第44話 バステリオン防衛戦
王都軍が来る。その情報が工作班から入ったのはラズ達がバステリオンに帰って二日後だった。
だが、それを聞いて焦る者はいない。
バステリオンは最初から、初戦は防衛線になると読んでいた。シグレがパウザリアへ向かう前、各班長を集め指示を出していたのだ。
『バステリオンにアリス様がいると知れば、王都はすぐさま攻めて来るでしょう。偽者として断罪し、民の不満を解消させるために。なので、迎え撃つ準備をしておきなさい。魔具の整理と罠を張り巡らせておくように』
その読みは当たっていたということだ。
外周の土塁の外側には、踏み抜きやすい地面が柔らかく整えられ、杭が埋められている。
木柵の陰には足を取る罠が幾つも張り巡らされ、縄、落とし穴、そして魔具。攻撃ではない。あくまで相手の進行を止めるためのもの。
門脇に備えられた倉庫には大量の砲撃系魔具。
戦う準備は整い、心も出来上がっている。焦り、浮かれる者はいない。
ラズは門上に立ち、遠くの街道を見下ろしていた。
「少ないな。アリスの居場所を見つけたなら、一斉に攻めて来ると思っていたが」
「ノースホルムと各所の検問に兵を割いているせいで、戦力を揃えられなかったんでしょ。私達がバステリオンに戻ってすぐのところを見るに、強襲のつもりでしょうから」
分析するアリスに、ラズは頷く。
「冷静に盤面を見れているな」
「当たり前でしょ。バステリオンと手を組んだ時から、こうなることは想定してた」
決意に満ちた瞳で、隊列を組み進軍を続ける騎士団を見つめるアリス。
乱れた足並みに揃わぬ隊列。アリスが在籍し、共に戦場を駆けていた時の厳格さは感じられない。遠目に見ても、彼等の気怠さが漂ってくるようだ。これから殺し合いをする相手とは思えない。
「指揮官はブルーノか」
大群を率いて先頭を進むのは鎧に身を包んだブルーノ。
「まだ副団長をやれていたのね」
「誰かがそうさせてたんだろうな。アリスを逃すと言う失態、そのうえ片腕を失いまともに剣も振れない。指揮を取るには頭も器も足りない男だ。普通だったら武器磨きにでも回されてるもんだが」
珍しく、ラズの言葉に感情が乗る。
「長らく戦場に出てない副団長がここぞとばかりに最前に立つか。他の騎士から見れば、手柄を欲しがっている邪魔者だ」
「……どうしたのラズ? 凄い言うじゃない」
これから殺し合いをする相手を批判するのは当然だ。
だが、ラズがここまで冷たい言葉を感情任せに口にするのも珍しい。
ラズは、困った、と言わんばかりに頭をかく。
「一応、俺の因縁ではある。少し言い過ぎたな」
それを見て、アリスはどこか安心したように笑う。
「憎い相手なんだから言い過ぎなんてことはない。けど、油断は禁物よ」
「当然だ。油断も加減もするつもりはない。前に出てきたら迷わず殺す。それだけだ」
硬い言葉に、アリスが頷く。
ほどなくして王都軍の使者が門前に到着した。
鉄の鎧。白い布。王都騎士団の徽章。背筋だけは綺麗に伸びているが、目に柔らかさがない。
「バステリオン領主、反乱者を匿う者に通達する。偽王女を名乗る者、及びそれに手を貸すラズ・グレイヴナイトの身柄を直ちに引き渡せ。拒否は反乱と見なし、攻撃を開始する」
本物のアリスが門上に立っているのにも関わらず、使者は堂々とその言葉を発する。それは盲目か、或いは横暴か。
シグレが一歩前に出て、丁寧に口を開いた。
「拒否します」
「王命だぞ」
「王とは民を守る者。それなのに、今の王。いえ、これまでの王はこのバステリオンを一度も守ろうとしなかった。我々に手を差し伸べたのは第三部隊を率い、月夜の軍勢で共に魔物と戦ってくれたラズ・グレイヴナイト、及びその部隊の皆様」
シグレは使者を見下し、一拍おいてからアリスの背中に手を当てる。
「そして、攻撃用魔具の提供を強化してくれたアリス王女、その人です。我々の王はアリストリッド・アルゲンティア様。民を縛り付ける、偽物などではございません」
使者は唇を噛み、鼻を鳴らす。
「ならば殲滅だ。一匹も逃さんぞ」
「待て」
踵を返す使者を呼び止めたのはラズだった。懐から複数の、暗殺部隊の仮面を使者の前に放り投げる。使者の視線は一瞬だけ仮面に向けられたが、すぐにラズへと向けられる。
「お前、暗部だろ?」
問いに、使者の眼つきが鋭くなる。
「お仲間の遺品だ、持って帰れ。墓にでも埋めてやったらどうだ?」
「……なにを言っているか、わからないな」
「そうか。残念だ」
ラズが指をパチンと鳴らすと、影から棘が伸び、仮面を串刺しにする。
「そのゴミと同じように、お前もそうしてやる。来いよ」
使者は棘に貫かれた仮面を暫く睨み、ふいに背を向けた。
「昼刻までに返事がなければ反逆者として攻撃を開始する」
それだけ言い残し、王都軍へ戻る。
「……腐っても暗部の人間か。挑発にはのらなかったな」
淡々と口を開いたラズに、アリスが顔を近付ける。
「ちょっと、聞いてないんだけど! なにしてるのよ!」
「暗部だったからな。少しでも戦力を削いだ方が有利に進むと思って」
「そういう問題じゃないの! 開戦って言うのはね!」
なにやら説明し始めたアリスに、ラズは背を向けて門を下りる。
その背中が「もういいだろ?」と告げていた。
「全く……。なにも起こらなかったからいいものの」
「まあまあアリス様。今はそんなことを気にしている時ではありません。戦いの準備を進めなければ」
シグレになだめられ、それもそうだとアリスは辺りを見渡した。
前線の空気は硬い。使者からの提案を拒否したことで、もうすぐ戦いが始まると、嫌でも身に染みているのだろう。戦う準備はできている。だが、最初の衝突を心待ちに出来る者は少ない。
兵の呼吸が浅くなり、魔具の確認を何度も行う。身体を伸ばし、具合を調整し、仲間と押し合い力を発揮できるよう気合いを入れる。
「深呼吸しろ。今からそんなんじゃ戦いで持たないぞ」
淡々とした声は、大きくもないのに辺りに響く。
兵の返事が裏返り、ラズはその肩口を軽く叩いた。
「そんなに気張るな。特別なことをしようとすると失敗するぞ。いつも通りやればいい」
別の兵に視線を向ける。
「なんでそんなに震えてるんだ? いつもの威勢はどうした?」
「う、うるせえ。震えてねえよ。武者震いってやつだ」
「そうだな。お前らは待ってたんだ、この時を。今から始まるんだ、ようやく進むんだ、バステリオンの物語は」
硬くなる兵達を見つけて声を掛け、肩と背中を叩いて気合いを入れる。
緊迫した雰囲気の中、ラズはどこか感じる懐かしさに、むしろ微かな高揚を抱く。
「ら、ラズさんは緊張しないんですかい?」
「当然だろ? 俺は部隊長やってたんだ。戦いには慣れたもんだよ」
こうして戦いの前はいつも部下に声を掛けて回っていた。
それがラズの役割だった。
「下を見てみろ。なにが見える」
「地面と、影ですかい?」
「そうだ」
指をさす、影が動いて躍り出す。奇妙な光景だが、バステリオンの兵達からしても見慣れたものだ。
「影があるところに俺がいる。安心しろ。お前らには英雄が付いてるんだ。それを忘れるな」
男の肩を叩いて人混みを進む。
普段は自分の事を英雄だなんて冗談でも言わない。言われたら止めてくれと嫌な顔を隠さない。それでもラズは、最善のためになら自分の考えを変えていく。
自分の役割を認識し、兵達を少しでも落ち着かせ、熱を入れていく。
門上からそれを見守っていたアリスは、一度だけ息を吐いた。
内側はシグレとラズがいる。
ならばと、王都軍が見える位置へ歩み出た。
冷たい風が金色の髪を揺らし、声が通る高さ。使者が軍勢に戻り、騎士団は隊列を組みなおし今にも突撃してくる圧がある。
「王都騎士団に告ぐ!」
声が平原へ響き渡る。王都軍の隊列にざわめきが走った。
「私は、第一王女、アリストリッド・アルゲンティア! アリスよ!」
その声を聞き、嘘だと言いたい者はいる。だが、すぐには言えない。
顔を知る者もいる。声を覚えている者もいる。彼女はいつも民の前に姿を現し、目線を合わせて会話をしていた。騎士団の訓練にこっそり混ざり、労いの言葉をかけていた。
だからこそ、彼女を知る者は多い。
「私は騎士団に三年間いたわ。その時の事は昨日のことのように覚えてる。貴方達と同じ訓練場で汗を流し、同じ泥を踏み、共通の敵を倒した。傷ついた民を運び、時には祝杯をあげて朝まで飲んだ。時には戦友の死に涙した」
そして、名を呼ぶ。
「第二部隊、副隊長。アメリア! 貴方にはお世話になった。右も左もわからない私を呆れもせず、手取り足取り様々なことを教えてくれた。貴方が私の世話係になっていなかったら、きっと今の私はいない。隠れて一緒に食べたバタークッキーの味は、今でも恋しくなる」
王都軍の中ほどで、ざわめきが起こる。
彼女がそこにいるのかはわからない。だが、それでもどよめきは広がる。
「第四部隊のアルゴ! 貴方は私が王族なのにも関わらず、いきなり吹っ掛けてきたわね。騎士団は王族の遊びばじゃないって。その場で決闘した時、あまりの弱さに驚いたわ! お陰で私は騎士団に早く馴染めた。吹っ掛けて来たことは許してないけど、感謝はしている!」
前線に立つ男が下を向き、周りの騎士が肩を叩く。
「私は今でも騎士団の一員だと思っている。貴方達と共にアルゲンティアを守りたいと思っている。この言葉に嘘偽りはない。貴方達と過ごした三年間、ずっと言い続けたことよ!」
アリスは目の前に広がる軍勢を見て、大きく呼吸を挟む。
「私は、民を守るために戦う! 偽の王を倒し、王になる。それが私の責任。貴方達と交わした約束だから。……こちらに来いとも、退けとも、私は言わない」
王都軍のざわめきが大きくなる。
命令ではなく選択肢を渡された時、人は一番迷う。
「けれど、私は退けない」
声が硬くなる。
「今の王都は民を苦しめる。今の騎士団は民を傷つけている。私には王族としての責務がある。この国と、この国に住む民達を守らなければいけない。だから、貴方達が引かないというなら……。私は民を守るために、貴方達を斬って進む!」
脅しではない。だからこそ、王都軍の列に沈黙が生まれた。
沈黙を切り裂くように、王都軍の先頭から男が進み出た。片腕のない、怒りで表情を歪めている男、ブルーノだ。
「戯言を言うんじゃねえ! 偽者が名を呼んだところで何になる! 騎士団は王命に従うのが責務! 誰もてめえの言葉なんざ聞きやしねえ!」
言いながらブルーノは王都軍を振り返る。揺れがあることに気づいている。だから声が大きくなる。
「迷うな、あいつは敵だ、偽者だ! 斬ってその首を王に差し出せ! それがオレ達のやるべきことだ! 余計なことを考えるじゃねえ!」
叫びに、声は返らない。重苦しい空気が軍勢に流れ、留まる。
側近がブルーノに近付き、伝える。
「昼刻です。攻め時かと」
「よし。お前ら行くぞ! 正義はこちら側にある! 偽者を殺して活気あるアルゲンティアを取り戻せ! 全軍、突撃!」
ブルーノの号令に、最前列が駆け出した。
足並みが異常にまで揃っている彼らは、音もなく戦場を突き進む。前列が進んでさえしまえば、軍勢は止まることが出来ない。まるで堰き止められていた水が溢れ出すかのように、後ろの騎士達も前の背中を追いかけ突き進む。
アリスが歯を食いしばり、僅かに俯く。
「時は来た!」
代わりに叫びをあげたのはシグレだ。
刀を天高く掲げ、兵達に気合を入れる。
「我々は王都に捨てられた民だ! 幾人もの親類が、同志たちが、奴等のせいで魔物に喰い散らかされた! その無念を果たす時が来たのだ! 加減などいらない、待ちわびた時が来た! 全ての力を持って応戦せよ! 今こそ見せつけよ、バステリオンの誇りを! 見せつけろ、我々の力を!」
シグレの号令に兵が雄たけびを上げ、声量で地が揺れる。
「砲撃班、魔具を構えろ! 十分に引きつけて撃ち込めよ!」
門上の兵達が魔具を照準を突き進んでくる軍勢に向ける。
騎士達の進軍に身体が強張り、照準がぶれる。
それでも身を固めてその時を待つ。
騎士達が逆茂木により隊列が乱れ、足場がぬかるみに取られ進軍が遅れる。
「撃て、一斉放射! 撃って撃って撃ちまくれ!」
魔具に魔力が注がれ刻まれた術式に光が灯る。
火炎玉、光の槍、目に見えぬ熱線、風を切る衝撃波。ぬかるみに足を取られた騎士達の頭上に数々の魔法が降り注ぐ。
幾人もの騎士がその場に倒れ、その身体を踏み潰して後続が続く。
「設置魔具に魔力を流せ! 前列と後列を分断しろ!」
門の中に控えていた兵たちが、球体に魔力を流す。光を放つ術式が進む先は、門を潜り、濡れた地面をさらに超え、逆茂木の先の平野。
騎士が前を見続け進軍し続ける足元。砂に隠された術式が、地面に埋まる魔具に届く――地が炸裂する。
吹き飛ばされた騎士の身体が辺りに飛び散り、戦場に混乱を招く。
「どこからだ! どこから攻撃してきた!」
「下、下だ! 地面が割れたぞ! この溝を下りないと進めない!」
「足を止めたら狙い撃ちにされるぞ!」
爆発によって一列に出来上がった深い溝に、進軍が止まる。
「前衛部隊! 盾を前に、魔具を構えろ! 孤立した奴等を一掃するぞ!」
門下で魔具を構えていた兵たちが、後方と分断されたと気付かず突撃する騎士達に魔具を合わせ――一斉に掃射する。
多くの騎士が魔法に身体を貫かれ、それでも突き進む騎士が兵と衝突する。
その隙に門上の兵たちが入れ替わり、魔具の状態を確認しながら後方部隊に照準を合わせ直す。
「順調ですね」
「ああ」
孤軍になった軍の前衛部隊を魔具が放つ魔法が貫き殲滅していく。
溝に躊躇する騎士達に、門上からの魔法が降り注ぎ、進軍はうまくいかない。
それを見ながら、ラズとシグレが言葉を交わす。
バステリオンは前に出ない。遅延と迎撃。動きを鈍らせ、そこを狙い撃つ。進行を許せば相手を分断し、確実に撃破し前には進ませない。門前まで進ませず、準備した主戦場で食い止める。
消耗戦では防衛側が圧倒的に有利だ。現状、王都軍に突破口は見えない。
前の状況を見て、後方部隊も前に出ることを渋りはじめ、王都軍の脚が止まる。
そして夕刻。
戦場を観察し続けたラズはどこか違和感を抱いていた。
視線の先は森。
「……森が静かすぎる」
戦場はざわめいているのに、森の奥だけが音を吸っているような違和感。魔物は音に反応して近付いて来る。それようの準備もしている。
それなのに、なぜ森から魔物が出てこないのか?
「不自然だ」
「同感です」
隣で頷いたのはシグレだ。
「いつもなら数匹は魔物が街へと攻めて来る。それが今日に限って一度もない」
太陽が沈みかけ、森に闇がかかりは始める。
その姿はどこか異様だ。
「戦いの音に怯える生き物ではないはずです。まるでなにかを待っているかのような……。そんな気さえします」
戦況は悪くない。順調すぎると言える。
それらのに、二人は森の静けさに、どこか不安を抱いていた。




