第52話 影の隊長の過去
夜の訓練場は静かだった。
外周の見張りの足音も遠く、夜風が葉を揺らす音だけが聞こえて来る。月明かりが木造の床を照らしているが、部屋の殆どが暗闇だ。
その中心に、シグレがいた。
刀を脇に置き、正座をしている。背筋は真っ直ぐで、瞳は閉じられていた。
瞑想しているようにも見えるし、怒りを押し殺しているようにも見える。或いはどちらでもあるのか。
ラズが訓練場に足を踏み入れた瞬間、シグレの気配が微かに動いた。
瞳は閉じたまま。けれど、そちらを見た。
声を掛けようとした、その前に。
「ラズ様」
名を呼ばれ、口を閉じる。
「過去のことを、改めて教えてください」
「何の話だ」
「なぜバステリオンを救ったのか」
言い方は丁寧だ。だが、普段の彼女と比べると冷えた音。
ラズはなるべくいつもの動きを意識しながら、正面で胡坐をかく。
先ほどのシグレの怒りを肌で感じていたラズは、問いを返さない。
それで済むならと口を開く。
「俺が第三部隊の隊長になってすぐの話しだ」
「ええ」
ラズは思い出すように腕を組み、床の傷を見た。
「当時、バステリオンが困ってるなんて俺は知らなかった。前線の街だってことは知っていたが、手練れがいるから騎士団が出向いても足を引っ張るだけだと。そう聞かされていてな」
顔を上げてシグレを見る。
現実を知らなかったと、言うように。
「当然、無知な俺は救援要請が握り潰されてることも知らなかった」
「握りつぶされていた?」
ラズは、シグレから僅かに視線を逸らす。
「本部の廊下で、ブルーノと側近の動きが不自然だったんだ。隠し事をするときのアイツらはわかりやすい。だから影に隠れて盗み聞きした。……そこで知った。バステリオンから救援要請が来ている、と」
シグレの手が、服の裾を握る。
「……王都は」
「いつも通り無視するつもりだったらしい」
ラズは淡々と言い切り、続けた。
「それだけならいつもの王都だ。だが、次がひどかった。今回は魔物の数が異常で耐えきれないかもしれないって言っててな。だから、都合がいい。あんなところは滅べばいい、と」
夜の訓練場の空気が張り詰める。
シグレは瞳を閉じて、開かない。何かに耐えるように目を閉じ続ける。
「俺とレイの故郷は魔物に襲われて壊滅した。親は殺され、友人たちも殺され……」
ラズはシグレに見られなくても、それでも微笑む。
「だから、耐えられなかった」
察したのか、シグレが目を開いてラズを見た。
その姿をどう見たのか、シグレはそっと視線を逸らす。
「気付いたら影から出ててな、自分でも驚いた。バステリオンへ救援に行きたいって頭を下げてた」
「それは。……通らなかったのですね」
「通るわけがない」
ラズの声が少しだけ硬くなる。
「まず盗み聞きをしたことに大激怒だ。怒鳴られながら殴られた。……けど、俺は引かなかった。一発殴り返して部屋を出たら、命令違反だ。懲戒処分だって騒がれた」
なにがおかしいのか、ラズが楽しそうに微笑む。
「それで。ラズ様は」
「行ったさ。バステリオンに」
ラズは迷いなく言う。
「本当は俺一人で行くつもりだったんだけど、レイが当然のように俺を付けててな、最初から聞いてたらしい。いつものレイなら俺が行くなら付いて行くって感じなんだが。あいつも魔物には特別な感情があるらしい。行くつもりの目をしてたよ」
レイは何事にも興味を持たない。成果も評判も周りの目も。あるのはラズと一緒にいるという考えだけで、自分の考えすら表に出さない。そんなレイが、明確にバステリオンに行こうという目をしていた。
「命令違反、懲戒解雇は確定だ。だから、キースに別れを告げに言ったんだが……。あいつは察しがいい。俺の顔を見て、すぐに気づいて、第三部隊に声を掛けた」
「第三部隊が」
「全員が行くと言った」
ラズの声が少しだけ落ち着く。まるで懐かしむように
「不思議なもんで、第三部隊は孤児上がりが多かったんだ。その殆どの原因が魔物によるもの。だから、みんな迷いがなかった。隊長が行くなら付いて行くって。なんなら俺を置いていくって奴もいた」
シグレは、その言葉を受けて深く頷く。
「そして皆様はバステリオンに来てくれた」
「そんな大層なことじゃない。騎士は民を守るためにいる、なんてな。俺達はただ魔物を殺したかっただけだ。自己満足と変わりはしない」
ラズはシグレを真っ直ぐ見て言う。
「……ですが、怖くはなかったのですか? 処罰も、破滅も」
「来る途中に考えることはあった。この少人数で意味があるのかとか、仮に生きて帰ったらどうやってみんなを食わせて行こうかとかな」
「バステリオンに向かわないという選択肢は」
「ない。思いもしない」
ラズは淡々と告げる。
「魔物から民を見捨てたら、それは死ぬのと同じだ」
言葉は短い。だが、訓練場の夜気より重い。
「子供の事、騎士団に助けられなかったら、俺もレイも死んでた。だから、俺は困ってる民を見捨てない。見捨てたら、それは過去の俺を見捨てるのと同意味だ。俺を殺すのと同じなんだよ」
どこか寂し気に、しかしはっきりとそう告げるラズ。
シグレはしばらく黙り、やがて小さく頷いた。
「……理解しました」
声が低い。冷静だが、瞳の奥の怒りは消えていない。
「ラズ様は正義感で動いたのではないのですね」
「そういうことになるな。魔物は殺す。それが俺の、当たり前の行動原理だ」
その言葉に、シグレの唇が僅かに歪む。
「ラズ様には感謝しております。……しかし、王都は救援要請を握り潰し、滅べばいいと笑った」
月明かりの下で、シグレの目が冷える。
「私の両親は魔物に殺されました。イオリの両親もです。この街に住んでいれば珍しいことではありません。勲章だと鼓舞する者すらいます。……それほどに、この街は魔物に削られ続けた」
言葉は淡々としているのに、胸の奥で何かが煮えているのが分かる。
「そして今、魔物の増え方が人の手によるものだと知ってしまった」
シグレが一度だけ目を閉じた。
「魔具が作られたのは六年前と、ヒルデ様は言いました。……ですが、そんなことは問題ではない。六年前でも十年前でも、昨日でも。人が魔物を道具にしたなら、私たちが流した血は何だったのですか」
ラズは、沈黙するしかなかった。明確な答えは、思い浮かばない。
「それに、複雑なのです」
瞳を上げる。月明かりが整った顔を照らす。
「王都は我々の反逆に気付いていたのでしょうか? 反逆を抑え込むためにルーガル・ファウンダーにコアを仕込んでいた? バステリオンは盾であり、同時に脅威だと認識していたのだとしたら」
シグレは、自分でも悲し気に告げる。
「もしそうなら……。私は怒りの矛先を誤るかもしれない。王を倒すためではなく、ただ憎しみで斬ってしまうかもしれない。敵である人間を」
ラズは、肯定も否定もしない。ただ静かに耳を傾ける。
「私は既に反逆者。王都に刃を向ける覚悟できています。ですが、魔物で削られ、親を奪われ、その上で抑え込まれていたのなら」
言葉が途切れる。
そして、静かに吐き出した。
「……到底、人を許すことはできません」
ラズはその言葉に頷いた。
「否定も肯定も軽々しくできることじゃい。けど、そうだな……。魔物を動かして人を襲わせるなんてこと、俺も許すつもりはない」
シグレとラズの視線が正面から交差する。
「大丈夫だ。やり過ぎたっていい。仮にそうなったら、アリスに責任を取らせればいい。アイツは俺達の旗で、この国の王になるんだから」
言いながら、ラズが表情を緩める。
その言葉に、シグレの身体から力が抜ける。
「……そう、ですね。その通りです。我々の王は今やアリス様。全ての責任は彼女に背負ってもらいましょうか」
柔らかい言葉。だが、その瞳の奥には闘志が燃えている。
ラズは立ち上がり、シグレに手を差し伸べる。
「ただ……。セツナ・シグレとして、後悔するようなことはするな。怒りに身を任せて自分を見失うと、人と共有できない傷を負うことになる。その傷は、一生ものだ」
シグレはその言葉を受け取るように頷いてから、ラズの手を取り立ち上がる。
「はい。胸に秘めておきます」
月が白く光る。訓練場に、二人の影が並ぶ。
シグレが、目を閉じずに言った。
「あとは、進むだけです」
夜は静かだった。静かすぎるほどに。
その静けさが、次の波を呼ぶ前触れのように感じられた。




