第60話 恐怖を集める王子
王都は静かだった。
賑わいが消えたわけではない。人はむしろ増えている。
外から流れ着いた荷車。王都へ逃げ込み、家財を抱えたまま列をなす住民。それを誘導する騎士。
怒号の代わりに、抑え込まれたざわめきが街を満たしていた。以前なら、喧噪があった。文句も、不満も、生活の音に紛れて流れていた。
今は違う。
誰もが周りを窺い、声を潜める。怯えと諦めが、街に沁みついていた。
城内の円卓は今日も薄暗い。
席に座るのは第二王子ヴァルト、騎士団長、暗部の長。そして偽りのアリスとして椅子に座る第五王女アウローラ。
皆が言葉を選ぶように黙っていた中、暗部の長が口を開いた。
「パウザリアは落ちました。町の中に潜ませていた者が生け捕りされ、笛も押さえられたと見ていいでしょう」
淡々とした報告と、短い沈黙。
アウローラが舌打ちをする。
「は? なにそれ、失敗したってこと? また?」
「少し黙っていてください」
ヴァルトが笑顔のまま言うと、アウローラは黙る。
「パウザリアの駐屯騎士はアリス側へ傾いた。前線拠点として使われる可能性が高い」
「想定内です」
ヴァルトは指を組み、その声音に焦りはない。
「中途半端にこちらへ靡くより、奪われた方がわかりやすいでしょう」
「しかし、反逆の旗印がまた一つ増えたな」
「ええ。ですがパウザリアに戦力はありません。気にする必要はないでしょう」
ヴァルトは円卓の上に広げられた地図へ指を落とした。王都。その周辺の小村。街道。
「こちらの進捗は順調です」
騎士団長がそれに答える。
「検問の騎士はほぼ戻した。外縁の詰所も縮小済みだ。今さらパウザリア一つに戦力を割く意味は薄い。無理に潰す必要もないだろう」
「そういうことです。王都へ集めるべきは三つ。民、騎士、そして恐怖です」
アウローラが嫌そうに眉を寄せる。
「またその言い方……」
「大事なことです」
ヴァルトは彼女を見もせず続けた。
「ここまで来たら外の村はもう守る必要はないでしょう。逃げて来た者だけを受け入れる。民が王都に縋る状況が出来上がっています」
「王都近郊の避難民は増え続けている。噂の流布も問題ない。外は危険、王都だけが安全、反逆者が魔物を呼んでいる。民が漏らすのはそんな不満だ」
「十分です。大事なのは真実ではなく、民が何を信じるかですから」
「近いうちにパウザリアからアリス達が前へ出てくる可能性は高い。迎え撃つか?」
「ええ。今度は逃がしません。騎士団を王都前へ集めましょう」
アウローラが不安げに身を乗り出す。
「ぜ、全部?」
「全部ではありません。ですが、見せるには十分な数です」
ヴァルトは地図をなぞりながら口を開く。
「こちらから討って出る必要はない。アリス達が来るのは明白です。なら王都の前で迎えればいい。民には『反逆者がついに王都へ牙を剥いた』と見える。そう情報を流す」
「防衛戦の大義名分には十分だ。騎士達も動かしやすい」
「しかし相手の数も多いです。バステリオン、吸収された騎士達。パウザリアの駐屯兵に、場合によってはセレスティアも出て来るでしょう。ノースホルムにも騎士が割かれています。もしいまの数で耐えられなければ」
ヴァルトは鼻を鳴らして答える。
「魔物を使う」
その言葉に、部屋が静まり返る。
アウローラが窺い見るようにヴァルトを見る。
「また、魔物を使うの?」
「必要なら」
躊躇や迷いはない、即答だ。
「騎士団で守り切れないなら、騎士団ごと消えてもらえばいい。どうせ王都の外で消える命です」
その場にいる誰も、すぐには言葉を返さない。
アウローラだけが青ざめている。
「な、なによそれ。味方まで……」
「味方?」
ヴァルトが、ようやく彼女を見た。
笑っている。なのに、その目には温度がない。
「本気でまだそう思っているんですか?」
アウローラは俯いてしまい、それ以上何も言えなくなった。
代わりに騎士団長が口を開く。
「王都の外は完全に捨てることになる。後戻りはできないぞ」
「今さらですよ。外に残しておいて何になります? アリス達に奪われるくらいなら、捨て駒として使った方が意味がある。魔物で一掃した後、王都内に残した騎士と、北に配備している騎士を集めれば問題ありません」
暗部の長が深く頷く。
「徹底していますねえ」
「中途半端が一番悪いのです」
ヴァルトは地図の上で、その指が王都をなぞった。
「守るべきはここだけです。王都だけが生き残ればいい。民も、騎士も、全部そのために使えばいい。もちろん魔物も」
騎士団長が立ち上がる。
「前へ出す騎士の選別はオレがやる」
「お願いします」
「ラズが来るなら止めるのは俺だ」
「ぜひ。因縁もあるでしょうから」
騎士団長は答えず、部屋を出ていく。
暗部の長も続く。
「魔物の誘導具は使える状態にしておきます。王子殿下が望めば、いつでも」
「ええ。準備を進めてください」
二人が去り、部屋にはヴァルトとアウローラだけが残った。
アウローラは唇を震わせていた。
「ねえ、ほんとに来るの? アリスが」
「来ますよ」
ヴァルトは窓の外を見た。
王都の街並みが霞んで見える。
その向こうに、避難民の列がまだ続いている。
「来るしかないようにこちらがしてきたんですから」
「でも、もし……」
「負けません」
穏やかな声だった。それでも、聞いた者を安心させる響きではない。
「ここまで来たら引き返せません。そして、負けられません。我々に残された道は、アリスを殺し、反逆者として晒あげ、アルゲンティアを支配する。他の道などありません」
アウローラは何も言えなかった。
ヴァルトは薄く笑ったまま、最後に言った。
「明日もまた、民には同じことを言いなさい。反逆者が魔物を呼んだ。魔物は騎士団が倒す。あなたたちは我々が守る。それだけでいい」
王都の鐘が、遠くで低く鳴った。人を呼ぶ音。閉じ込める音。
ヴァルトはその音を聞きながら、静かに目を閉じる。
来るなら来い。
王都の前で、全部喰わせてやる。
そう自分に言い聞かせるように。




