(29)戦場.4
「――では残念ですが、大人しくお眠り下さい」
足を氷で固定されて身動きの取れないトモエに、マヨイは右手を掲げ、そしてその手を握り潰す。その瞬間、トモエの周囲一帯が巨大な氷塊に包まれた。辺りは時が凍り付いたように静まり返る。
「――逃がしましたか。やはり厄介な能力ですね」
氷塊の中には、小さな貝殻のみが氷漬けにされていた。マヨイは白い溜め息を吐くと、想定内と言わんばかりの澄まし顔で翻り、周囲への警戒を怠ることなく歩き出す。
「大丈夫ですか?」
マヨイは一人突っ立っているラルレインの傍に寄り、ラルレインの顔を見上げた。ラルレインは未だ戦闘時の険しい表情を浮かべている。
「貴方には、あの程度の気圧波では通用しないんですね」
「気圧…は……?」
ラルレインは真っ直ぐ澄んだ瞳でマヨイを見つめた。
「何でもありません。忘れて下さい」
マヨイはラルレインに背を向け、左手を巨大氷塊に掲げると、氷塊は一瞬で蒸気となり、跡形もなく綺麗さっぱり消え失せた。
「事前に触れた物体同士の位置を置換させる能力――。触れられてしまえば何処に飛ばされるか分からない。筋肉ダルマの貴方では少々相性が悪そうですね」
「そう、だろうか?」
ラルレインはマヨイの分析がいまいちピンと来ていない様子だった。
「よく分からないが、相性など関係ない。俺は今、トコヨノの助けが無ければ負けていた。面目ない……」
ラルレインは相変わらず堅い表情を浮かべていたが、その節々には確かに自身への怒りや軽蔑が色濃く滲んでいた。マヨイはそれを見逃さず、大きく溜め息を吐く。
「はぁ……。だから、そもそもバイオレーターとの戦闘が成立している時点で貴方は十分におかしいんです。ですので、そんな事でいちいち凹まないで下さい」
「だが、負けは負けだ。今の俺では、もし奴が不条理に誰かを傷付けようとした時に止める事が出来ない。それでは英雄たり得ない」
ラルレインは凹むことを一切譲らなかった。
「あぁそうですか」
マヨイは容赦なく乾いた目線をラルレインに注ぐ。
「そうだトコヨノ。俺を守ってくれて、どうもありがとう」
ラルレインは直角にお辞儀をした。
「任務ですので当然の事をしたまでです。頭を上げて下さい」
「分かった」
ラルレインは言われた通り、頭を上げてマヨイを見つめた。
「いいですか?我々の任務はまだ何も終わってはいません。ターゲットのバイオレーターは取り逃がしましたが、子供と宝玉は無事確保しましたし、宝玉の能力無効化についても確認が取れました。結果的に当初の計画通りです。あとは子供と宝玉を回収し、緊急避難用ボードを用いて船を脱出、ヴィット本部まで連行すれば任務完了です」
「ああ」
ラルレインの表情にやる気が戻る。マヨイは目を細めて釘を刺す。
「例のバイオレーターがいつ奇襲を仕掛けてくるかも分かりませんので、気は緩めないようにして下さいよ?」
「そうだな。気は緩めない」
「さて、問題はここからです」
マヨイは冷え切った視線をラルレインに向ける。
「ここから……?」
「ええ、振り返ってみて下さい」
ラルレインはマヨイに言われた通り振り返る。そこには、真ん中で真っ二つに切断され崩れ落ちた鉄橋が、見るも無惨な姿で積み重なっていた。
「これは一体どういう事ですか?あのバイオレーターの仕業とは考えにくいのですが――」
「ああ、あれは俺が斬った」
ラルレインはいつでも素直で真っ直ぐだった。
「俺が斬った、じゃないですよ!!判ってますか!?私達は秘密部隊なんですよ!?誰にもその存在を知られてはいけない!!それなのにこんな惨状、一体どう片付けるつもりなんですか!?」
マヨイは激怒した。それはもう酷く激怒した。
「確かに、そうだな……」
「そもそも貴方、私の命令を無視しましたよね!?単身でバイオレーターを追うだなんて、バイオレーターは危険な存在だと再三説明した筈です!!判ってますか!?今回は幸いにも無事で済みましたが、もし今後より危険なバイオレーターが出現した場合、命令違反で危険な目に遭うのは貴方なんですよ!?」
マヨイは叱責を滝のように浴びせた。その情報量にラルレインの脳の容量は一瞬で限界を迎えた。
「・・・・・・」
「――ちゃんと聞いてますか!?」
「いや、あの、ゆっくりで、頼めないだろうか?」
「ゆっくりって……!――はぁ……」
マヨイは大きな溜め息を吐く。
「判りましたよ。この件は後でゆっくり叱るとして、今は兎に角、早くこの場から離れますよ」
そう言いながらマヨイは左手を鉄橋に掲げる。すると鉄が溶ける臭いが鼻を突き始める。
「急拵えですが、ボルトに不良があった風の細工をしておきました。まぁそれで完璧にカバー出来るとは到底思えませんが、何も原因が見当たらないよりはマシでしょう。さぁ、馬鹿みたいに突っ立ってないで、誰かに目撃される前に急いで逃げますよ。貴方が居ないと例の宝玉の搬送も一苦労なんですから」
「例の宝玉……?」
「もういいです!兎に角急ぎましょう!」
「うむ」
ラルレインが頷くと、二人は物資搬入場をあとにした。
僕は部屋を見渡す。唯一の小さな丸い窓から覗く空はいつの間にか星々を抱えて、そこから届く僅かな光だけが、僕の視界に部屋の景色を映し出す。両手首には手錠。唯一の出入り口である鉄扉のノブは、冷たくて分厚い氷の立方体に覆われてしまっている。
「すみませーん!!誰か居ませんかー!!」
僕は鉄の扉を叩いて助けを呼んでみる。だが暫く続けても反応は何もない。この部屋までマヨイさんに連れてこられた時も誰ともすれ違わなかったし、助けを呼ぶのは厳しいかもしれない。何か他の手段を取らなければ――。
備品室と言うだけあって、大量の籠が、整然と並ぶ棚に綺麗に収められている。その様は何処となくあの塔の最上階の部屋に似ている。籠の中に何か使えそうな物はないだろうか?僕は色々な籠の中を引っ張り出したが、めぼしい物と言えばバールくらいしか見当たらなかった。取り敢えずそのバールを手に他を当たる。
部屋に唯一の小さな窓は開閉式ではないが、バールで割ることはできそうだ。大きさ的にも潜ることは可能だろうが、ただ問題なのは、窓の外にはデッキもバルコニーも何もないということである。近くの棚を梯子のようにして、高い位置にある窓の外を覗くと、目前には荒々しく波打つ大海原のみが広がっていた。これでは部屋からの脱出は叶っても、トモエさんのもとへは辿り着けそうにない。
壁は全面鉄製の板が張り巡らされ、バールであっても突き破ることは厳しそうだ。床は木製で、長い板が継ぎ接ぎに並べられている構造、これならバールで突破できるかと思ったが、この床が案外丈夫で、バールを持ってしても全く歯が立たない。
あとは天井くらいか。僕はバールを突き上げて天井を突く。……固い。壁や床よりは何とかなりそうな気はするが、だが天井を突き破ったとして、それからどうすればいい?手も届かないのに……。
――そうだ!バールでノブを覆う氷を壊せば外に出られるかもしれない。僕は目一杯の力を振り絞ってバールの尖った先端を氷の立方体に打ち付けた。……金属が震える音のみが響く。氷の立方体には傷一つ付かず、その反動が僕の腕から脳を揺らしただけだった。この氷、固すぎないか?何か特殊な氷なのか?それとも、ただ僕が非力過ぎるだけだろうか……。
バールを手放して寝転がる。……万事休すか?色々試して全部ダメで、他に方法も思い付かない。やっぱり、僕には何も……。いや、まだだ。僕はまだ諦めないぞ。
その時だった。僕の視界に唐突に、格子状の“蓋”が映った。これは、……通気口だ。僕は棚を通気口の下まで移動させ、棚を足場に通気口の蓋を揺さ振ってみる。――外れた!大きさ的にも僕の体なら問題なく通れそうだ。ここからなら脱出できるかもしれない!
「……イケる!僕の、僕自身の力で脱出できる!」
だが、この穴が何処に繋がっているのか分からない。途轍もなく複雑な構造で、一度入ったら迷って出られなくなるかもしれない。僕は星空の光も届かない深淵の奥を覗く。この暗くて狭い空間で彷徨うなんて、考えるだけで恐ろしい。やっぱり、他の方法を……。だけど、他の方法なんてあるのか?いや、部屋は出来る限り全部調べた。他の方法なんて、ない。及び腰になってはダメだ。
僕は通気口に手を掛ける。そしてまた動けなくなる。決心ができない。闇が怖い。この選択が合っているか確認してみるか?虛空の欠片を肌から離せば、今後の僕の運命は分かるだろう。この選択が合っているのか間違っているのか、明確な答えが出る。もし合っているのなら、安心して進むことが出来るだろうし、間違っていたら止めることだって……。いや、やめよう。それは何となく良くない気がする。僕は運命に囚われずに今を生きるんだ。怖いけど、不安で不安で仕方ないけど、でも、ここでじっとしていたら未来で絶対に後悔するから。僕の運命は、僕がこの手でつかみ取る。トモエさんみたいに――!
――僕は通気口内に一歩足を踏み入れた。
転覆した漁船が打ち上がったカピバの砂浜――。場違いな赤いドレスが潮風に揺れる。
「あっぶなかったぁ~!マジで殺しに来たやがったあの野郎……!」
赤いドレスを身に纏う少女は一息吐いてから、一度足下を覗き、再度顔を上げると、鋭い視線を海の先に向けた。
「くっそ……。このまま、借り残したまま引き下がって堪るかよ……!」
少女はそう呟いてから、それから晴れ晴れとした笑顔を満面に浮かべた。
「――よっしゃ!待ってろよ眼帯野郎!!その憎ったらしい澄まし顔に泣きベソかかせてやるからな!!」
少女は黒い海と満天の星空にそう宣言すると、固く握っていた拳を開いて指を鳴らした。すると少女はその場から忽然と姿を消し、代わりに高級そうなデザインの椅子が一脚現れて、椅子はそのままカピバの砂浜の只中に一人取り残された。




