を撥ね除けてから、……だよね?」
「でも、どうするんですか?二人相手にどうやって……?」
するとトモエさんは口角を吊り上げ、下瞼を押し上げ、宛ら悪魔みたいに微笑んだ。
「なに言ってるの?私たちだって二人でしょ?」
その言葉に、僕は察し、そして凍り付く。
「え……?」
「どうコレ?いま思い付いたんだけど、超名案じゃない?!」
トモエさんは無邪気に笑ってそう言った。僕は、暫く言葉を失った。




