第26話 指揮官の顔
木柵の内側へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。煙と鉄と肉の匂い。それだけならバステリオンに来た時と同じだが、それだけじゃない。
笑い声や、呼び声が増えている。鍛冶場の槌音が、喧噪に負けずに響いている。
「いい意味で活気づいてるな」
アリスが来る前のバステリオンは、賑わっていてもどこか張り詰めた賑わいだった。笑っていても、目が笑っていないような。いつ魔物が攻め込んでくるかわからない、不安を掻き消す為に騒いでいるような。
だが、今は違う。
通りの端では、修理を終えた魔具が並べられている。腕輪型、杖型、投射器具、結界杭。住民が覗き込み、手に取り、試し、首を傾げている。
「これボクの魔力でも動くか?」
「お前、魔力の量はあるけど雑だろ。こっちの方が向いてるぞ」
「なんだと! ……あ、でもそうだな。こっちの方がしっくりくるか」
笑い混じりの言い合いが、普通に流れている。自分に合う武器を選べる余裕が街に流れている。
その分、酔っ払いやごろつきが少なくなったか。今まで遊んでいた住民も、戦う顔付になっている。
そんなバステリオンの住人のように、アリスが街中に立っていた。
住民に囲まれ、地図を広げながら何かを説明している。声は大きい。けれど怒鳴っているわけではない。周辺の土地を確認しているのか、意見をもらいながら話し合っているのか。
ふいにアリスがこちらに気づいた。
ぱっと表情が変わり、迷いなくこちらへ近づいてくる。
「ラズ!」
「戻った」
「どこ行ってたの? 姿が見えなかったから……」
不安だった、と言わんがばかりに上目遣いを寄こす。その割に声が以前より明るく聞こえるのは、気のせいではないだろう。
「偵察だ。王都方面の現状を見てきた」
アリスの瞳に真剣さが混ざる。
「どうだった?」
「締め付けと規制が厳しくなってる。検問や治安名目の権限拡大。王都はもちろん、各地から不安の声が上がってるようだ」
「そう……」
肩を落とすアリスに。
「早くみんなを元の生活に戻れるようにしないとな。期待してるぞ、指揮官」
その言葉に、顔を上げて気合いを入れ直すように息を吸い込んだ。
「そうよね。ここはバシッと決めないといけないんだから」
「その意気だ」
視線を交わして頷き合う二人。
「おーい、嬢ちゃん! この腕輪、どっちがいい!」
「早く新しい魔具を設置する場所決めようや! 指示もらえればすぐに動けるぜ!」
住民の声に、アリスが振り返り手を上げた。
「いま行くから、少し待ってて!」
その声に笑いが起きる。もう、街の合図みたいになっている。
アリスが戻ろうとする。
ラズは、一度だけ呼び止めた。
「アリス」
「なに?」
「似合ってる」
アリスが一瞬きょとんとし、次の瞬間、頬がわずかに赤くなった。
「えっ?」
「今の立場が似合ってるよ」
言い直すのは照れ隠しではない。誤解させないための補足だ。
アリスは、それでも嬉しそうに笑った。
小さく頷いて、すぐにいつもの強がりを戻す。
「うん。私もそう思う。それに、ここ。大好きになった」
それだけ言って、アリスは走り出した。住民の輪へ戻っていく足取りが軽い。
「いい影響だな」
ラズは頷く。
この街は厳しい。だが、厳しいからこそやることが明確で、アリスの気持ちを前へ押す。王都の湿った陰とは違う。ここは現場だ。そして、アリスは現場を引っ張ることが出来る実力と器を持っている。
お飾りの第一王女なんかじゃない。
ラズは頼もしくなったアリスの背中を見送り、城の方へ向かった。
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畳の広間は静かだった。
シグレが街を静かに眺めており、その後ろには側近が立っている。
「お帰りなさいませ、ラズ様」
振り返らずに言うシグレ。
「戻った」
ラズは短く返し、森の偵察結果を要点だけ述べた。魔物の群れの多さに種類。親玉の威圧感に、その強さ。そして軍勢の夜が親玉を殺す好機になること。
シグレは聞き終え、頷く
「軍勢の夜についてはどうだ?」
「心配は無用です。客人の件も、軍勢の夜の件も。ラズ様が気にする必要はありません」
「そうか。それなら助かる。今回は親玉に集中したいからな」
「ええ。当然そのつもりですよ」
側近が口を挟みかけるが、シグレが視線だけで制した。
「何かあった時は、全て私が解決しますので」
丁寧な言葉なのに、断言だった。
その言葉には、前線の当主としての責任を取る覚悟がある。
「任せる。親玉との一騎打ちなら必ず仕留められる。それは約束しよう」
「お願いいたします」
シグレは遠くに見える森を見据えた。
「私も何度か森へ出向いて確認したのですが……。あの魔物は常にバステリオンを視界に入れ、隙を見せれば攻めて来るつもりです」
「王都を攻める期を窺ってる、バステリオンみたいにか?」
「ふふっ。うまいことを言いますね」
仮面の下で、静かに微笑むシグレ。
「それがわかっていながら、どうしても攻め入れなかった。森は我々にとってあまりにも不利。大勢の魔物に体力を消耗し、疲れ果てたところを親玉に狙われる。軍勢の夜に私が単独で動いても、恐らく辿り着くことすら叶わないでしょう」
そこまで言って、シグレがラズへと振り返る。
「偽者の王女がその座に付き、民衆の不安がアルゲンティアに充満しています。そんな時、本物のアリス様がこちらにいる。そして、森で最大の力を発揮できる我々の救世主、ラズ様がいる。今が最大の好機なのです。この機を逃すことはできません」
空気が締まる。流れる風が、ふと止まる。
ラズがその言葉に、微かに戸惑いを見せた。
「お前。アリスを本物だって」
「おっと。これは失言でしたね……。忘れてください」
シグレはわざとらしく咳ばらいを挟み。
「ともかく、我々としても正念場なのです。客人が実力で民を認めさせ、本物の旗となりバステリオンを導く。不安である魔物をラズ様が下し、再び英雄として前線を駆ける。これほどの好機は、今までにない。……待ちに待った瞬間です」
言いながら、ラズへと近付くシグレ。
そして、すっと手を差し出した。
「利害は一致しているはずです。必ずやこの作戦を成功させてください」
仮面に隠れた彼女の瞳は、ラズに向けられているのか確かではない。
それでもラズは差し出された手を取った。
「ああ。こっちはうまくやる。だから、アリスを頼む」
城下には笑い声。
森の奥には重い気配。
戦いは、全てが上手くいくとは限らない。
それでも今は攻める時だと、二人は静かに握手を交わした。




