第62話 王都決戦前夜
出撃前夜のパウザリアは賑わっていた。
宿には新たに着いた騎士達が次々と入り、広場の一角では積み上げられた物資が行き先ごとに仕分けられている。厩舎からは馬の鼻息が聞こえ、倉庫の前では荷役が木箱を運び込んでいた。
パウザリアは広くはない。だが、狭いなりに街のすべてを戦いへ向けて作り上げた。
ラズはその中を一人、歩いていた。
高ぶりはない。焦りもない。長く騎士を続けた結果、平常心でいることが最善であると結論付けたからだ。無駄な考えもしない、身体に疲れを溜めさせない。
ただ、明日が重要な日だという理解はしている。だからこそ、早めに休まずパウザリアを歩いてみている。
最初に見つけたのは、アメリアだった。
広場の端、仮設の天幕の下で、元王都騎士達をまとめている。広げた名簿へ書き込みを続けながら、休ませる者、前へ出す者、伝令へ回す者を次々と振り分けていた。
「先陣は伝えた通りです。明日の一戦で全てを決めるつもりではいけません。崩れたら下がる、代わる、立て直す。そこまでが役目です」
声に迷いはない。少し前まで感じていた硬さがなくなり、自然と話しを進める手際には頼もしさを感じる。
ラズに気づいたアメリアが、手を止めて顔を上げる。
「ラズさん」
「忙しそうだな」
「ええ。思った以上に、人が来ています」
アメリアは紙を畳み、息を吐いた。
「バステリオンからの増援だけではありません。途中で流れてきた騎士達もいますし、地方から逃げてきた者もいる。……思った以上に外は崩れていました」
「だろうな」
ラズが短く返すと、アメリアは少しだけ視線を落とす。
「不思議です」
「何がだ」
「王都で戦うこと自体にもう迷いはありません。でも……。知った顔とやり合うことを考えると、まだ少しだけ変な感じがするんです」
戦う覚悟は出来ている様子があったアメリアでも、決戦前夜になると弱気になるか。どこか不安げにそう零す。
ラズはそれに背筋を伸ばして答える。
「当然だ。先日まで仲間だった奴等と殺し合うなんて、慣れることじゃない。心構えだけでどうにかなるもんじゃないんだよ」
ラズは周りにいた騎士達にも目を配る。
「それでも俺達にはやらなきゃいけないことがある。アリスを勝たせてアルゲンティアを取り戻す。民を大切にしていた国を戻すんだ。王が魔物を使って民を従わせる。そんなのは誰も望んでいない、許しちゃいけない」
問いかけに、その場の誰もが頷いて見せる。
「迷ったら未来を考えろ。アリスが王になった未来と、今の王政が続く未来。どちらが悲惨な末路を辿るかなんて、明白なはずだ。アルゲンティアの未来を切り開くために、俺達は剣を振る。少なくとも、俺はそうするつもりだ」
ラズの言葉を聞いて、アメリアが深呼吸を挟む。
「……はい。負けられません、なにがあっても。未来のために。そうですね?」
部下達に問いかけ、同意の言葉が広がっていく。
それを見てラズが歩き出すと。
「ラズさん」
アメリアが駆け寄って来る。
「どうした?」
「明日は我々が前を抑えます。ラズさんはラズさんの任務に集中してください」
前線を支えることがどれだけ大変か。アメリアなら指揮を取らされることの重要性を知り、そのうえで重荷になっているはず。それでもなおラズを気に掛ける言葉。
ラズはアメリアの肩に手を置く。
「頼もしくなったな」
「えっ?」
「戦いが終わった後、アリスを頼む。彼女を支えてやってくれ」
それだけ伝えて再び歩き出す。
アメリアはその背を眺め暫くしてから名を呼ぶが、ラズが振り返らずに手だけを挙げてそれに答えるだけだった。
次にラズが向かったのは、街の外縁だった。
修繕を終えたばかりの柵の前で、シグレが夜空に浮かぶ月を見上げている。
近づくと、シグレは振り返りもせずに言った。
「眠らないのですか」
「シグレもだろ」
「見回りは領主の仕事ですから」
「いや、見回りは領主の仕事じゃないだろ」
ようやくこちらを向いたシグレの口元には、わずかな笑みがあった。
「明日、私は最前には出ません」
「魔物が出ればそうも言っていられなくなる」
「そうですね。……ですが、正直に言えば初めから前に出たいというのが本音です。私の恨みは魔物を動かす王都そのもの。怒りは魔物より、もはや人に向いています」
バステリオンに住むものなら、誰もがそうだ。いつから魔具により魔物が生み出されていたかはわからない。だが、それに何度も悩まされ、命が奪われていたという事実は確かにある。
「ですが、それは最善ではない。憎しみによる戦いは泥沼化を進めます。騎士同士でぶつかり合えば、もしかしたら和解の道もあるでしょう。理解はしています」
理屈では納得している。だが、感情がそれに追いついていないことも、ラズにはわかった。
「飲み込めるのか」
「飲み込みますよ」
静かな答えだった。
「バステリオンが少しでも平和で豊かになるのなら、私はなんでも受け入れます」
若い年齢にはそぐわない。実力が彼女を大きくしたのか、或いは立場が彼女を成長させたのか。領主として相応しい度量の広さだ。
「立派だな。アリスより王に向いてるんじゃないか?」
「ラズ様もそう思いますか? 私も薄々そう思っていたのですが。戦いが終わったら王に立候補してみるのも面白いかも知れませんね」
飄々と答えるシグレに、ラズの口元が緩む。
「残念ながらアルゲンティアは選挙君主制じゃない。それを望むならセレスティアに行くんだな」
「評議員ならバステリオンの領主と立場は変わりません。それは面白みに欠けますね」
「そもそもシグレは立場に興味があるのか?」
「いいえ。むしろ現場で動き回っていた方が私としては楽しいものです。……そう考えるとノースホルムで魔物を狩るのが楽しみになってきました。どんな奴等が出て来るのか」
平然とそう言えるのは、魔物との戦いに慣れているからか。
「先に明日だ。恐らく王都はでかいのを隠してる」
「でかいの?」
「ルーガル・ファウンダーより大物がいるってことだ」
確信ではない。だが、ラズが王都周辺の地下から感じる違和感。距離が遠いのに色濃く感じたものは、それだけのものだった。
「ふふっ」
夜風に靡く髪を整えながら、シグレは微笑む。
「なら、それは私の獲物としましょう」
シグレが腰に携えた刀を撫でる。
「いや、俺が」
「ラズ様の獲物は騎士団長でしょう?」
断定だった。
誰にも伝えていないはずだったが、シグレにはバレていたようだ。
ラズはその言葉を否定しない。
「そうなるな」
「なら、大物は私がやります。それぐらいいでしょう?」
「それぐらいって言うがな。恐らく地下にはファウンダークラスが何匹がいる。簡単な話じゃないぞ」
「そちらも引き受けますよ。バステリオンの指示は……。アリス様に任せましょう」
能天気にそんなことを言うシグレ。
「アリス様も後ろで見ているだけでは暇でしょうから。ね?」
「……シグレから言ってくれ」
「ならそうします」
全く、とラズが溜息を漏らすと、シグレが拳を突き出してきた。
ラズはその行為に僅かに迷うが、拳をぶつける。
「こういうタイプだったか?」
「今日ぐらいはいいのでは? と思いました」
お互いに見る先は王都。視線は躱していない。
それでも、思いは一緒なのだろう。
「ラズ様。ご武運を」
「シグレもな」
そのまま視線を合わせず、口元を緩めてその場を後にした。
街の中程、見張り兵が詰める駐屯所の屋根。
イオリが一人で座り、ボーっと暗闇を見つめていた。
ラズは影に潜ってすぐ後ろに一瞬で移動する。
「こんなところで何してるんだ」
「うわっ!」
飛び出してきたイオリが、心底驚いた顔でこちらを見る。
「師匠、びっくりさせないでくださいよ!」
「普通に声を掛けただけだ」
「もっと存在感を出してください! 師匠はいつも存在感が薄すぎます!」
「失礼な奴だな」
言いながら、ラズはイオリの隣に腰を下ろした。
イオリはむっと頬を膨らませるも、その顔も長くは続かなかった。すぐに真面目な顔になる。
「本当に、師匠一人で行くんですね」
「ああ」
「レイさんも行かないし、イオリも残るし……。それ、ほぼ一人じゃないですか」
「ほぼじゃなくて一人だ。完全な単独行動だよ」
「そこは気にしなくていいんです!」
思わず声が大きくなる。すぐに辺りを見回して、少し声を落とした。
「師匠のそばで影を使うのだって、イオリの役目なのに」
ラズは少しだけ視線を落とした。
イオリは真っ直ぐにこちらを見ている。
不満も悔しさもあるような視線だ。
「言ったはずだぞ。暗部を見分けられるのは俺とイオリだけだ」
「はい」
「俺が抜ける以上、頼めるのはイオリしかいない。アリスでもシグレでもない。イオリにしか出来ないことだ」
イオリが歯を食いしばり、発言を止める。
「降伏したふりをする奴、負傷兵に化ける奴。全部イオリが探るんだ。一人でも見逃せば後衛が一気に崩れることになる。できるか?」
昼間も聞いた問いだ。だが、今はもっと重い。
イオリは唇を引き結び、少しだけ俯いてから、もう一度顔を上げた。
「できます」
その目は揺れていなかった。
「師匠が戻るまで、絶対に後ろを抜かせません」
「よし。それと、俺の影にも気を配っておけよ。必ず連絡を入れることになる」
「というと?」
「強い魔物がいる位置を教える。それをシグレかアリスに伝えろ。野放しにしておくことはできないからな。そういう意味でも、イオリの立場は重要だ」
言いながら、ラズは立ち上がり、イオリは物足りなさそうにそれを見上げる。
「同じ影魔法使いのイオリにしか頼めないことだ。……活躍を期待してる」
その言葉を噛み締めるように頷いてから、イオリはラズの脚を叩いた。
「なんだ?」
「なんでもないです! 師匠、死なないでくださいよ!」
「誰に言ってんだ。俺が死ぬと思うか?」
「思ってないですよ! でも、言っておくだけです!」
なんだそれは、と内心では呆れるが、ラズは微笑む。
「ああ。まだイオリに教えることが山ほどあるからな」
イオリは小さく息を吸って、もう一度頷いた。
「はい!」
返事を聞いて、その場を離れたあと、ラズは宿の裏手を通った。
そこに、レイはいた。
壁にもたれ、夜空を見上げている。
灯りの届かない場所なのに、なぜかそこだけは見つけやすかった。
「待ってた」
「だろうな」
隣へ立つと、レイはじっとこちらを見た。
「明日、一発だけ」
「ああ」
「そのあと待機」
「ああ」
「ラズは、一人で行く」
「そうだ」
確認するように並べたあと、レイは少しだけ不機嫌そうに目を逸らした。
「やっぱり、やだ」
ぽつりとした声だった。
「知ってる」
「でも、ラズは変えない」
「変えない」
「知ってた」
短いやり取り。それなのに、妙に胸に残る。
レイは壁にもたれたまま、細い指で袖をつまんだ。
「一発だけで、終わりたくない」
「終わらない」
「でも、ラズの隣じゃない」
その言葉に、ラズは少しだけ目を細めた。
レイは続ける。
「わたし、強いのに」
「知ってる」
「みんなより強いのに」
「知ってる」
「だったら」
そこで言葉が詰まる。
少しだけ唇を尖らせて、ようやく続ける。
「……連れてって」
まっすぐだった。
いつも通り表情は薄い。けれど、その声だけは隠しきれていなかった。
ラズはすぐには答えない。しばらく黙ってから、低く言う。
「レイが前にいるから、俺が自由に動ける」
レイの睫毛がわずかに揺れる。
「脅しの一発は必要だ。魔物が出た時の一掃も、レイじゃないと間に合わない。俺の隣にいるより、明日はそっちの方が大事だ」
レイは黙ったまま聞いている。
「俺は騎士団長とやりあうつもりだ」
それに、レイは頷く。
「たぶん、俺はあいつを殺す」
追放された恨みではない。この状況でなお騎士団長として居座り、王の暴走を止めない彼を共犯だと決めつけての事だ。
「うん」
「俺を恨むか」
「恨まない」
レイは即答して首を横に振る。
「ラズがいれば、それでいいから」
真っ直ぐ過ぎる言葉に、ラズが笑う。
「俺達を育ててくれた人だ」
「頼んでない」
「勝手にやったってか?」
「どうせわたしの力が欲しかっただけ。あの人はそこにラズを入れなかった」
言った後、レイの表情が曇る。
「……そう考えたらムカついてきた。ラズを蔑ろにした。わたしが殺す?」
「それは俺に任せてくれよ」
遠くを見つめるラズの横顔をみて、レイは頷く。
「うん。ラズに任せる」
「ありがとな」
雑にレイの頭を撫でる。
「なあレイ。俺はあの人に勝てると思うか?」
「当然」
迷わず返されるその言葉に、迷いわない。
「だってラズは、わたしより強いから」
ラズは最後にレイの頭をぽんぽんと軽く叩く。
レイはじっとこちらを見て、それからぽつりと付け足した。
「終わったら、戻ってきて」
「ああ」
「約束」
「わかった」
レイはラズの袖を一度だけ引いて、すぐに離した。
それだけだった。だが、彼女にはそれで足りたのだろう。
最後にラズが向かったのは、町外れの高台だった。
昼間、アリスがパウザリアを見渡していた場所。夜の街が一望できる。灯りが点々と揺れ、人の動きがまだ途切れない。明日には止まるかもしれない賑わいが、そこにあった。
アリスはすでにそこにいた。
柵に片手を置き、夜の街道を見ている。
ラズが近づいても、すぐには振り返らなかった。
「やっぱり、ここに来たのね」
「わかってたのか」
「ええ。ここの景色、ヒルデさんの研究所から見る景色と似てるから。もしかしたら来るかもって」
アリスは小さく笑う。そこでようやく振り返る。
月明かりに照らされた顔は、静かだった。怖がっていないわけじゃない。けれど、もう逃げる気も迷う気もない顔だ。
少しの沈黙。それは気まずいものではなく、その時間を楽しむようなものだった。
「ここまで、長かったわね」
ぽつりと零れた声は、どこか遠くに向けられている。
「王都を追われて、逃げるしかなくて。ラズと地下水路を走って、セレスティアへ行って、バステリオンへ行って……。その時は、ただ前へ進むだけで精一杯だった」
ラズは黙って聞く。
「でも、いつの間にか増えてたのよね」
アリスは、下の灯りを見下ろす。
「ヒルデさんがいて、シグレがいて、イオリがいて、アメリア達も来て、パウザリアまでこうして立ってくれてる。気づいたら、私一人の戦いじゃなくなってた」
夜風が髪を揺らす。
「それが、嬉しいの」
少しだけ笑った。でも次の瞬間には、その笑みが揺れる。
「嬉しいのに、少し怖い」
「失うのが、か」
「終わるのが」
自嘲のように笑う。
「どんな結果になっても、明日で終わり。負けたら私は殺されて、勝ったら私は王になる。今までのような旅は、もうお終い」
その声には、どこか寂しそうな色が混ざっていた。
「辛いことばっかりだった。なんで私がって、何度も思った……。それでも」
アリスがラズに目を向ける。
「ラズが隣にいてくれた。遠くで私を見守っててくれた。辛くても、どこかでラズが助けてくれるって、ずっと思ってた」
「そういう役割を担ったつもりだ」
あまりにも不器用な言葉に、アリスは呆れるように笑う。
「ラズらしい」
「ならよかった」
二人は手すりに身体を預けて、王都の方を見る。
「アリスにはもう逃げながら決めてた頃の弱さはない。ここまで来る間に何度も自分で選んで、何度も正解をあててきた」
「外したこともあるわ」
「それでも、進んできただろ。最後には立ち上がって、成功させてきた」
その言葉に、アリスは黙る。
「今のアリスになら、アルゲンティアを背負える。引っ張れる。俺はそう思う」
「出会った頃の私じゃ無理だったってこと?」
「ああ。あの頃のアリスが国を背負ったら、すぐに折れてたと思う。……まあ、出会った時は父親が殺されて、暗部に追われてた時だから、そう見えただけかも知れないが」
実際はどうだか、ラズにはわからない。
「いえ、その通りよ。あの頃の私はまだ子供だった。理想は持ってたけど、心の強さまでは持ち合わせていなかったわ。みんなを背負って、戦って、失って……。そういう経験はなかったから」
アリスは深く息を吐く。
「私は明日、戦いに勝って王になる」
「ああ。俺も王になったアリスを見てみたい」
その言葉に、アリスはゆっくりと目を見開いた。
「なんで?」
「一緒に過ごしてわかった。アリスがどれだけ魅力的な人をな」
短い言葉。だが、その一言がアリスの胸へ刺さる。
「一生の忠義を誓うには十分だ。それほどの魅力がある」
アリスは少しだけ目を伏せ、それから笑った。
「ほんと、そういうところよ」
「何がだ」
「なんでもない」
そう言いながらも、その声は柔らかい。
風が吹く。
王都へ続く街道は暗い。
けれど、その先へ出る理由はもう十分だった。
「ラズ」
「なんだ」
「王都へ出たら、終わらせるわ」
アリスの目が真っ直ぐラズを捉える。
「全部。偽物も、王都の嘘も、魔物の件も終わらせて、取り戻す」
「俺もそのつもりだ。全部、終わらせる」
「だから」
少しだけ言葉に詰まる。
月明かりの下で、その頬がわずかに熱を帯びて見えた。
「……ううん。終わらせたら、また。ちゃんと話しましょう」
ラズは横目で彼女を見る。
「何をだ」
「それは、その時にまた決めるわ」
逃げるように笑う。
けれど、その声は少しだけ明るかった。
ラズはそれ以上追わない。
「そうか」
それだけ返して、また前を向く。
決戦前夜の風は冷たい。
それでも、不思議と寒くはなかった。




