(25)船上.3
娯楽エリア第一階層・夕暮れ前――。
レストラン会場は響めいていた。たった一人の、黒髪の少女の食べっぷりによって――。
「トモエさんっ……!凄い見られてますよ……!」
僕は手を口に添わせ、机越しのトモエさんにそう囁く。
「いいじゃん。美味いよ、ここの料理」
「そういう問題では……」
そう言う僕に構うことなく、トモエさんのフォークは次なる食べ物を捕らえる。
「リオは食べないの?」
「いや、だって……」
「だって?」
「……」
だって僕らは無賃乗船の身で、この料理を食べる権利はない訳だし、それに、この料理の下にも、あの店主やもともと暮らしていた人達の犠牲があると思うと、そんなものを口に入れていいものか……?
「リオもお腹空いたでしょ?ほら、あーん……」
食べ物を突き刺したフォークが僕の口元に迫る。
「――いや、いいです……」
僕は顔を背ける。丁度その時であった。僕のお腹が無様に鳴ったのは。
「やっぱお腹すいてんじゃん。意地張らずに食べちゃいなよ」
「いや、本当に――!」
「ほらほらー、美味いぞ~。はい、あーん……」
……これは生物として仕方のないことだ。仕方のないことなんだ。僕の口には溢れんばかりの幸せが広がった。
「美味いでしょ?」
「……そうですね」
「ほら、もっと食べな」
トモエさんは新たなる料理を僕の口元に突き付ける。一瞬躊躇ってから、僕はそれに齧り付いた。だって、これは仕方のないことなのだ。
娯楽エリア・二階層デッキ――。
食後、僕らはデッキと言うよりはベランダか回廊と言うべき、人気の無い細い外通路にて潮風に当たっていた。太陽は頂点を疾うに通り過ぎ、地平線に沈み始めていた。
「いやぁ、高そうなメシは流石に美味いわ~」
「そうですね~」
あのあと結局、僕もたらふく食べてしまった。そしてその敗北感は多幸感にいとも容易く塗り替えられてしまった。
「――随分と満喫しているようだな」
突然の渋い声。周囲に人の気配はなかった筈なのに。慌てて振り向くと、そこにはシュレディンガーが背筋をピンと佇んでいた。
「シュレじゃん。いつの間に」
トモエさんは何事もなかったかのような自然な口調でそう言った。するとシュレディンガーは毛を逆立てた。
「いつの間にじゃないわ!!御主ら、この我を置き去りにして行っただろう!!この悪魔めッ!!薄情者ッ!!」
シュレディンガーさんは相当怒り心頭のようである。まぁ、僕が同じ事をされたら同じように怒るだろうけど……。
「仕方なかったんだよ。時間なかったんだもん。ていうか、逆にあんな人混みでどうやって探せって言うんだよ?元を糾せば、逸れたシュレも悪いでしょ」
トモエさんは流れるように責任転嫁した。
「だからって置いて行かなくてもいいだろう!!御主らは人混みの隙間を縫う猫の気持ちを考えた事があるのか!?四方八方から何の脈絡もなく靴が振り下ろされるのだぞ!!更に視界も悪い!!そんな劣悪極まりない環境下に置かれる我に気遣いもせずに、挙げ句置き去りにするなど悪魔の所業この上ない!!」
うわぁ、凄い怒ってる……。何だか本当に悪い気がしてきた。
「まぁまぁ、また会えたんだし、それでいいじゃない?」
トモエさんは恰も美談かのような晴れやかな笑顔でそう言い放った。
「それは置き去りにした側の御主が口にして良い台詞ではないッ!!」
「――ていうかさ、シュレはどうやってここまで来たの?てか、私たちがこの船に乗ってるってどうして分かったの?」
トモエさんは強引に都合の悪い話題を捻じ曲げる。シュレディンガーは猫だから表情はないが、そこはかとなく苦い顔をしている。
「御主なぁ……。――まぁ良い。聡明で博識なこの我が御主の質問に答えてやろう!」
シュレディンガーは急に機嫌を取り戻した。この猫、頼られると嬉しくなっちゃう質なんだな。チョロい奴だ。
「一つ、目的地がこの街である事は承知していたからな。我は冷静に物事を判断し、その夜出発の夜行列車に忍び込んだのだ。そしてこの船を言い当てた理由だが、それは御主が持っている虛空の欠片の位置を察知したからだ。虛空の欠片を集めるのも我の仕事の一つ、それ故我には虛空の欠片の位置を感じ取るセンサーが備え付けられている。つまり、御主らが何処に向かおうと、その欠片を手にしている以上、我は御主らが何処に居るのか瞬時に判るという訳だ。御主らには少々小難しかったかもしれぬが、理解できたか?」
「うん。分かった分かったー」
トモエさんはとてもとても雑に返事をした。
「それより御主ら、その服はどうしたのだ?」
するとトモエさんは再び晴れやか笑顔を浮かべた。
「ちょっと借りてる」
「借りている……?」
「うん。借りてる」
訝しむシュレディンガーに、トモエさんはもう何も意に介さないと言わんばかりの笑顔を貫く。シュレディンガーは僅かな時間トモエさんの笑顔を見つめたあと、諦めて大海原のほうに体を向けた。
「この船に乗っているという事は、虛空の欠片はまだ見付かってはいないようだな」
「そうだね。まぁ、海の先にあるんじゃない?」
「海の底の可能性もあるぞ?」
「それだったらもうパス。どうにもならないもん」
「成る程な」
「どっちにしても、今は待つことしか出来ないからね~。折角の豪華客船だし、存分に堪能しているトコだよ。ねぇ~、リオ~」
「まぁ、そうですね」
僕まで存分に堪能していると思われるのは少々不服だが、その恩恵に与っているのは事実なので、僕はトモエさんの言葉に部分的にであるが同意する。
「ふむ、では今はよく休むがいい。生物には休息が不可欠だからな」
「いちいち指図されなくても私たちは勝手に休むけどな」
トモエさんは偉ぶる猫に一瞬敵意を向けてから、ふらっと立ち上がった。
「と言うことで、私たちはこれから、船内で噂になってたショーとやらを見に行くから、シュレも見付かって摘まみ出されないように気を付けなよ」
「御主に言われずとも判っておるわ」
シュレディンガーは負けじとそう言うと、鉄柵の間を潜り抜けて一つ下のデッキに飛び降りた。
「僕らは今からショーを見に行くんですか?」
僕は立ち上がってトモエさんに問う。
「そうだよ。なんか楽しそうだし、評判らしいし?一緒に見に行こっ!ねっ?」
「はい。判りました。行きましょう」
別に興味は湧かないが、トモエさんが行くならと僕は返事をした。
ショーは煌びやかなものだった。煌びやかな舞台の上に、際どい服装の女性が並び、扇情的な踊りを踊るもので、まぁ大人達は盛り上がってはいたが、僕らは早々に退出した。
皆ショー会場に集まっているのか、船内はどこも人が少なく、ちらほら見掛ける人も女性か子供連れのみで、昼間の喧騒が嘘のような静かさだった。空はすっかり暗くなっていた。僕らは寝床を求めて船内を歩き回る。
「気色悪いッ!!あの仕組み自体が気持ち悪い!リオはあそこに群がってたキモオヤジみたいになっちゃダメだからね。分かった?」
キモオヤジ……。凄い良い方するな。まぁ、無理もないか……。
「なりませんよ。あれは、僕も何が良いのか分かり兼ねます」
僕がそう言うと、トモエさんは眉と瞼をはっと押し上げた。
「あれぇ?リオって女の子に興味ないの?」
「えっ?いや、興味というか、その、なくはないですけど……」
「だよね?びっくりしたぁ。いつも顔赤くしてるのって何だったんだろうって思っちゃった」
「……そうですかぁ」
僕はそっと目を逸らした。そんなに僕はいつも顔を赤くしているだろうか?ていうか、それはトモエさんが悪いのだろうに。
気付くと僕らは、どこかよく分からない通路に迷い込んでいた。細やかな装飾で満ちた船内にしては質素な通路で、あとにも先にも目に映るのは、天井で光る蛍光灯のみで、それ以外は足音一つ聞こえない、何も無い不気味な通路だった。
僕は何故か、その通路に見覚えがある気がした。実家の廊下にでも雰囲気が似ているのだろうか?そんな気はしないのだが……。何れにせよ、何故か心が落ち着かない。胸騒ぎが止まらない。僕は堪らずにその場に立ち止まった。
「――ん?リオ?」
僕の様子が変なことに気付いたトモエさんが、通路の少し先で振り返る。
「どうしたの?大丈夫?」
トモエさんは僕の傍まで歩み寄り、背中に手を添えてくれた。
「その、何か、分からないんですけど、嫌な感じが……」
その時だった。トモエさんの後ろの壁が幾何学模様に白く染まり始めたのは――。
白い模様は徐々に壁を這って広がっていく。
「――トモエさん!後ろ!」
「え?」
壁だけじゃない。天井も、床も、気付くと僕らの周囲の物体の全てが白に覆われていく。
「なにコレ?霜?」
トモエさんがそう言って歩み出したその時、歩み出したその足に床から白が這い上り、トモエさんの足、くるぶし、そして膝下までを全て白が覆い隠す。それを皮切りに、トモエさんのもう片方の足、そして僕の両足にも白が纏わり付いた。冷たくて固い。これは間違いなく“氷”だ。氷が僕らの足に纏わり付き、縛り付ける。
「うわぁっ!」
僕はバランスを崩し尻餅をつく。それでも足はビクとも動かない。
「リオ!?大丈夫!?」
トモエさんは体を捻って僕の方を向いた。
「はい。一応……」
「何なのコレ!?どうなってるの!?」
トモエさんは強引に足を引っこ抜こうと体を揺らすが、やはり足はビクともしていなかった。
その時だった――。
「――あまり無茶はなさらない方が宜しいかと。無理に動けば、皮膚が剥がれてしまいますので……」
通路の奥から声がする。僕らは揃って通路の奥に目をやると、そこには帽子を目深に被った眼帯の女がいた。そしてその隣にはあの男が、ラルレインが居た。
「何でアンタがここに居んだよ!?」
ラルレインの姿を目にしたトモエさんの表情は既に戦闘態勢で、瞳をギラつかせ不敵に微笑むが、しかし上がりきらない口角に事態の深刻さが表れていた。
「貴様を追ってきたから、俺は今ここに居る!」
相変わらずのズレ発言、間違いなくラルレインだ。僕は世界が遠く感じ始める。間違いない。紛れもなくこれは、あの日視た未来だ。あの日視えた未来が今まさに目の前に現れてしまっている。
その時だった。僕らの背後の通路が、空間が割れるような音と共に氷の壁に封鎖される。壁の先は見通せない。その純白は壁の分厚さと堅牢さを物語る。
気付くと僕らの周りは白に支配されていた。壁も床も天井も、全ての物体が白に飲み込まれ侵されている。周囲には冷気が立ち籠め、吐く息さえも白くなる。
「私達は対バイオレーター秘密部隊・ヴィットです」
眼帯の女は抑揚のない澄み切った声で淡々と話し始めた。
「バイオレーター?何だよソレ。厨二病かぁ?」
トモエさんは挑発的に言い放つ。だが眼帯の女は毅然とした態度を全く崩さない。
「バイオレーターとは、つまり違反者。この世の物理法則・理から逸脱した特殊能力“異能”を扱う者、と定義しています。理解出来ましたか?」
女の碧い左目は、僕らをただ冷徹に捉える。
「つまり貴方もバイオレーターに含まれるという事になります。そして当然私も――」
そう言うと眼帯の女は、シルクの手袋を付けた右手を僕らに掲げた。するとトモエさんの両手を覆うように氷の立方体が現れ、その重みにトモエさんの両手は床に付かされる。女は尚も何事もなかったように冷徹に続ける。
「私達ヴィットはバイオレーターの暴走を秘密裏に阻止する事を目的とした組織であり、その存在そのものを否定するものではありません。言っている意味は判りますか?要するに、大人しく投降してヴィットに与しなさい。と、言う事です。ヴィットの一員として活動すれば、貴方の人権は尊重されます」
「嫌って言ったら?」
「拒むのでしたら、反逆分子と見做し、貴方を排除します」
「排除ねぇ……」
トモエさんの声色には危機感が住み着く。
「一つ、聞いてもいい?」
「何でしょうか?」
「もし私がアンタたちの言うことに従ったら、そこのクソガキはどうなんの?」
トモエさんは顎で背後の僕を差した。
「当然、その身柄は私達が引き取ります」
「まぁだよね――」
その時である。トモエさんは急に黙り込み、少しの間俯くと、僕の方を一瞬見てから、奴らを捉え直した。
「あー、成る程……。リオの身元が不明だった理由が今やっと解ったかも。秘密部隊ヴィットねぇ。成る程成る程……」
「どういう意味ですか?」
眼帯の女の眉間に警戒心が生まれる。
「いやぁ、とても個人的な興味が解消されてスッキリ~ってだけ。それで、そのヴィットとやらに白旗揚げて降参ッ!が、アンタたちのご希望だっけ?」
「その通りです。私達は戦闘を望んでおりませんし、与して頂けるのなら、戦力も増強されて我々としても都合が良い」
「ふむふむ、確かに穏便な解決策だね。だけど……」
トモエさんの横顔に挑発的な情熱が灯る。
「――こんな脅迫じみたことしてくるような奴の下で働くなんて、私は絶対にご免だねッ!」
その一言は立ち籠める冷気をも吹き飛ばすかのようだった。
「私は自由だ!!私の進む道は、私の目で見て、私のこの手で選び取る!!……相手が誰だろうが、それだけは譲れないね!」
トモエさんは歯を剥き出して笑い、燃え盛るように女を睨み付ける。
「――それに、アンタらのトップが誰なのか、何となく分かっちゃったんだよね~。だからこそ、俄然リオは渡せない!」
そう言うトモエさんは、触れたら怪我しそうな程に、いつにも増して真剣だった。
「……私のやることが気に食わないんなら、高いトコから捻じ伏せてみなよ。返り討ちにしてやんよ」
「貴方の回答はよく分かりました」
眼帯の女は右手の白い手袋を外した。
「それでは“処理”を開始します――」




