第40話 夜窓の会話
研究所の奥には窓がある。外から見れば古びた倉庫の壁。
内側から見れば、壁の内に埋め込まれた術式が外の景色だけを切り取って映す。外からは見えない、中からだけ外が見える窓だ。
その窓の前に、アリスは立っていた。魔具が光を照らし続ける夜のセレスティアを、ボーっと見つめている。
「寝ないのか」
音もなく現れ、背後から声を掛けたのはラズだ。
もう慣れているのか、アリスは驚きもせずに答える。
「少し、落ち着かないの」
「暗部なら処理した。安心していい」
ラズが肩を並べて外を見る。そこに王都の影はない。
「イオリにはうまく教えられた?」
「ああ。ここから暗部の気配を探らせて、しっかり奴等の気配を覚えさせた。騒がしい奴だが伸びしろは確かだ。日に日に成長してるのがわかる」
イオリの成長を語るその表情は、どこか楽しげである。
「うかうかしてると師匠の座も危ういんじゃないの?」
「百年早い。そう簡単には超えられるつもりはないさ」
それが強がりではない、とわかるのはラズの実力を目の当りにしているからか。或いは、イオリの普段を見ているせいで、まだ頼りになるとは言い難いからか。
「殺したの? 三人とも」
「ああ。死体があっても困るだろ? ヒルデに渡すわけにもいかない」
「その場にイオリは?」
「俺だけでやった」
言って、ラズは遠くの空を見上げる。
「イオリに人を殺させるのは、まだ早い」
「そんなこと言ってる余裕はあるの?」
厳しいことを言っているという自覚は、アリスにもある。だが、この戦いに同行しているということは、そういう覚悟を持つべきだとも思う。
イオリはまだ幼い。それでも、慣れなければ戦えない。
ラズは暫く沈黙し。
「段階は必要だ。イオリは魔物なら殺せているし、今日も暗部を殺す場面を気配で感じさせた。少しずつ慣らさないと取り返しがつかないことになる」
「ラズがそう言うなら、私からは何も言わないけど」
咎めはしない。それは、アリスもその方がいいと思っているからか。
「前から思ってたけど、ラズってイオリには甘いわよね?」
「……別に、甘くない。役割の大切さを知っているだけだ」
「なんの役割をしているの?」
「師匠としての役割だ」
アリスはその言葉を聞いて、どこか懐かしさを感じる。
「変わらないのね、そういうところ」
言ってから、ふと気づく。
変わらないと言えるほどに、二人の時間が積み重なってきたのだと。
「それよりシグレとはどうだった? 手合わせをしたようだが」
問われた瞬間、アリスの眉に皺が寄せられる。
「惨敗。ボロ負け。っていうか勝負にすらならなかったわ。シグレ、強すぎない?」
「今さらか?」
「今さらよ。あんなに舐められたのは久し振り。怒りすら湧いてこないわ」
悔しさを隠していない。けれど怒りではない。むしろ、敗北を認めてしまうほどの力量差。
「手加減されたのが腹立つわ。一度も本気を見せなかった」
「バステリオンの領主は伊達じゃないってとこだろうな」
「だとしてもよ。あんなにわかりやすく接待されたら自信なくなるわよ」
肩を落として落ち込むアリスに。
「俺やシグレと比べない方がいい。俺達はそれだけをしてきた人生だ」
「ラズは部隊長だったし、シグレは領主よ? どっちも責任者じゃない」
「強いから立場を与えられただけだ。立場のために強くなろうとしているアリスとは本質が違う」
その言葉に、アリスがムッと頬を膨らませる。
「じゃあなに? 私はこの先ずっとラズやシグレに勝てないっていうの?」
「んー……」
なんと返したらいいものか、とラズの口が止まる。
「貴方が返事に困るってだけで、それが答えよ。もういいわ、私は違う道を進むから」
ぷいっ、と顔を逸らして唇を尖らせる。
「そう拗ねるな。俺達には勝てないだろうが」
「勝てないんじゃない」
「それでもアリスは充分強い。月夜の軍勢でその実力は示したはずだ。バステリオンの民に認められてるなら、それは誇るべきことだと思うがな」
「わかってるよ。……けど、私は負けず嫌いなの!」
腕が立ち、魔法も使える。指揮官としては優秀で、皆からも愛される。
「強欲だな。王族の性ってやつか?」
「そうよ。私は王族なんだから、なんでも欲しいの」
胸を張るアリスに、ラズの口元が微かに緩む。
「なによ。おかしい?」
「いや。……前にここで話した時とは雰囲気が変わったと思ってな」
ラズは視線を外へ向け、言葉を続ける。
「頼もしくなった」
アリスは、ほんの少し目を見開いた。
「覚えてるのね、あの時のこと」
「場所が同じだ。思い出しもする」
この窓の前で、寝癖のまま顔を出してきたアリス。
ヒルデに「泣いてもいい」と言われて、折れそうになる心を、必死に堪えて皮肉を言ってた。そんな彼女のことを昨日のことのように思い出せる。
その夜の空気が、薄く蘇る。
「あの時の私は、何も背負っていなかったもの」
アリスがぽつりと言った。
「ラズと、私と、ヒルデさんだけ。お父様が殺されたって知って、私が狙われるって知って。そんな現実から目を背けたくて、ただ前を向いて走ってた。……いえ、逃げてただけかも知れないわ」
自虐的に笑うアリスに、ラズは問う。
「今は?」
「今でも同じよ。冷静になればなるほど、危険なことをしてるって自覚が沸いてくる。恐怖に足が震える。それでも」
顔を思い浮かべるように、瞳を閉じた。
「シグレがいる。イオリがいる。工作班も、キースもいる。セレスティアも、バステリオンもある。……それに」
アリスは一瞬だけ言い淀み、すぐに続けた。
「変わらずラズがここにいる」
真っ直ぐな瞳を、ラズは横目で受け止め、暫くしても逸らされない蒼眼から逃げるように外を見た。
「冷静な部分は俺が請け負う。アリスは」
「感情を大切にする?」
アリスが先回りして言うと、ラズが一瞬だけ黙る。
「覚えがいいな」
「だからみんなに受け止めてもらえた。だからみんなを背負うことが出来た」
アリスは窓を外に目を向けて続ける。
「私はまだ止まれない。ここで止まったらみんなの想いが無駄になる。下を向いてなんかいられない」
紡ぐ言葉に込められた決意は確かなものだ。
恐怖に逃げる彼女はもういない。
「ラズ、これからも私の背中を支えてくれる?」
「当然だ」
即答。そして。
「放っておけないからな。アリスは」
「なっ!」
言われた言葉に、アリスが目を見開いて頬を微かに朱色に染める。
「ど、どういう意味?」
「そのままの意味だ。放っておくと何をするかわからない」
淡々と答えるラズに、アリスは、どこか残念そうに溜息を吐いた。
「ラズは冷静。私は感情。それでいい?」
「ああ。暫くはそのままだ」
「そうね。そうしましょうね!」
どこか言葉が強いアリスにラズは首を捻る。
「なにを怒ってるんだ?」
「怒ってないわよ! 感情的になってるだけで!」
「どういうことだ?」
「貴方が言ったんでしょ、私は感情的になるの! ラズにはわからないでしょうから。……もういいわよ!」
言い切って、アリスは逃げるように階段をおりていった。
「……なんなんだ?」
ラズは追わない。
暫く階段の暗闇を見続けていたが、ふいに窓の外を見た。
同じ場所。
同じ灯り。
だが、見える景色は確かに変わっていた。




