(閑話)迷い雨と青眼の黒猫
時は遡ること八日前――。
帝都デッパリア中央駅はキューソロジアの政治・経済・物流等々、有りとあらゆる面に於いて正しく中心地であると言えよう。その証拠に、駅は日が暮れた今も尚、人の流れが完全に途切れることはなく、絶え間なく様々が到着しては去っていく。
そんな人でごった返す駅内に聳える巨体が一つ。無造作な灰の髪、傷一つない焼けた肌、絵に描いたような質素な服装、手には人の背丈ほどはある“棒状の何か”が布に包まれ、肩には何故か純白のマントを掛けている。溢れ出る違和感に彼は周囲の目を際限なく引き、そして駅員をも引き寄せていた。
「――ちょっと君ぃ。少しお話いいかなぁ?」
四十か五十くらいの背の低い駅員が、訝しそうに男に声を掛ける。
「はい。何でしょうか?」
駅員が見上げた男の顔は異常なほど真剣だった。
「名前と年齢、それと職業ね。言える?」
駅員は何千回と繰り返してきたであろう決まり文句で心底面倒そうに問うた。
「お任せください」
その言葉一つで駅員の面倒顔はより濃くなる。
「俺の名はダイゴロム・ラルレイン。年齢は21歳。職業は、ただの農民です」
「ふーん。で?その手に持ってるデカいのは何なの?」
駅員はラルレインが手にしている“棒状の何か”を指差した。
「これは剣です」
「剣?こんなデカいのが?」
「はい。特別なやつです」
ラルレインは少しだけ布を捲り、剣の柄を見せ付けた。
「そう……。で、ただの農民の君が、何でそんな大層な剣を持ち歩いているワケよ?」
「それは――」
「それは?」
言い淀んだ男に、駅員は暇なく問い迫る。
「それは……」
「それは――?」
「……その、収穫に使う…からです」
表情こそ揺るがなかったが、目はガッツリ泳いでいた。駅員は呆れ顔を浮かべる。
「んな訳ないでしょ?」
「ああ、いや……。では、少し時間を下さい。ご納得いただける用途を他に考えます」
「考えるって言っちゃってるし……。君ね、ふざけてる?何に使うかは分かんないけどね、そんな危険なもの駅に持ち込ませる訳にはいかないの。分かるよね?」
「確かに……」
「取り敢えず君、事務所来て。色々話聞いたあとに君をどうするか決めるから」
「分かりました」
「ちょっと待ったぁ――!!」
二人を制止する声、振り向くとそこには焦りに目をかっ開いたマヨイの姿があった。
「なに君?この人の連れ?」
「そうです。妻です」
マヨイは慌てて駆け寄り、駅員からラルレインを覆い隠すように間に割り込む。だが、ラルレインの巨体はマヨイの頭上から優にはみ出していた。
「俺の妻なんです。美人なんです」
「……そうかい」
ラルレインは至って真剣な顔で駅員にそう言い、空気を凍り付かせる。直後マヨイは秘かにラルレインの脛に踵を振り落ろし、ラルレインはビタリと身動きを止めた。
「……本当にすみません。あの、お手数お掛けしますが、うちの人は一体何をやらかしたのでしょうか?」
マヨイは普段の凍て付くような口調ではなく、腰が低く親しみやすい喋り口調で駅員に問い掛けた。
「いやね奥さん、やらかすっていうかね?おかしいでしょ、この大きな剣。駅に持ち込めると思ってるの?」
「あぁ……」
ほんの一瞬、瞳の奥に冷気が戻る。だがしかし、マヨイは演技を崩さない。
「――すみません。簡単には信じられないとは思いますけど、こちらの剣はうちで栽培する巨大カボチャの収穫に必要なものでして、疚しいものではないんです!」
マヨイは思わず応援したくなるような健気な雰囲気を装う。駅員の表情はまんまと揺らいでいる。
「じゃあ、何でそれを持ち歩いてるワケ?」
「こちらは帝都のとある店にしか売っていない貴重な物でして、今日はそこでこの剣を新調して地元に帰る途中なんです。嘘みたいな話なんですけど本当なんです。何とか信じて頂けないでしょうか?お願いしますっ!」
マヨイは健気に頭を下げた。頭を下げつつ、背後のラルレインの鳩尾をかなり強めに肘で突く。ラルレインは半ば蹲るように頭を下げた。
プラットホーム――。
「――だから言ったでしょう?その剣は置いてきて下さいと。今回は何とか見過ごして頂けましたが、次また同じ事態になったらどうするつもりなんですか?」
マヨイは膝を組んでベンチに座り、その上、腕も組む。すっかりいつもの口調いつもの態度の手厳しいマヨイである。マヨイは真正面に立ち尽くすラルレインを睨み上げる。
「すまないトコヨノ。だがこれは俺の大事な相棒なんだ。こいつと一緒でないと俺は嫌だ」
「嫌だって……。子供じゃないんですから。はぁ……」
マヨイは辛辣に溜め息を吐いたあと、席を立ち上がった。
「もう間もなくカピバ往きの夜行列車が到着します。いいですか?呉々も勝手な行動はしないで下さい。貴方は私の命令を忠実に実行すればいいのです。判ってますよね?」
「うむ」
ラルレインもまた、全くいつも通りの真剣な顔で頷いた。マヨイは不審そうに目を細める。
「……。兎に角、今は絶対に私から離れないで下さい。カピバまでは七日もかかります。乗り間違えたら大変なタイムロスになるんです。ですので間違っても絶対に勝手な行動はしないで下さい。――って、これでは本当に子守りじゃないですか……!」
マヨイは渋っ面で頭を抱えた。
列車がホームに滑り込む。貿易港のあるカピバ往きの列車は、夜行列車だというのにそれなりの数の人が乗り込んでいる。その客車にマヨイとラルレインも乗り込む。
その時であった。マヨイの足下を黒い毛玉が隙間風のように通り去る。細くしなやかなシルエット、猫だ。マヨイは咄嗟にその黒猫を捕らえ抱きかかえた。
「猫だな」
後ろのラルレインが上から覗き込む。
「そうですね。列車に入り込んでしまっては大変です。その辺りで逃がしてきますので、貴方は先に乗り込んで……、いえ、出入りする人の邪魔にならないようにこの場で待機していて下さい」
マヨイは少し離れた駅のホームで猫を放す。だが黒猫は逃がされたそばから再び客車に向かい、今度はラルレインによって捕獲された。
「この猫、一緒に行きたいのではないか?」
ラルレインは至って真面目に進言した。
「は?そんな訳ないでしょう」
すると黒猫は、何かを訴えるように円らな瞳でマヨイを見つめた。
「ほら、一緒に行きたいという目をしている」
「いやいや、そんな訳……」
黒猫はマヨイを見つめ続ける。マヨイは黒猫の青い瞳に吸い寄せられる。あざとく首を少し傾げ、瞳孔が丸く開いた愛らしい瞳。マヨイの表情は嘗てなく揺れる。
「――そうですね。この猫ちゃんがそれを望むなら、私達が止める理由はありません。猫は自由な生き物ですから。さぁ、駅員に見付かっては大変です。早く私の方にその猫ちゃんを――」
「隠すなら俺が隠そう。俺の方が図体が大きいから隠しやすい」
「駄目です。筋肉が独りでに動いているような貴方に任せる訳にはいきません。さぁ早くは私に――!」
「筋肉が独りでに……?」
ラルレインはそう呟きながら黒猫をマヨイに手渡した。マヨイは黒猫をすっぽり抱きかかえる。
「この猫ちゃんは私が責任を持ってお世話致します。いいですね?」
「うむ……」
二人と一匹はこうして客車に乗り込んだ。
列車は寝台列車で、区切りとカーテンによって簡易的な個室が用意されていた。マヨイは黒猫と共にその一室に腰を下ろす。ラルレインもその部屋に入ろうとするが――。
「ちょっと貴方、何を考えているのですか?」
そんなラルレインをマヨイは冷たく睨み付けた。
「ん?どういうことだ?」
ラルレインはぽかんとマヨイを見つめる。
「ここは私の部屋です。貴方の部屋は一つ隣です」
「相部屋じゃないのか?」
「は?当たり前でしょう」
マヨイの眉間に攻撃的なシワが走る。しかしラルレインは、その子供なら泣き出すようなマヨイの表情を見てもぴくりとも動じなかった。
「そうだったのか。失礼したな」
ラルレインは個室から足を踏み戻した。尚もラルレインの表情は微動だもしない。
「――では、空が暗くなっているので俺はそろそろ寝たいと思うのだが、構わないだろうか?」
「ええ、構いません。お気の済むまでお眠り下さい」
マヨイは棘を潜ませたぞんざいな態度で、ラルレインを視界にも収めずにそう言った。
「そうか。では、おやすみ」
そう言ってラルレインはやはりいつもと変わらぬ顔で去っていった。
ラルレインが去っていっていったのを確認すると、マヨイは座席に背中をつけてもたれ掛かった。表情には疲れが滲む。
「はぁ……。これから七日間……。先が思い遣られる……」
天井に向けて溜め息を吐くと、首だけを前に倒し、膝の上で丸まっている黒猫の背中を柔く撫で始めた。
「よしよし……。お前はいいなぁ。ただ存在するだけで、こんなにも可愛いんだから――」
黒猫は暫く満更でもなさそうに膝の上で伏したのち、顔を持ち上げてマヨイの顔を円らな瞳で見上げた。
「なんて愛くるしい……!これから七日間、必ず私が守ってあげるからな」
マヨイは黒猫に温かく微笑みかける。そこにラルレインの前で見せる冷徹さはすっかり解けきっていた。すると黒猫は、マヨイの言葉に呼応するように一度だけぱちりと瞬きをした。
「そうだよな。お前には私が何を言っているかなんて分かんないもんな。よしよし……」
マヨイは解けた顔で黒猫の顎を指先で撫でる。黒猫は目を瞑って顎を持ち上げてから、マヨイの指先を舌で舐めた。
「ふふっ、くすぐったい……」
……その時だった。
「――トコヨノ、頼みがある!」
図々しい男ラルレインがいきなり仕切りのカーテンを開け放った。
「……!!何ですか急に!?」
マヨイは肩だけ跳ねさせてから、瞬時に毅然とラルレインを睨んだ。睨みつつ、黒猫に舐められていた指を一瞬で隠した。
「ていうか、ノックくらいして下さいよ!急に人の部屋を開けるなんて……」
「あぁ、そうだな。すまない。次から気を付ける」
ラルレインはしゅんとした。その隙にマヨイは膝の上の猫を向かいの座席に移動させる。
「それで?一体何の用ですか?」
「ベッドの開け方が分からないんだ。教えてくれないか?」
個室には、座席の上部に折り畳み式のベッドが備え付けられていた。
「そんな事も出来ないのですか……?」
マヨイの表情には再び疲れが浮かぶ。
「すまない。色々試したが、よく分からなかった」
「はぁ……。まったく仕方ないですね……」
マヨイは溜め息を吐き捨て、席を立った。
この時のマヨイは知らなかった。そんな出来事が、またそれに類する出来事が、その日から実に七日間も続くということを――。




