第8話 奪われた王女の顔
王が亡くなってからの数日、王都の空気は淀んでいた。
民の見本となる騎士達の隊列は乱れ、掛け声はどこか低い。露店の呼び声すら控えめで、人通りは明らかに少なくなった。
それ故に、王都の中心、大広場に繋がる道には太い列が出来ていた。
王になる者の声明を聞くために。
大広場に繋がる人波に混じり、ラズはフードを深く被り周囲を観察していた。隣には同じくローブを被ったアリスがいる。髪がはみ出ぬよう後ろで縛り、顔が見られないように俯き加減に足を進める。王女の気配を消す変装としては十分だが、近づけば気づく者もいるだろう。
「人が多いな」
ラズが小さく言うと、アリスが短く頷く。
「みんな不安なのよ。王が亡くなって」
大広場は人で埋まっていた。
石畳の上にびっしりと、様々な民衆が集まっている。商人、職人、役人から傭兵。誰もが暗い色の服を身に纏い、顔を上へ向けている。壇上にはアルゲンティア王国の旗が空高く掲げられ、周囲を騎士団が警戒している。
あちこちで囁きが飛び交う。
「本当に、王が?」
「良い王だったよ。長い間よう保ってくださった」
「まだ若かった。心労が酷かったのだろうか?」
悲しみはある。だが、悲観的な言葉ばかりではない。
「第一王女が継ぐんだろ?」
「そりゃそうだ。アリス様なら安心ってもんよ」
そんな言葉が何度も繰り返される。
「若いけど聡明なお方だよ。税の見直しも戦地への支援も、姫様が働きかけてくれたおかげでよくなった」
「騎士団に入った時は驚いたが……。強くなられた、口だけじゃない」
「民の顔を見て話す、アリス様は我々の味方だよ。国はもっといい方へ進むはずだ」
肯定的な声が広場を埋め尽くしている。
良い王だった。次の王にも期待は出来る。だから、この国は大丈夫。そういう空気。
ラズが横目で覗き込む。
「好かれてるんだな」
アリスは俯いたまま、口元を緩めた。
「当然よ」
しかし、その口元はすぐに閉じる。
「期待に応える心構えは、作っていたのだけどね」
そうはならなかった。
壇上の前、騎士団が隊列を整え始める。
号令が響き、一糸乱れぬその動きに、民衆のざわめきが少しずつ収まっていく。
やがて、壇上に男が現れた。
高身長で喪の黒衣が似合う、無駄のない体格をした青年。鍛えているのが分かるのに、武骨さは感じさせない。顔立ちは爽やかだ。整った輪郭に、端正な口元。それだけなら、ただの青年に見えただろう。
だが、目が違う。
鋭い。蒼く輝く瞳は、感情を読ませない深みを感じる。視線を向けられただけで背筋が正される。声を掛けられずとも責められた気にさせる。
第二王子、ヴァルト・アルゲンティア。
「ヴァルト様じゃないか?」
「なんで第二王子が?」
ざわめきが広場に響く。
「次の王はアリス様だろ?」
「まさか、ヴァルト様が王になるのか?」
「ありえない。確かに優秀ではあるが、彼の目が民に向けられた事なんて一度もないぞ?」
民衆の声を聞きながら、ラズはヴァルトを注意深く睨む。何度か見たことがあり、噂はよく聞く。国の為に騎士を使い捨てる非道な指示を出す男。騎士団に所属していた者からすれば、彼を快く思うことはない。
周りの者達も似たような感情を抱いているようで、聞こえてる声は不安や不満に満ちている。
だが、隣のアリスは納得したように頷いていた。それはまるで予想通りだと言わんばかりの肯定だ。
第二王子は広がるざわめきに表情を崩さず、怯まない。
壇上の中央へと進むと、周囲の騎士が身構えた。
そして、ゆっくりと手を挙げる。
たったそれだけで、広場の騒めきがおさまる。
「王都の民よ」
よく通る声。決して大きくはないが、耳に届き、自然と目線がそちらに向いてしまうような、不思議な魅力を感じる。
「まず、聞いてほしい。今の混乱は誰のためにもならない」
第二王子は一拍置き。
「知る者はいると思うが、王が亡くなった」
広場のあちこちで、嗚咽が漏れた。膝をつく者も、その場で泣き崩れる者もいる。第二王子はそれらを噛み締めるように沈黙し、それから続けた。
「王が倒れてから、皆は不安だっただろう。だが、我々は混乱を許さない。父王の築いたものを守り抜く」
民衆は顔をあげて第二王子を見上げる。何かにすがるような、希望を求める瞳。それを確認してから、第二王子は中央から横へ退いた。
「どういうこと?」
アリスが呟く。それは恐らく、次に来るのは王位を継ぐ宣言だと思っていたからだ。
しかし、その予想は最悪の形で裏切られる。
壇上の奥から現れたのは女性だった。金色の髪が光を反射し強く輝く。蒼い瞳は全ての民衆を見守るように、広場全体を見渡した。
顔つきは凛々しい。顎を僅かに引いた横顔には迷いがない。悲しみに沈むというより、悲しみを糧に前を進む強さを、その姿勢と顔つきで見せつけている。
「アリス様だ!」
「そりゃそうだ。第二王子は器じゃない」
「あぁ、アリス様。我々をお守りください……」
歓声と安堵が王国中に響き渡る。
その歓喜にも勝る空気の響きは空を浮かぶ雲を跳ねのけるほど天にまで響く。
だが、アリスには違った世界が映っていた。
世界からは音が消える。
歓声で耳がやられたわけではない。周囲のざわめきが遠のき、目の前に見えていた全てがかすんでいく。その中で唯一、ぶれずに映り続けるモノは、壇上の自分の姿。
喉が動かない。声が出ない。呼吸ができない。呆気にとられる、という言葉すら生ぬるい。
ラズは最小限の動きで目線をアリスに向ける。
壇上の王女と見分けがつかない。髪の色。輪郭。背丈。所作。遠目には完璧だ。どちらも記憶にあるアリストリッド・アルゲンティアそのもの。
ラズはすかさず影を伸ばした。大広間にある人影の中を滑らせて、壇上の彼女まで走らせる――途中で阻まれる。防壁魔法。そして、そこに交じり込む認識阻害魔法の感覚。
認識阻害魔法は人の意識を逸らす、紛らわせる魔法。
継承する場で、なぜ認識阻害魔法を使用する理由がある?
深呼吸を挟む。
自分に魔力を集中させて、静かに目を開く。
そして、壇上の王女を見た。表情が硬く、瞳に力を感じない。真っ直ぐ前を見据える瞳には一見して力を感じる。だが、その奥にあるものに光を感じない。動揺と緊張。震える空気に当てられてた結果、微かに目が泳ぎ、手の震えを抑えるように胸の前で組まれている。
次に隣の彼女を見る。
フードの影の中で彼女の瞳が不安に揺れる。怒りと困惑が混ざったような、複雑な瞳の動き。しかし、それでも、その瞳には微かな光が差し込み、確かな意志が溢れ出ている。
「くだらないことをしてくれるな」
ラズは小さく零し、少なくとも壇上に立つものが王女でないことを確信した。
同時に理解する。これは最悪の盤面だ。
民衆は壇上にいる何者かを、本物のアリストリッドだと認識している。
だが、それは違う。
隣にいる彼女が本物のアリストリッドだとは言い切れない。しかし、壇上にいるアリストリッドは間違いなく偽者だ。
何にしても、ここで一つでも間違えれば広場は地獄になる。
ラズはアリスの手に指先をわずかに触れさせた。落ち着いて状況を判断しろと。
だが、アリスの瞳に灯された熱は止まる様子を見せない。
壇上の偽者がさらに一歩、前に出る。
広場が静まり返る。
第一王女が発する言葉に、この場にいる誰もが耳を傾けた。




