第63話 開戦
数日後。王都前の平野には朝から張り詰めた空気が満ちていた。
城壁の外、十分な距離を取った場所に、アリス達の軍勢が並んでいる。
先頭にはアメリア、アルゴが率いる元王都騎士団。脇を固めるのはパウザリアの駐屯騎士、噂を聞きつけた騎士や志願兵達。その後方に魔具を構えるバステリオン兵。
旗の色こそ違えど、今はひとつの軍として王都を見上げていた。寄せ集めだ。思いはそれぞれが違うだろう。だが、その列には揺るがない覚悟があった。
アリスは馬上から王都を睨む。
高い城壁。堅く閉ざされた門。その上には、王都騎士団の兵達がずらりと並んでいる。そして、その中央。見せつけるように、二つの影が立っていた。
一人はヴァルト。もう一人は、アリスと同じ顔をした女――アウローラ。
距離があってもわかる。偽物はこちらを見下ろしながらも、どこか立ち方が落ち着かない。視線が揺れている。
アリスは手綱を軽く引き、前へ出た。アメリアとアルゴが両脇を固めて、元騎士団が盾を構える。
風が吹き、軍旗がはためく。
アリスは深く息を吸った。
「聞きなさい!」
澄んだ声が平野に響いた。城壁上の兵も、前に並ぶ王都騎士団も、思わず視線を向ける。
「私はアリストリッド・アルゲンティア! アルゲンティア王国第一王女よ!」
ざわ、と王都側が揺れた。城壁の上で、アウローラの肩がびくりと震える。
「ここへ来たのは王都を焼くためじゃない。貴方達と剣を交えるためでもない。民を苦しめ、アルゲンティアを腐らせ、魔物まで使って支配を続ける。偽者の嬢王の嘘をここで終わらせるためよ!」
王都前の空気が変わる。
「私は民を見捨てるようなことはしない! そのことは貴方達ならわかっているはずよ! 己が欲の為に私腹を肥やし、民を痛めつける。そんな背中を見せた覚えはない!」
アリスの声は、はっきりと城壁へ届いていた。
「私はそれを取り戻しに来た。王都ごと、アルゲンティアを! もし抵抗するというのなら……。全力を持って、この国を取り戻す!」
短い沈黙。その空気を破ったのは王都側ではなかった。
後方から、レイが一歩前へ出る。
白い髪が風を受ける。その細い手が、ゆっくりと前へかざされた。
「いくよ」
小さな声。けれど、それで十分だった。
次の瞬間、空を覆うほどの巨大な魔法陣が上空に広がる。
眩い光が、王都前の空間を引き裂いた。
城門の真正面ではない。王都騎士団の最前列にも当てない。
その少し手前。誰もいない地面へ、白い閃光が叩きつけられる。
轟音。
土が爆ぜ、光の柱が朝の平野を飲み込んだ。生えていた草が焼かれ、土が解ける。仕込まれた魔具の罠が暴発し続け、土煙を巻き上げる。
何日にも考え、仕込んだ罠の全てが一撃で屠られた。衝撃が王都前へ走り、騎士が思わず身を竦める。馬がなき、砂煙が大きく立ち上る。
レイは剣を振り払う。
焼野原。もしそこに人がいても、存在ごと消されていたような強力な光魔法。
「……」
誰も、すぐには声を出せなかった。
城壁の上ですら、わずかな混乱が走っている。アウローラが一歩後ずさり、ヴァルトだけが鼻を鳴らす。
レイは何事もなかったかのように下がる。
それだけで王都騎士団が緊張から解放されたように息を吐く。もう撃たない。だが、誰もが「まだあれがいる」と理解した。
王都騎士団の列に、明確な動揺が広がる。
その隙を逃さず、アリスが剣を抜いた。
「答えなさい、偽の嬢王よ! 貴方が戦うというのなら、私は容赦はしない!」
剣先がアウローラに向けられる。
彼女の顔色は既に青ざめ、身体は震えていた。
助けるようにヴァルトに視線を向けると、彼が代わりに口を開く。
「偽者が何を言う! こちらいる、このお方こそがアルゲンティア王国、第一王女にして王であるアリストリッド・アルゲンティア! 皆の者! 遠慮はいらない、反逆者達を捌き、アルゲンティア王国に真の平和をもたらすのです!」
返す言葉に、微かな沈黙。
「いくぞ、全軍、突撃!」
王都騎士団の先頭に構えていた男が大声と共に走り出す。
それにつられるように突撃が開始される。
「っち。暗部を仕込んでいたか。どこまでも姑息な」
ラズが瞬時に見極める。
戸惑う騎士を引っ張るために、暗部が先陣を切った。
誰でも思いつくような安易な策。だが、緊張に包まれ極限状態に追い込まれている彼等には十分すぎる作戦だ。王都騎士団は押し出されたようにアリス達に突撃を仕掛ける。
「構えなさい! 取り戻すのよ、私達のアルゲンティア王国を!」
その一声で、こちら側の空気が爆ぜる。
バステリオン兵が雄叫びを上げ、元王都騎士達が一斉に前へ出る。
金属音が重なり合い、地を打つ足音が平野を埋める。
正面で、ついに二つの騎士団がぶつかった。
盾が激突し、槍がしなり、剣が火花を散らす。昨日まで同じ旗の下にいた者達が、今は別の信念で刃を交えていた。
「前へ! 押し負けるな! カバーし合え! 後方の事は気にするな!」
アメリアの声が響く。
元王都騎士達がそれに応じ、王都騎士団の中央へ食い込んでいく。王都側も弱くない。だが、最初に揺れたのは王都軍だ。レイの一撃が、まだ気持ちを削っている。
「第二部隊のアメリアか!? それに不死身のアルゴまで!」
「偽者に騙されやがってバカどもが! オレ達が見たアリスは上で見ているだけの臆病者だったか? 思い出してみろ、アイツはいつでも最前で現実を見ようとしてたじゃねえか!」
「――ッ!」
王都軍に戸惑いが広がる。盾がぶつかり合うが、アリス軍が徐々に押し始める。戸惑う騎士達の前には、馬に乗り、前線で騎士を取り続けるアリスの姿。
「中央、押し込みすぎないで! 右を厚く!」
「はっ!」
「合図が合ったら後退しなさい! 後方支援に巻き込まれるわよ!」
聞き馴染みがあるアリスの声に、さらに騎士達の呼吸が乱れる。
その乱れを突くようにアリス軍が前進し続ける。
シグレは後方から全体を見ていた。まだ前へは出ない。後衛から崩れを支え、必要ならどこへでも動ける位置だ。
その少し後ろで、イオリが人の流れを見ていた。
捕虜に紛れる者。
負傷兵に化ける者。
降伏したふりで潜る者。
暗部は必ずそういうところから入り込む。
だから、ここが自分の持ち場だとイオリは知っていた。
「……いたら、絶対見つける」
小さく呟き、影を広げる。
一方、最前を少し離れた位置で見ていたラズは、王都側の動きの中に、わずかな歪みを見つけていた。騎士団にしては妙に綺麗すぎる。何かを待っているような、そんな硬さがある。
城壁の上を見上げる。
ヴァルトはまだそこにいる。アリスの変装をしているアウローラは、すでに少し後ろへ下がっていた。
その時、王都側の後列がわずかに開いた。誰かが裏へ回った気配がある。
ラズの目が細くなる。
来る。
なら、こちらも動くしかない。
ラズは一度だけ、後方のレイへ目を向けた。
レイはすぐに気づき、ほんのわずかに頷く。
撃たない。まだだ。だが、必要な時は動けると、その目が言っていた。
ラズは視線を戻し、そのまま身を沈める。
足元に落ちる影。砕けた土塊の黒。騎士達の足元に揺れる濃淡。
影は十分あった。
次の瞬間、ラズの姿が地から消える。
前線ではまだ、騎士達の激突が続いている。
王都前の総力戦は、始まったばかりだ。




