第4話 地下水路の密談
地下水路は薄暗く、肌寒く、そしてなにより臭かった。石の壁を伝う水がぬめり、足元を流れる汚水が異臭を放つ。
ラズは瞳を閉じて、耳を立てる。
上から聞こえてくる、石畳を踏む音が消えていない。整えられた、複数人のズレのない歩幅。暗殺部隊が、ラズ達の事を探し回っているに違いない。
「完全に撒けたわけじゃないな」
ラズは壁に寄りかかり、彼女を見た。
右腕は外套の下から赤く滲んでいる。走っている間に止血はできない。けれど彼女は痛みを歯で噛み殺し、呼吸を整えようとしていた。
弱音を吐かない姿が、逆に痛々しく映る。
ラズが腰の袋から布切れを取り出す。追放者として放り出される直前、何の気なしに握り込んでいたものだ。汚れてはいるが、ないよりマシか。
「腕を……。見せてください」
アリスは一瞬だけ警戒の色を浮かべた。
だがすぐにローブを緩め、右腕を差し出す。
切り傷、深くはない。だが、逃走中についた傷としては十分に致命的になり得る。毒が仕込まれていなかったことが幸いだ。
布を裂き、簡易の止血帯を作った。布を当て、強く締め、結び目を作る。動かすたびにアリスの肩がわずかに震える。
「痛みますか?」
「……大丈夫。問題ないわ」
声は掠れていたが、そこに弱さは感じられない。
ラズは結び目を確かめ、息を吐く。
「地下水路で第一王女を止血することになるとはな」
笑えない冗談。だが現実だ。
ラズは改めて彼女を見る。暗がりでも分かる整った顔立ちと、光が灯る青い瞳。
綺麗に伸ばされた金色の髪は薄汚い地下水路でも輝いて見える。
見間違えるわけがない。第一王女、アリストリッド・アルゲンティアその人だ。
ラズはその人に、迷わず問いかける。
「聞きたいことがあります。第一王女」
上の足音がまた近づいた気配。二人は反射的に息を潜める。
遠ざかる、少しだけ。
「なに?」
「なぜアリス様が王家の暗殺部隊に狙われているんですか?」
アリスの瞳が揺れた。
言葉が詰まる。喉の奥で何かを飲み込む音。次の瞬間、彼女はきゅっと唇を結び、視線を逸らした。
言うべきか、迷っている。
当然だ。ラズはアリスからしたらただの通行人。しかも、暗殺部隊を退けた、謎の強者。そんな得体の知れない人物に、王家の内情を話せるわけがない。
ラズは上の気配を確認しながら短く伝える。
「俺もさっき暗殺部隊に狙われました。理由はわかりませんが」
アリスの眉がわずかに動く。
「貴方も?」
「はい」
言いながら、ラズは自分の影に手を突っ込み、そこから先ほど始末した死体。暗殺部隊の一人を引きずり出した。壁に寄りかからせて、ゆっくりと仮面を剥がす。
「始末しましたけどね。仮面に暗殺部隊の紋章が刻まれています」
十字に刻まれた紋章を見せる。
アリスは息を吸い、吐く。
それは覚悟を決めた合図だったようだ。
「隠しても、意味はないわね」
アリスはそう言って、膝の上で拳を握った。爪が食い込むほど強く。
「貴方は、王がここのところ寝たきりだと言うことは知っているわよね?」
「はい。もう長いこと人前には姿を見せていませんから。衰弱だと聞いていますが」
「そう。衰弱だと皆は言った。でも、私は……。それが信じられなかった」
声は震えていない。ただ、微かに声音が弱くなる。
「王はもういい年齢よ。衰弱で衰えていくのは当然のこと。でも、父上はある日を境に、急に……。急激に弱った。まるで何かがそうさせたように」
言葉の端々に、彼女がどれだけ父を案じていたかが滲む。王女としての義務ではなく、子としての心配だ。
「私は名医を探したわ。薬師も、神殿の治癒師も、宮廷医も……。皆に診せた。けれど答えは出なかった。誰も責任を取りたがらない。そして、薬だけは変わることがなかった」
アリスはそこで一度、口を閉じた。水滴が落ちる音が、間を埋める。
「相手が王だもの。責任を取りたくないから処方されている薬を変えようとしないのは当然のことよ。衰弱だと診断しているのなら尚更ね。でも、だから……。だから私は、薬を入れ替えたの」
ラズの目が細くなる。
「入れ替えた?」
「ええ。父上に出されていた治療薬と同じ瓶を用意して、中身をすり替えた。自分の目で確かめたかったの、本当にそれが正しい薬なのかを」
彼女は外套の内側へ手を入れ、何かを取り出した。
小さな薬瓶。
日光すら届かぬ地下で、それは怪しく光る。
「これは毒よ」
言い切った瞬間、アリスの瞳が鋭く燃えた。
「かなり薄められているけど、確かな毒が混ぜられている。だからゆっくりと、けど確実に身体を蝕んでいくわ」
ラズは薬瓶を見つめ、頭の中で予想を立てる。
王が毒で殺される。王女はそれに気づいた。だから消される?
話は通じる。
「今日、私はそれを告発するつもりだった。父上の薬が毒だと、父上が衰弱ではないと。……誰かが父上を殺そうとしていると」
だが、告発できなかった。
結果がこれだ。暗殺部隊に追われ、地下水路。
アリスが薬瓶を握り締める。
「気づかれた。私が気づいたことに。だから私は狙われているの」
ラズは短く息を吐いた。
納得する、しないではない。
ラズは情勢に興味がさほどなかった。
ただ、部隊長と言う立ち位置。影魔法使いと言う立場上、国の裏側を知ることは多い。故に、そういうことがあってもおかしくないと、拒否反応を示さずに聞くことが出来ている。
「それに、私は次の王として期待されていた」
アリスは第一王女。次期王の有力候補。幼い頃から国民に親しまれ、騎士団で訓練していた経験もあり各方面から支持されている。街の復興にも積極的で、貧困問題にも取り組んでいる。
そんな彼女が王の毒殺を嗅ぎつけたなら、黒幕にとっては邪魔でしかない。
「遅かれ早かれ後継者を消すために、暗殺部隊に狙われていたかも知れないですね」
ラズが呟くと、アリスは頷いた。
「ええ。父上が亡くなった後、王になるのは私だもの。そうなれば」
上で急に足音が重なった。
壁に設置された光を放つ道具が振動で揺れ、水面が薄暗く濁る。金属が擦れる音。誰かが蓋の前で立ち止まった気配。
二人は同時に口を閉ざした。
息を殺す。上の声が低く響いた。
「……下だ。気配がする」
暗殺部隊の声。
ラズの指でついてこいと指示を出し、進みながら影に魔力を流して周囲の気配を感知した。前に進んでも、後ろに進んでも暗殺部隊が控えている。
アリスが薬瓶を握り直す、その手が、震えた。
「……さて、どうするか」
囁くように言った瞬間、地下水路の奥から靴音が返ってきた。
近い。確実に、こちらへ向かってくる。




