第6話 追放騎士と第一王女
鐘の音が遠のき、地下水路にはまた静けさが戻った。
アリスはラズの手を握ったまま、しばらく動かなかった。泣き声を出さない代わりに、言葉も発さない。それでも手に込められた力は緩まず決して放そうとはしない。
やがて、ぽつりとアリスが言った。
「……助けてくれて、ありがとう」
第一王女からのお礼に返事を迷い、ラズは一拍置いてから、口を開く。
「アリス様にそう言ってもらえて光栄です」
「そう。……さすがに強いのね、第三部隊長さんは」
ラズの眉がわずかに動く。
「ご存じでしたか」
「有名人だもの。騎士団のラズ・グレイヴナイトと、レイ・ルクスヴァイス」
その名を聞いた瞬間、ラズは微かに目線を伏せる。並べられた名前の居心地の悪さに、微かに表情が歪んだ。
「若いのに功績が多い。『これからの騎士団を担う』って、お茶会でも名前が挙がる程よ。……知ってる? 私が剣を習いに騎士団に入団した時期があったこと」
「もちろんです」
志が高い王族は自分の腕を磨きたがる。故に稽古を付けたがる者は多くいるが、それは専属の指導者を付けて行われる。故に、アリストリッドが騎士団で腕を磨くと決まった時は、王都が騒然としたものだ。
「あれ。貴方とレイの力を感じたかったからなのよ?」
「俺とレイの力を? なんでそんな」
「私達、たぶんだけど同年代じゃない?」
「二十二ですが」
「ほら、やっぱり」
嬉しそうに微笑むアリス。
「元気をもらおうと思ってたのよ。同年代の子がどれだけ強くて、どれぐらい頑張っているのかってね。……まあ、その時ラズとレイには会えなかったんだけど」
「確か長期遠征に出ていましたからね」
アリスが騎士団へ入団した時、第三部隊は魔物が多く生息する南の街へと長期遠征に出ていた。
故に、ラズがアリスの事を知ったのは、任務を終えて戻った後のことだ。
「その時に見られなかった強さを、いまこうして感じられるとはね」
純粋な誉め言葉に、ラズは困ったように苦笑を浮かべる。
「でも、なんでラズが暗殺部隊に狙われてたの?」
「……それが、俺にもわからないんです」
「言えない理由があるの?」
「本当にわからないんですよ。いきなり襲われたもので。事情を聞き出そうとしましたが、自害されたので理由を聞き出せませんでした」
その言葉に、アリスの目つきが鋭くなる。
「全員、自害したの?」
「はい。彼らに迷いはありませんでした。……王族だから知っているのでは?」
問うが、アリスが考え込むように顎に手を添え、目を細くするだけだった。
「それと、本日、俺は騎士団を追放されてました」
アリスの目が大きくなる。
「追放? 部隊長のあなたが? どうして」
「横領の濡れ衣です。書類も認印も揃っていました」
改めて口にしてみると、ラズは自分の状況をそこまで深刻と捉えなかった。
王女暗殺未遂という、自分の悩みなどより大きい事件に巻き込まれてしまったせいか。だが、それがラズにとっては救いなのかも知れない。
「追放され、門を出た直後に暗殺部隊に襲われて、そして今はこうしてアリス様と会話をしている。振り返ってみると、なかなかハードな一日ですね」
自虐的な発言にアリスが眉を寄せ、少しだけ口元を緩めた。
「本当に、やってないのよね?」
「横領をですか? するわけがない」
「ほんとに?」
「仮にしたとして、横領程度で暗殺部隊に狙われるなんて、割に合わないと思いませんか?」
アリスが疑いの視線を向け、暫くしてから小さく笑った。
「そうね。さすがに暗殺部隊の無駄遣いだわ。それに、横領する人がこんなに強いとは思えない。これだけ強ければ、そんなことする必要ないもの」
「そういうものかは、わかりませんが。そうかも知れませんね」
ラズが困ったように言うと、アリスは肩をすくめた。
軽い冗談に二人の空気が微かに和らぐ。
だが、事態は深刻だ。
王は毒殺され、第一王女は暗殺された。ということになっている。
果たしてアリスの件と、ラズの件が繋がっているのか。それはわからないが。
「普通じゃない。ラズも何かに巻き込まれてるわ」
アリスが静かな声でそう呟く。
「父上を毒殺しようとしている者がいる。私を殺して王座を奪おうとしている者がいる。そして、その者は王家の暗殺部隊を動かせる」
アリスの瞳に光が灯り、熱く燃える。
「私はやるわ」
薬瓶を胸に抱き直し、アリスは宣言した。
「王座を奪還する」
言い切った瞬間、地下水路に設置された光が揺れる。汚水の流れが微かに早まり、地上から伝わる喧騒が大きくなる。
ラズは、表情を変えずに目の前の汚水を見続けていた。
「……茨の道かと思われます」
「わかってる」
「相手は暗殺部隊を自由に動かす権力者。それも、王に毒を盛る覚悟を持っています。恐らく多くの協力者もいるでしょう」
「ええ。だから、今は正面から行かない」
アリスの返しは速い。
「ラズのお陰で、私は死んだことになっている。だからこそ、今は身を潜めて力を付ける。そして準備が整ったら、その時は……」
真っ直ぐな瞳に迷いわなく、声を聞けば決意が揺らがないことは感じ取れる。
「ラズ、力を貸して。私は今、貴方しか頼れない」」
喉が詰まる。
第一王女の頼みと言えど、そう易々と受け入れるべき頼みではない。相手はアルゲンティア王国そのものだ。
恐らく数日後に王になる者が、今回の黒幕。であれば騎士団の元部隊長に過ぎないラズになにが出来ると言うか?
相手が大き過ぎる。
そうわかってはいる。
だが、さっき握られた手の感触が、まだ残っている。
レイを置いて、ひとりでトイレに向かったことは、一度もなかった。
いつだって、誰かに頼られ、その期待に応えて生きてきた。そんな柄じゃないと思っていても、そうやって背負うことで、立ち続けられたのだ。
「……ちょうど俺も。暇になったところなので」
ラズはようやく、苦い声でそう言った。
「なんだかんだで、頼られるのは嫌いじゃありません」
アリスはその言葉を聞いて、大きく頷く。
「だったら、ちょうどいいわね」
「ただし、どうか無茶はなさらないでください。俺の指示に従って」
「待って」
アリスが声を遮り、顔をしかめる。
「ラズ。その喋り方、やめて」
「はい?」
「敬語。丁寧語。いちいち言葉が長い。時間がもったいないから」
ラズは思わず固まった。王女に対してそれは。
「ここでは私は姫殿下じゃない。生き残るための仲間よ。だから、呼び捨てでいい。むしろ、そうして」
「ですが」
言い返そうと開いた口が、アリスの大きい瞳に阻まれる。
「……わかった。アリス。これでいいか?」
呼び捨てにした瞬間、胸の奥が妙に落ち着いた。 距離が縮んだのではない。覚悟が決まっただけだ。
「よろしい」
アリスの口元が、ほんの僅かに緩む。
「それじゃ。基本的に俺の言うことを聞くこと」
「王女である私が?」
「生きるためだ」
「……従うわ」
短い返事だったが、覚悟は伝わった。
アリスがふと、天井、地上の気配を見上げた。
「少しすれば大広場で演説があるはずよ」
「演説?」
「次期王が、王が死んだことを知らせるために、民衆を落ち着かせるために。そして、自分が後継者であることを知らしめるために」
ラズは暗闇の中で頷く。
「それまで俺達は身を潜める」
「ええ。その時までは、死んだままでいる」
地下水路の闇が、二人の誓いを呑み込む。
そして、地上の鐘の余韻だけが、王都の新しい夜を告げ続けていた。




