第16話 見捨てない王女
ラズとアリスは足早にセレスティアを歩いていた。フードを深く被り、通りを避け、細い路地を選ぶ。
今は一刻も早く街を出るべきだ。暗部がセレスティアでアリスの事を探しているのは間違いない。
ここでヒルデの解析結果が奪われるようなことがあれば、全てが終わりに繋がる。
バステリオンに辿り着かなければならない。
角を曲がった時だった。裏路地の奥から、かすかな叫び声が聞こえた。
「……っ!」
後ろを歩くアリスが、反射的に足を止める。
ラズは振り返らずに口を開く。
「構う暇はない」
声は冷たく静かなものだ。そこに迷いはない。
「でも」
「その一歩は大勢の民を殺すことになるかも知れないぞ」
きつい言い方になっているのはわざとだ。
アリスは一瞬だけ唇を噛み、そして顔を上げた。
「目の前の民を見捨てる者に、王になる資格はないわ」
その一言に、迷いはなかった。
ラズは舌打ちを飲み込み、短く伝える。
「俺が先行する。アリスは後ろを見ろ。前に出るな」
明確な指示に、アリスが頷く。
ラズは影に魔力を流し込んでから裏路地に入った。薄暗く狭い通路を進み、自分たちのものではない、影の上を滑るように歩いている音を複数、感じ取る。
そして、それがこちらへ不意に向いた動いた。
黒い仮面が、路地の左右から音もなく飛び出した。
短剣。無駄のない踏み込み。
顔は仮面で隠されている、暗殺部隊のものだ。
仮面の刃が来るが、ラズは躱さずに前に出る。眼前に迫る刃先を影で強引に受け止めて、影を糸の様に自由に動かす。暗部の踏み込んだ足元をすくいあげ、腹部に拳を突き立てる。
「アリス、先に行け。この先にもう一人いるぞ」
アリスは掛け声と同時に前へ走った。
もう一人がアリスの方へ回り込もうとするが、影が足首を掴み、それを止める。
「……っ!」
「お前の相手は俺だ」
地面を引きずられる男へラズは近づき――轟音が裏路地に響く。
アリスはその攻防を背に裏路地の奥、壁際へ辿り着いた。
そこにいたのは、がたいのいい老人。
肩幅が広く、腕が太い。巨躯の身体は片膝をつき、脇腹を押さえている。血が滲み、息が荒い。それでも目は死んでいない。
老人の前には、仮面の暗殺者が一人。
短剣がゆっくりと持ち上がる。
「やめなさい!」
アリスが割って入った。
短剣が振り下ろされ、アリスは剣で受け止めた。金属音が鋭く響く。腕が痺れ、押し返しても剣が上がらない。
相手の力が勝っている。
アリスは歯を食いしばり、氷魔法を放った。足元へ薄い霜を走らせ、動きを止める。
だが仮面は躱す。霜を踏まず、壁を蹴り、間合いを外した。
「さすがは暗部。強いわね……」
アリスは一歩引き、老人を背に庇う。逃げ道を作るのではなく、守る位置取りだ。
「……本物までいるとは。大手柄だな」
仮面は容赦なく距離を詰めた。剣は小さいが、斬り込みが深い。
アリスの剣が弾かれ、手首が浮く。
仮面が踏み込み、刃が一撃を決めに来る。
その瞬間、暗殺者の影が不自然に捻じれる。
黒い糸が何本も立ち上がり、全身を縛り上げる。腕、脚、喉元。動きを封じる結び目。
「……っ!」
男がわずかに身を震わせる。
次の刹那、首筋の刻印が淡く光った。
術式が起動した光だ。男はそれから動きを止め、身体から力が抜ける。影がほどけると、そのまま音を立てて地に伏せた。
「また自害か」
背後から現れたラズが呆れたように吐き捨てる。
「殺すより生かす方が難しい。面倒な連中だな」
平然と圧倒するラズから目を逸らし、アリスはすぐに老人を見た。
「大丈夫ですか? 怪我は」
「へっ。女なのにいい踏み込みだ。……死ぬかと思ったぜ」
二人の声を聞きながら、ラズは静かに影を広げる。路地の入口、屋根、灯りの影。気配はないが、誰かに見られたら面倒だ。長居はできない。
「行くぞ」
ラズの声に、アリスが立ち上がり歩き出すが。
「待て!」
老人の声が、背中に刺さった。
ラズが返事をせずに振り返る。
「助けてもらって、礼も言わずに行かせるかよ」
「急いでる。礼はいらない」
「せめて名だ。名だけでも教えろ」
「必要はない」
「そうはいかねえ」
老人は強引に言い切り、歯を食いしばる。
「王家の暗部から助けてくれた命の恩人に、なにも出来ねえんじゃオレの名が汚れる」
その言葉に、ラズは呼吸を浅くした。
「なぜ暗殺部隊を知っている」
「そら知ってるだろうがよ……。なんだ、オレを知らねえのか?」
その言い方は、ただの町人のそれじゃない。
だが、ラズが知る人物ではないのは間違いない。
微かな逡巡の後、ラズはフードを外した。
「ラズ・グレイヴナイトだ」
老人の目が見開かれ、次いで口角が上がった。
「王都騎士団の第三部隊長が、こんなところでなにしてやがる? 確か追放されたって聞いてたぞ。いやまあ、深くは聞かねえが。いや、だが」
老人はラズから視線を外し、次にアリスをじっと見つめた。さっきまでの勢いが消え、目が測る目になる。その瞳はただの民ではない経験を感じる。
「……なるほどな。確かに、思い返せば同時期か」
声が弾む。興奮が痛みを押し退ける勢いだ。それは何かを察し、何かを楽しむようなもの。
「急ぎのところ足を止めさせて悪かったな。だが、お前らは命の恩人だ。そして、本物だろうが偽物だろうが、この恩には関係ねえ」
そこまで言って、老人は声を落とす。
「名は聞かねえ。できれば、なぜオレを助けただけでも教えて欲しいもんだがな」
アリスは一瞬、ラズを見る。
だが、ラズは動かない。答えを委ねる。決めるのはアリスだ。
アリスは壁にもたれかかる老人に向き直り、ローブの奥から瞳を見つめる。
そして、口を開いた。
「……私はこの国と民を守りたい。それだけよ」
それだけ言って、口を閉ざした。
「そうか。そうかよ。参ったぜ、こりゃ」
老人の口元が微かに緩み、楽し気に笑みが零れる。
それを見て、ラズは影を一筋伸ばした。路地に倒れた仮面のひとつを、老人の足元へ滑らせる。
「それが証拠になるかは分からない。だが、何かには使えるかもな」
「……へっ。つまらねえ話し合いが急に面白くなりそうじゃねえか」
「なんのことだ?」
「なんでもねえ。少なくとも、今のおめえらには関係ねえ話さ」
ラズが首を捻ると、老人は楽しそうに微笑んだ。
ラズとアリスはそれ以上言葉を交わさず、路地を抜けた。
人混みに紛れて街を駆け抜ける。
進む足に、迷いはなかった。
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ラズたちの背が見えなくなってから、老人はようやく深く息を吐いた。
「……やってくれたな。クソが!」
脇腹を押さえ直す。血の滲みが増えている。だが目は冴えたままだ。
そこへ、慌ただしい足音が近づいた。
「ドリアーノ様! ご無事ですか?」
「遅え! どこに行ってやがった!」
老人。ドリアーノが怒鳴る。それは鍛冶場の怒声そのままだ。
「殺されるところだったぞてめえ!」
「も、申し訳ありません!」
「言い訳してる暇はねえ! さっさと行くぞ!」
「ドリアーノ様、怪我が」
「気にしてる場合じゃねえ!」
ドリアーノは立ち上がろうとして痛みに顔を歪め、それでも拳で壁を叩いた。
「今夜の評議会には出席しねえとヤバい。奴等がこんなに早く動き出すとは思わなかった」
「どういうことですか?」
「どうもこうもねえ。……殺されてるかも知れねえぞ、他の評議員は」
ドリアーノは路地の奥、ラズたちが去った方向を一度だけ見た。
そして吐き捨てる。
「セレスティアは評議会で取られる投票が全てだ。今夜票を取られたら終わりだぞ。腐った奴等にこの街を渡すわけにはいかねえだろうが!」
側近に肩をかり、ドリアーノはすぐさま歩き出した。




