(26)戦場.1
人気のない通路、白い氷に捕縛された両足、僕らの周囲を覆う霜、点滅し始める蛍光灯、その奥、氷の異能を使う眼帯の女とラルレイン。これは間違いなくあの日視えた未来――。
「――リオ!」
トモエさんが僕の名を呼ぶ。
「必ず迎えに行くから、少しのあいだお留守番お願いね――!」
視線を一瞬僕に送った次の瞬間、トモエさんはその場から忽然と姿を消し、代わりにその場にはコインが出現する。そのコインが現れた宙から落下を始めるより前に再度置換。再び現れたトモエさんは上下逆さまの状態で、それにより両手両足は氷の拘束から解放される。手にはピストルが握られ、銃口は既に女とラルレインが立ち開かる丁字路を捉えていた。
――発砲。弾丸は奴らの間を通過し、奴らの背後の壁にぶち当たる寸前で置換。トモエさんは弾丸が着弾する筈だった壁に着地すると、横向きの体勢のまま次いで右の通路に発砲、再び一瞬で姿を消してしまった。
それらの出来事とほぼ同時、トモエさんが上下逆さまに現れた地点には内側までみっちりと詰まった透明な氷の六面柱が突如出現し、トモエさんが横向きに着地した壁にはラルレインの大剣によって深い切り傷が口を開けていた。
あまりにも一瞬の出来事すぎて、僕は暫く呆然としていたが、暫くして、僕はトモエさんの言葉の意味を理解した。
「お留守番って、そういうこと……?」
僕は白に支配された世界に一人置き去りにされていた。今になって僕はシュレディンガーに心からの謝意を感じた。
「――逃がしたか」
ラルレインは落ち着いた様子で壁から大剣を引き抜くと、トモエさんが去っていった右の通路の先を見据える。
「やはり一筋縄ではいきませんね……。貴方は作戦通りあの子供の身柄を保護し、盗まれた宝玉を取り返して下さい。私はバイオレーターを――」
「――いや、奴は俺が捕まえる!」
「は?え、ちょっと――?!」
ラルレインは眼帯の女の指示を完全無視し、トモエさんが消えていった右通路へ迷い無く駆け出す。眼帯の女はあっという間に過ぎ去っていってしまったラルレインの背中を手で追い、引っ込めて、そしてこちらにまで熱気が伝わるほど強く握り締めた。
「あれ程勝手な行動はしないって――!」
眼帯の女は僕と同じく取り残される。
「はぁ……、――もう、信じられない……!あの人は本当に何を考えてるの!?」
女は一度背後の壁の切り傷に目をやってから、同情せざるを得ない鬱憤を吐き出す。それから一呼吸置いて、僕の方に歩いて近付いてきた。両足を氷で固定され身動きが取れず、尚且つ尻餅状態から立ち上がれない僕は、為す術も無く両腕でなけなしの防御態勢を取り、瞼を固く閉ざす。だが、暫くしても何事も起こらないので、僕は恐る恐る目を開けた。
眼帯の女は僕の目の前でしゃがんで、僕の方をジッと見つめていた。
「君、両手を出して」
女は先程よりは幾分か優しい口調でそう言った。
「君には一度手錠を掛けさせてもらいます。そうしたら君の足の氷を解かすから、大人しく従って」
「は、はい……」
僕はその優しい口調に誘われるように両手を出してしまった。僕の手首には手錠が掛かる。
「君、腕細いね。外れないように少しキツく締めるから、痛かったらすぐに言って」
「だ、大丈夫です……」
何だろう、なんかすごい優しい人だ。そう思ったのと同時に、背後の氷壁と氷の棺、周囲の霜は一瞬で解け、水蒸気になってすっかり消え失せた。
「冷たくなかった?ごめんね、手荒な真似をして」
「は、はい……」
女は左手を僕の両足に掲げた。すると足が内側から仄かに温かくなり始めた。これは、異能……?温度を調節する異能なのか?
「――温かい?」
注がれる視線に、僕は咄嗟に目を伏せる。
「あ、はい、温かいです……」
「よかった。立てる?」
女は右手を差し伸べる。僕はその手を掴んで立ち上がる。つららのように冷え切った手だった。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
女はそう言って僅かだけ微笑んだ。冷たい人って印象だったけど、温かくて少しヒンヤリする、そんな人柄に僕の緊張はすっかり解けてしまった。
「――あの、あなたのお名前は?」
「何でそんな事訊くの?」
女は表情一つ変えずにそう問い返してくる。
「いや、その、すみません……」
確かに、僕はなんで名前なんて聞いたのだろうか?すると、眼帯の女は口元を隠して控えめに笑った。
「私はマヨイ。君の名前は?」
「僕は、リオネットです……」
「リオネット君。良い名前だね」
「あ、ありがとう、ございます……」
マヨイさんはとても落ち着いた様子で微笑んだ。トモエさんとは違う、新雪のように安らぎが降り注ぐ透き通った微笑みだった。でもこの人はついさっき、トモエさんを文字通り氷漬けにしようとした人なんだ。僕は何か、凄いやりづらさを感じた。
船内に銃声が響く。疎らな乗客は通路の端に寄り、不安そうに辺りを見渡す。警備員は群れを成し、開かれた通路の中央を流れて、銃声のした方へとひた走る。
そんな警備員の前に現れるはピストルを片手に走り迫る黒髪の少女。警備員たちは少々困惑しつつ、少女を迎え撃つ陣形を取る。
「うわっ、何か群がってるし……」
少女はポケットからトランプのカードを一枚取り出すと、それを人差し指と中指の間で挟み、警備隊の頭上に投げた。カードは鋭く宙を切り裂くと、警備隊を越えた辺りで少女に姿を変え、少女はそのまま走り去る。警備員たちは慌てて先程まで少女がいた筈の場所に振り向くが、そこに投げられた筈のカードだけがひらひらと舞い落ちていた。
当惑するのも束の間、舞い落ちるカードの奥から大男が猛スピードで迫ってくる。
「すまないッ!!道を空けてくれえぇぇぇ!!」
大男はそう言いつつも、警備隊の陣形を正面から蹴散らして突破、そのまま少女のあとを追って走り去っていった。警備員たちは等しく同じことを思った。「何だったんだ?」と――。
僕はマヨイさんに手錠を引かれて通路を移動していた。僕はマヨイさんの様子を恐る恐る見上げる。まるで仮面のように冷たい表情、僕と向き合う時だけ少し解いてはくれるけど、それ以外の時は、今も、常に何かに怒っているような顔をしていた。
「――なに?どうしたの?」
マヨイさんの表情が僅かに解れる。僕は咄嗟に目を逸らした。チラチラ見てたのバレてた……。
「いえ、何でもないです。すみません……」
「あそう。――そう言えば君、黒くて丸い宝石、持ってない?」
虛空の欠片の事か?虛空の欠片が狙われているのか?
「いえ、その、持ってないです……」
「そうなんだ」
「はい……」
「嘘はダメだよ」
僕は思わず見上げてしまう。マヨイさんは僕のことを真っ直ぐ見つめていた。マヨイさんの碧い瞳に見つめられると、全てを見透かされているような気持ちになる。
「何で……?」
「あ、やっぱり嘘だったんだ」
マヨイさんはふっと笑った。
「……!」
笑われた……。まんまと嵌められて、笑われた……。トモエさんに遊ばれるより、何故かずっと恥ずかしい。
「見せて。首に掛けてるソレだよね?」
「ち…違いますよ……?」
「君、私が宝玉の話した時、無意識に胸元抑えてたよね?そこに在るんでしょ?それとも、まだ嘘ごっこ続ける?」
駄目だ、全部見透かされている。この人には嘘を吐いてもまるで意味が無い。僕じゃ、何をやっても勝てる気がしない。
「――見せて」
マヨイさんの瞳が僕を捉える。それだけで僕は冷たい臆病風に吹かれてしまう。
「――早くしなさい」
「……は、はい、どうぞ」
僕は虛空の欠片を手の平に乗せてマヨイさんに見せた。マヨイさんは手袋を外して右手の人差し指で欠片に触れると、僅かだけ瞼を上げた。
「成る程……。もういいよ」
「え、あ、はい……」
僕は虛空の欠片を服の内側に戻した。
「何で嘘吐いたの?そんなにあのお姉さんが大事?君を置き去りにして逃げたのに?」
「トモエさんは逃げたんじゃありませんッ!……その、必ず迎えに来ると、そう言っていました……」
僕は急に熱くなったことが恥ずかしくて顔を伏したが、こっそりとマヨイさんの顔を見上げても、その表情は全く動いていなかった。
「そうなんだ?」
「はい!」
「でも、それはないよ」
マヨイさんはそう冷たく言い切った。
「そんなこと……!」
するとマヨイさんは通路沿いの鉄の扉を開けた。扉の上には備品室と書かれ、扉の奥は真っ暗闇だった。
「入って」
僕は言われた通り部屋に入る。
「そのトモエお姉さんはもう帰ってこないよ。リオネット君、君は売られたんだよ。君を囮にしてトモエお姉さんは逃げたんだよ」
「そんなこと有り得ません!」
マヨイさんの顔は氷のように冷たくなっていく。
「何でそう言い切れるの?信じられるの?私の言っている事が嘘だって証拠はあるの?」
マヨイさんは扉を塞ぐように立って、淡々と僕を見下ろす。
「それはっ――!その……」
咄嗟に言葉は出てこなかった。
「君はね、まだ小さいから正常な判断が出来ないんだよ。君の事を置き去りにした非道いトモエお姉さんの事なんか忘れて、私の言う事を聞いて。私なら君を独りぼっちにしない。私の言う事聞いてくれたら、トモエお姉さんとでは出来ないもっと楽しい事、私が一緒にしてあげるよ?」
マヨイさんは僕のことを真っ直ぐ見て、とても嘘を言っているとは思えないような真剣な顔でそう言った。
――トモエさんが、僕を売った……?いや、そんなこと絶対にない!だってトモエさんはそんなことするような人じゃ……!――そんなことするような人じゃないとは残念ながら言い切れないけれども……、――いや、でも、絶対にない!だってあの人は、確かに意地悪は山ほどされたし、悪いことも沢山している人だけど、でも人の道を背く人ではないんだ!ちゃんと温かな血が通っている人なんだ!確かに泥棒で、誘拐犯で、めちゃくちゃな人だけど、でも悪人じゃない!だから僕はトモエさんの言葉を僕は信じるんだ!
「嫌です!その手には乗りません!」
「あぁ、そう――」
マヨイさんは少しだけ残念そうな顔をした。
「それならリオネット君には、痛い思いをしてもらうしかないね」
「えっ……?」
痛い思い……?その響きに僕は震え上がる。
「――でも、それはトモエお姉さんを処理したあと」
「処理……!?」
マヨイさんの表情は真剣そのものだった。
「そうだよ。殺すの。バイオレーターは危険な存在だから。さっき君を怖がらせた時、トモエお姉さんは帰ってこないっていったよね?それは今から本当になる。私が君をここに閉じ込めて、あの大きな男の人と一緒に力を合わせて殺すの。君も知っているよね?トモエお姉さんが、あの大きな男の人と戦って、一度負けている事。私はあの男の人より強い。そんな私が、今からあの男の人の味方になって、トモエお姉さんを追い詰めるの。トモエお姉さんは逃げるのには向いているバイオレーターだけど、戦闘は不向きでしょ?どうなるか、君にも判るよね?それなのに、君はトモエお姉さんの味方でいるの?今寝返ったら、君に痛い事しなくて済むかもしれないよ?」
「結構です!!トモエさんは負けません!!」
「あぁそう――」
マヨイさんはそう言うと、扉を開けて部屋から出た。去り際、扉の隙間から顔を出して、僕を見下ろす。
「私も君みたいな子を甚振りたくはないの。だから下手な気は起こさないで、大人しくしてて――」
そう言い残して、マヨイさんは鉄扉は閉ざした。光は扉が閉じるとともに去って部屋は冷たい闇に包まれた。




