第31話 根を断った夜
門前の喧噪から少し離れた広場の端へルーガル・ファウンダーが降ろされた。
アリスの指示で縄が張られ、近づけるのは班長と数名の兵だけ。住民は遠巻きに巨大な魔物を覗き見ている。
「こんな化物が森にいたってのか」
兵が呟き、別の班長が恐る恐るそれに続く。
「ルーガル・オーダーを落として群れが散ったのに、どこか不自然だった」
「ああ。退却って感じの不気味さを感じたよ」
「こいつの元に逃げて、また数を増やしてこようとしてたってことか」
恐怖で不安を零している。しかし、その不安が繋がり真実が見えて来る。
「これがルーガルの根です。オーダーを落としてもその日の戦いが終わるだけ。根が生きていれば軍勢の夜は再びやって来る」
不意に現れたシグレにそれぞれが頭を下げる。
「なるほど。だから、ラズさんは門前にいなかったのか。こいつを倒すために」
その声に、周囲が頷く。
シグレの命令でラズが別任務にあたってることは知らされていたが、ファウンダーを倒すことが命令だとは知らされていなかった。
「納得だな」
「ああ。あの人にしかできねえ。オレ達だけじゃ街を守るので精一杯だった」
どこか自虐的に笑う彼らを見て、アリスは前に出た。
「逆にラズだけだったら防衛は出来なかった。私達が力を合わせたから街を守ることが出来たのよ」
「じょ、嬢ちゃん。そりゃそうだけどよ」
「それに、月夜の軍勢で大量のルーガルが街を攻めてたから、ラズがファウンダーまで辿り着けたの。違う?」
アリスの視線がラズに向けられる。
「そうだ。偵察した時、ファウンダーの周りには大量のルーガルがいた。あれが続くようなら俺は近づくことすら出来なかった」
「だから、今日の勝利。いえ、ルーガル達に勝ったのは誰かの手柄じゃない。みんなの手柄。誰か一人のお陰じゃない。自分たちのことを卑下しないで」
責めるような言葉だが、それは激励だ。
それに気付かない兵達ではない。
「ま。あえて挙げるなら、指揮をとったアリ」
ラズが名前を言いかけ、それを止める。
さて何と呼ぼうか考えた結果。
「じょ、嬢ちゃんの手柄ではあるな」
不意に持ち上げられたアリスは驚き目を見開いたが、すぐにラズへと詰め寄った。
「ちょっと、余計なこと言わないでよ! みんなで勝った、そうでしょ?」
「どうだか?」
ラズがシグレに目を向けると。
「ええ。今日の客人は一段と冴えておりました。兵の手柄は指揮官の手柄。ここは客人を持ち上げるべきかと」
「ちょ、ちょっとシグレまで、なに言ってるの!」
からかうように褒めるシグレに。
「では、嬢ちゃん指揮官、オレ達は現場に戻るぜ!」
「今日はありがとよ!」
班長たちは短く敬礼し、すぐに現場へ戻っていく。からかわれるように持ち上げられ、怒ってはいるが、アリスの様子はそれでも嬉しげだ。
そして、広場の端では住民がざわめき始めていた。
「で、王都は今回もなにもなしか?」
「シグレ様は今回も救援依頼を出してたはずだろ? こなかったのか?」
「今更だろ。ずっとだ。わたし達はずっと見捨てられてきた」
火照るアリスの耳に、民の不安が響く。
アリスの胸の奥が、別の感情で熱くなる。だが、この段階で自分が誰かを名乗るわけにはいかない。
アリスは笑顔も怒りも見せず、ただローブの端を強く握った。
その半歩前に、ラズがすっと立つ。住民に向けてではなく、アリスの視界をわずかに遮る位置だ。
「あれは正しい感情だ。誰だってそう思う。バステリオンはずっと、ああやって愚痴を零して誤魔化して来た。アリスが気にすることじゃない」
アリスの指先の力が、ほんの少しだけ抜けた。
ラズは続ける。
「それに、今は不満を溜めさせる時だ」
「どういうこと?」
「月夜の軍勢。ファウンダーの討伐。これをやったのが第一王女のアリスだと知ったらみんなの気持ちはどうなる? 王都を飛び出し、バステリオンを救いに来てくれた女神様だ」
「そんな……。それじゃまるで、私がみんなを利用してるみたい」
「偶発的なことだ。それに、どう思うかはアリスの心構え次第だ」
ラズは迷わず続ける。
「俺はアリスがみんなの心の支えになると思ってる」
叱責ではない。それは冷静に状況を見ているラズの、心からの言葉だ。
アリスは一度だけ息を吐き、住民へ向き直る。
「そんな不安を言う暇があるならさっさと休みなさい。今日が終わったら明日が始まるの。外には大量のリーガルがいるのよ? 捌いて食べて保管して。大忙しだからね!」
指示とは言えない掛け声に、住民は散っていく。
「確かに今は不満を零してる場合じゃない」
「戦ったみんなに美味しいごはんを食べさせなきゃいけないねえ」
不満が切り替わり、明日への活力へ変わる。
「……ふっ。真似できないな」
頼もしいアリスの掛け声に、ラズがぽつりと小さく零した。
そのとき、ファウンダーを解体していた兵が「ん?」と小さく声を漏らした。毛をかき分けた指先に、爪の先ほどの金属片が引っかかっている。
「シグレさん、これ」
兵からシグレが受け取り、それをアリスとラズに見せる。
「なんでしょうか?」
「よく見せて……。小さい金属物ね、もしかして魔具?」
「でもなんでファウンダーの身体にそんなものがあるのでしょうか?」
アリスはそれを布に包み、隠すように懐へしまった。ラズとシグレだけが近くにいるのを確認して、声を落とす。
「ヒルデさんに解析してもらいましょう。なんにせよ、今は騒がない方がいいわ」
「そう、ですね。いまは余計な不安を増やすわけには行きません」
「シグレに渡しておいた方がいい?」
「いえ。ヒルデ様と面識があるのは毒の件でわかっていますので、客人にお任せしますよ。結果はお知らせくださいね」
シグレの言葉に、アリスがそっと頷く。
そして、アリスは咳払いを一つし、声を張った。
「さあ、休憩はここまでよ。朝までにもう少し片づけを進めないと。別の魔物が来るかも知れない」
気持ちを切り替えて辺りを見渡すアリスに、シグレが前に立ちふさがる。
「いえ、もう充分です。お二人とも、休まれてください。あとは私が引き受けます」
「断るわ。まだ……」
言いかけたところで、アリスの足がふらついた。魔力切れ。疲労。張り詰めた緊張が切れた反動。気づけば世界が一瞬だけ白くなる。
「……っ」
倒れる前に、ラズが肩をそっと受け止める。
「無茶したな。もう立ってるのが限界だろ」
「無茶なんかしてない、まだやれる。じゃないと、前に出て引っ張らないと……」
アリスは言い返そうとするが、呼吸に言葉が阻まれる。強がる余裕すら、もう身体には残っていない。気力で動き続ける限界が来た。
「城に寝床を用意しております。湯もあります。……お風呂は」
その言い方が、なぜか少しだけ柔らかい。
アリスの肩を抱いて支えるラズ。
その二人を見て、シグレの声にからかいが混じる。
「お疲れでしょう。お二人で入られては? その方が温まるかと、身も心も」
一瞬、場の空気が止まった。
「はぁ!?」
アリスの声が裏返る。疲労でふらついていたのが嘘みたいに背筋が伸びた。
ラズはいつも通りの顔で、短く言う。
「余計な気遣いだ」
「余計な気遣い? 客人の疲労を見るに同伴は必要かと。あいにく他に手が空いている者がいないので、ここはラズ様にお任せしようかと思ったのですが」
「な、なにを真面目にそんなこと言ってるの! ラズと一緒になんて入れるわけないでしょう!」
アリスの大声に周囲の兵がこちらを見るが、すぐに「聞かなかったことにしよう」と視線を逸らす。張り詰めた空気を消すように、誰かが小さく笑った。
鼻息を荒くするアリスに、シグレが口元に手を添え微笑みを隠す。
「冗談ですよ。部屋も風呂も別で用意しております。今夜は勝ったのですから、大人しくお休みください」
「っ! わかったわ。今日は休ませてもらう。……でも、明け方には起きるから、しっかり報告できるようにしておいてよね」
「承知しました。そのように」
のらりくらりと躱すシグレの言葉に、アリスは溜息を吐いて歩き出す。
城への道は、門前から少し離れるだけで急に静かになった。
夜風の冷たさが肌に触れる。
アリスは歩きながら、ぽつりと漏らす。
「……ごめんなさい。さっきの私、みっともなかったわね」
「どこの場面のことだ?」
「ど、どこの場面って。そんなにあった?」
「俺が連れて来たファウンダーを見て驚いてたところ。俺に抱き着いてきたこと。イオリに大人げなく詰め寄ったところ。シグレにからかわれたこと」
「ああちょっと! もういい、もういいから!」
言ってから、恥ずかしくなって目を逸らすアリス。
ラズは少しだけ間を置いてから口を開く。
「だが、あれがアリスのいいところだ」
「いまさら褒められても嬉しくないわよ」
「強いだけが優秀な指揮官の条件じゃない。そうやって周りの気持ちを掴んで引っ張りあげる。王の器があるよ、アリスには」
あまりに淡々とした肯定だった。
だから余計に、胸の奥が熱くなる。
「……ありがとう」
アリスは小さく言って、お互い無後のまま席段を上がる。
城の廊下に灯りが並び、用意された部屋の前に着く。
側近が鍵を渡し、丁寧に言った。
「こちらが客人のお部屋です。こちらがラズ様。湯は奥。案内は付けます。では、なにかあったらお呼びください」
奥へと消える側近。
アリスは扉の前で立ち止まり、ラズを見る。
「……おやすみ、ラズ」
「ああ。おやすみ、アリス。ゆっくり休めよ」
「言われなくても休むわよ」
そう言い返して、扉を開けた。
中から温かい空気が流れてくる。湯の匂いがした。
扉が閉まる前、アリスは小さく息を吐く。
激戦は終わった。今夜だけは、生き延びたという実感を、胸の奥で確かめる。
扉が静かに閉まり、廊下に残ったラズは、影のように踵を返した。
勝利は終わりではない。だが、休息もまた勝利の一部だ。




