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運命のバイオレーター  作者: タクモ蕣
帝都デッパリア編
16/20

(16)異邦.2

 その瞬間、僕の両頬を背後から弄ぶトモエさんの手が止まった。

「私ね、こことは違う宇宙から来たみたいなんだよね~」

「えっ?――え?ど、どういう……?」

僕はトモエさんの表情を求めて振り向こうとするが、トモエさんの手が再びむにむにを始めて、僕は顔さえも身動きが取れなかった。

「私もよく分かんないんだけどね~。そこのクソ猫がトラックに……、えーっと、ゴツい馬車みたいなのに撥ねられそうになっててさ、それを助けようと道路に飛び込んだら、なんか気付いたらこの世界にいたんだよね~」

トモエさんの口調は至って暢気で、僕の気持ちはすっかり置いていかれる。

「如何にも!」

突然シュレディンガーが口を挟んだ。

「我はそれまでに集めていた虛空の欠片を使用し、宇宙間渡航を行う事で身体の損傷を免れようとしていた。だが此奴は大きなお世話にもそこに飛び込み、その結果、今に至る」

「はぁあ!?」

トモエさんは怒号を飛ばした。もう、いきなり耳元で大きい声は出さないでほしい……。

「おいクソ猫テメェ、人が体張って助けてやろうとしてたのに、大きなお世話とは何つぅ言い草だこの野郎!!」

「我はそもそも助けなど求めておらんかった。巴が勝手に行った行為だ。それを恩着せがましく言われる筋合いなど我にはないし、その上、結果的に我は巴を他宇宙へ転移させてしまった事になるのだ。その責任は我が取らねばならぬ。これを大きなお世話と言わずして何と呼称するのだ?」

「ぐだぐだ屁理屈言いやがって、感謝の一つでも――!」

二人の、……いや、一人と一匹の言い争いは暫く続いた。


 仕切り直して――。

「――では、この虛空の欠片を集めると、トモエさんはもとの世界に戻れるんですね?」

「そうだ。虛空の欠片は世界のあちこちに紛れ込んでおる。それを一定量集める事で虛空への抜け穴が穿たれ、宇宙間渡航が可能になる」

「成る程……」

そうは言ったものの、実のところはあまりピンと来てはいない。僕は手の上の虛空の欠片を再度見つめた。つまる所、結局これは何なのか……?

「それで、この石コロが記念すべき一つ目の欠片なんだよね〜」

トモエさんは僕の手の上の虛空の欠片を人差し指で上から押さえ、ころころと転がした。

「その、宇宙間渡航?をするには、どれくらいの虛空の欠片が必要なんですか?」

僕はシュレディンガーに視線を移す。

「ヒト一人となると、大体直径16cmといった所だ。大人の人間の手にも収まらない大きさだな。今の団子程度の大きさを考えると、先が思い遣られる事この上ない――」

シュレディンガーはそう言うと、その場で丸まって瞼を閉じた。青い瞳が見えなくなると、完全に黒い毛玉である。

「では、当分は掛かりそうですね」

僕はトモエさんの顔を振り返って見上げた。

「そうだね」

トモエさんは虚空を見つめていた。

「……」

そっか、そうだ。僕はそっと顔を背ける。……僕はいま、なんて事を思い描いていたのだろうか。最低だ……。

「――まぁ、ゆっくりやっていくしかないよね。シュレー!」

トモエさんはシュレディンガーを呼んだ。

「何だ?」

シュレディンガーは猫のくせに迷惑そうな表情を浮かべて頭を上げて瞼を上げた。

「次の虛空の欠片はどこにある?」

「その件だが、我に聞く必要はもうない。小僧、手を平らに広げてみよ」

「あ、は、はい」

僕はシュレディンガーに言われるがまま虛空の欠片を乗せる手を大きく開く。

「良いか?虛空の欠片は互いに引き寄せ合う性質を持つ。つまり、手元に一つでも虛空の欠片が存在するのならば、最も近い次なる欠片の方角を導き出せる、という訳だ。理解は追い付いておるか?」

「まぁ……」

逐一うるせえなこの猫と思いつつ、僕は自分の手の平を覗いた。トモエさんもすぐ隣から僕の手の平を覗く。虛空の欠片は手の平の中心の窪地に大人しく収まっていたが、暫くするとほんの僅かだけ親指の付け根の方に転がり始めた。そこは付け根の肉で傾斜になっていて、何の力も加えずに登るのは不自然だった。これは、引き寄せられたのか?欠片は親指の付け根のより険しい肉の丘陵に阻まれ、そこで止まった。

「ホントだ!今ちょっと動いた!」

トモエさんは人の耳元にいる者としての当然の気遣いを完全に無視した声量の声を上げる。鼓膜が破れるかと思う。

「小僧、虛空の欠片はどちらの方角に引き寄せられておる?」

「あっち……、えーっと、北西方向ですかね」

「では、最寄りの欠片はそちらにある。次に向かうべき方角が決まったな」

シュレディンガーはそう言うと、役目を終えたと言わんばかりに机上に丸く寝転がった。シュレディンガーは再び黒い毛玉になった。

「北西か~。近いといいな~」

トモエさんも後方に倒れ込み寝転がる。僕はやっと解放される。

「リオー。北西って何があるー?」

トモエさんは寝転がったまま雑に声を撒き散らした。

「海ですかね……」

僕はベッドからそっと立ち上がり、だらしなく横たわるトモエさんを見下ろすと、トモエさんは荒波のように立ち上がった。

「海ぃ?マジで……?」

「はい。キューソロジアの北西には広大なセナ海が広がっています」

「セナ海……。これって、虛空の欠片が海の底とかにあったりしたら、どう回収するの……?」

トモエさんは血相を変えて聞いてくる。

「え……。――例の物の位置を入れ替える能力で何とかならないんですか?」

「相互置換じゃどうにもなんないよ。だって虛空の欠片に触れたら発動しなくなっちゃうんだよ?私、海の藻屑になっちゃうよー」

「確かに……」

それは確かにどうにもならない……。

「えぇー、どうしよ……」

トモエさんは僕の顔を見つめる。

「……」

僕もトモエさんの顔を見つめる。そんな顔をされたって、僕にはどうする事もできないんですけど……。

「何かない……?」

「何もないですよ……」

互いに互いの顔を見つめ続ける。

「――まぁ、その時のことは、その時になったら考えるか~」

トモエさんは再度後方に倒れ込んだ。僕はトモエさんを再び見下ろす。この暢気さというか、楽観的なところは最早見習うべきかもしれない。

「――そのセナ海?より手前にあるかもしれないしぃ、越えた先にあるかもしれないもんね~」

トモエさんは再度寝転がった。

「ねぇ?そのセナ海の向こうには何があるの?」

「セナ海の向こうには“カウカウ”という土地がありますけど……」

「けど?」

トモエさんは僕の微かな言い淀みに具に反応した。

「けどって、なんかあるの?」

トモエさんの視線が、寝転がったまま飛んでくる。

「僕は、あまり足を踏み入れない方が良いかと思います……」

僕は目を逸らす。

「何で?」

「……その、“赤毛人”と呼ばれる人達が住んでいる土地だからです」

「あかげびと?」

「はい。その名の通り体毛が赤い人種の事です。聞いた話に依れば、“凶暴で野蛮な人達”だそうで、その、治安も悪いらしいですし、犯罪率も高いらしく、とにかく良い噂は聞きません。出来る限り近付かないほうが良いかと思われます」

僕は真面目に訴える。だが、トモエさんにはその危険性があまり伝わらなかったようだ。

「ふーん。まぁ、どっちでもいいけど、海の底よりはマシだなぁ」

「そんな暢気な……」

こんな暢気で大丈夫なのだろうか。確かに相互置換の異能があれば、身の危険はないのかもしれないけど、でも、もし何かあったら……。

「――じゃあ、次なる目的地はセナ海。んで、もしセナ海に無かったらカウカウだね。よーし、そうと決まれば、さっそく出発の準備だ!」

トモエさんは勢いよくベッドから立ち上がった。

「え?今からですか?」

僕はトモエさんの勢いに気圧されて道を空ける。

「そんなワケないでしょ?出発は明日の朝にしよう!リオもそのつもりで心の準備しといてね!」

「は、はい……。分かりました……」

トモエさんは目を輝かせながら机の下に広がっていた荷物を整理し始めた。本当に凄い行動力だ。僕が今ここに居るのもこの臨機応変な行動力に依るところがあるのだろうが、裏を返せば無計画。確かに追われる身である以上、行動は早いほうがいいのだろうが、だけど僕は、ちゃんとした計画がないと不安になる。まぁ、トモエさんと一緒なら何とかなってしまうのだろうが。トモエさんには、その権利がある。それは異能があるからではなく、人柄に依るところが大きいんだ。


 夕食を食し、夜。布団の中――。部屋は昨日に増して寒い。

「――トモエさん、起きていますか?」

僕は背後のトモエさんの気配に話し掛ける。

「なぁに?」

トモエさんの声は天井を反射する。

「トモエさんは、本当に違う世界から来たんですか……?」

思えば、黒い髪も幼い顔立ちも、服装や髪型も、おかしなところは幾らでもあった。だけど、でも信じられない。……信じたくない。

「そうみたい。実感ないけどね」

トモエさんの声は落ち着いていて、僕は視線を落とす。

「では、いつか……、虛空の欠片が集まったら、もとの世界に帰ってしまうんですか?」

こんなことを本人に伝えるのは間違っている。分かってはいるけど、聞かずにはいられなかった。

「なに~?リオ、寂しいの~?」

いつもの茶化すような口調。今はそんなの聞きたくない。

「はい……。離れたく、ありません……」

「そっか……」

僕はそっと頭を撫でられる。違う。僕はそんな甘やかしが欲しいんじゃないんだ。

「私は帰るよ。向こうに、どうしても手を離せない奴を残しているから。だから私は帰る。でもすぐには無理みたいだから、それまでは一緒にいよ。ねっ?」

「……」

「……リオ?」

返事をしなきゃいけなかった。トモエさんの後ろ髪を引っ張るような真似はしたくないから。でも、それがどうしてもできなかった。

「――嫌です……」

そんなこと、言ってはいけない。言ってはいけないのに、だけど耐えられなくて、僕はトモエさんに届かないようにそっとそう口走った。それで治めるつもりだったんだ。でも、それだけじゃ抑えられなかった。一度ひび割れたグラスは、一カ所の水漏れから容易く崩壊した。

「……何で」

もう何もかも止められなくなった。

「……だって、おかしいじゃないですかっ!……ッ!――何で、僕の手は離すのに、その人の手は離さないだなんて、そんなの……!!」

「……リオ」

「僕だって……!僕だって、あなたが居ないとダメなんです!僕はあなたが居たから、今を生きていられるんです!あなたが居なかったら、今だってずっと僕はあの部屋で死んでいた!!僕にはトモエさんが必要なんです!!この世界で一番僕がトモエさんを必要としています!!お願いします……!僕から離れないでください……!どこにも行かないで……、どこにも行かないって言ってください……。……僕を一人にしないでください、お願いします……」

最低だ。僕は最低な人間だ。こんなの、困らせるに決まっているのに、僕は自分のくだらない弱い心に流されて、こんな無茶をトモエさんに懇願してしまった。最悪だ、僕は……。

「リオ、こっち向いて――」

トモエさんの声は落ち着いていた。

「嫌ですッ……」

「なんで?泣き顔見られたくないの?」

「泣いてなんて……」

あまりに虚勢過ぎて、僕はそこで口を噤んだ。

「ほーら。私にリオの可愛い泣き顔を見せて?」

優しく響く声に誘われて、僕は寝返りを打つ。

「ごめんなさい……、わがまま、言って……」

歪んだ視界で恐る恐るトモエさんの表情を覗く。トモエさんは柔く微笑んで、僕の目尻を指で撫でてくれた。

「なに言ってんの?リオってホント生意気。――おいで」

トモエさんは両腕を広げて僕を懐に促す。僕はそれに吸い寄せられる。

「リオの思い、ちゃんと受け取ったよ」

僕はトモエさんの懐に収まる。包み込まれる。宥めるように頭を撫でられる。ああ、やっぱり駄目なんだ。僕の思いは宥められなきゃいけないものなんだ。そんな分かりきったことを今更思い知って、僕は震えた。いつかは、僕を包むトモエさんはこの世界から消えてしまうんだ。

「……よしよし。リオを連れては帰れない。きっとそれは良くないことだと思うから。でも、リオは世界で一人じゃないよ。いつか必ず、孤独を分け合える誰かと巡り会えるから。私だけじゃない」

そんな知らない誰かなんて巡り会いたくない。巡り会わなくていいから、僕はトモエさんと一緒にいたいんだ。――少し前まで、トモエさんも知らない誰かだったのに。おかしいのは僕だって分かっているんだ。

「――はい……」

「でも、その日が来るまでは、隣り合っていよう。ねっ?」

トモエさんの顔を見上げる。陽溜まりのように濁りのない晴れやかな表情。その顔に、僕の胸は益々切なくなる。僕は、僕の心と折り合いをつけなくてはならない。世界は僕を引き摺り回してでも進むのだから。僕は、僕を治めなければならない。情けないし嫌だけど、そうするしかないんだ。

「……トモエさん」

「なに?」

「もう少しの間だけ、抱き付いていていいですか……?」

「しょうがないなぁ甘えん坊め。特別だぞ?」

僕はトモエさんに抱き付く。縋り付く。いつか消えてしまうなら、今だけは離したくない。譲りたくない。これでいいんだ。言い聞かせる。それこそが正しいのだと、言い張るように。心が窮屈になる。息が辛くなる。でもこれでいいんだ。きっとこれでいい。だとするならば、この溢れる涙は必要なものだ。恥ずかしいことじゃない。これでいい。僕は泣き疲れて寝落ちするまで、トモエさんの懐の中で泣き続けた。

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