第13話 ヒルデガルド・ヴァイスハイト
研究室の奥からかすかな足音がした。
ラズが振り返ると、白衣の裾を引きずるほど小柄な影が現れる。
彼女は両手を腰に当て、背伸びをしながら問いかけた。
「わたしの許可なく外を見てきたようだね?」
研究所に影を残して外に出たが、どうやらバレていたらしい。分析に熱中した背中は、何かに気付く余裕はないように見えたが。
「セレスティアの現状を把握してきた」
誤魔化さず、端的に伝える。
「追われる立場だというのに余裕だねぇ。まあいい。では、報告をよろしく頼むよ」
責めるでなく、ヒルデは椅子に深く腰掛ける。
「騎士の巡回が多く、出入りの検問が厳しくなっている。という声をよく聞いた。俺は普段のセレスティアを知らないので本当かどうかはわからんが」
「セレスティアの騎士はお飾りさ、巡回などは殆どしない。皆がそう愚痴っているなら、そうなのだろうね」
その言葉に、ラズが頷き。
「それと、王女を見たという通報が入ったようだ」
「ほう。ここに来るまでに誰かに見られたのかい?」
「その可能性は低い。セレスティアへは影で侵入し、ここに来るまで視線も感じなかった」
「なるほど。キミの実力がどれほどまでかはわからんが」
言って、ヒルデはラズを伏し目がち一瞥し。
「腕に関しては信じていい風貌をしているようだね」
なにかを察してそう言い、続ける。
「ともなれば、偽物を見たと言う嘘を流して事を荒立てようとしている者がいるようだね。下品なやり方ではあるが、偽物探しを民衆にさせるには悪くない策ではあるねえ」
ヒルデは白々しく、困ったものだと肩をすくめて。
「まるで、継承式で無茶苦茶な政策を打ち出した王のような強引さだ。そうは思わないかね? ラズ・グレイヴナイトくん」
「そうだろうな。アリスを探している連中が騒ぎにしているとしか思えない。……それに、街中に王都暗殺部隊が紛れてた」
眉をひそめて訝しむヒルデ。
「随分と物騒なことを言う」
「騎士団を追放されて、俺は暗殺部隊に狙われた。アリスも同じだ」
ラズは影の中から暗殺部隊が付けていた仮面を取り出す。
刻まれた紋章が見えるようにヒルデに見せると。
「くっ……。あっはっは! まさか暗殺部隊の仮面を見せてもらうことになるとは思わなかった! なかなかどうして面白い事をする。それはどこで?」
「狙われたからな。殺して奪っておいた。使い道があるかと思って」
「くっくっく。暗部を殺して、その証拠に仮面を持ち歩くとは度胸がある。どうやらキミは噂以上に面白い男のようだね?」
なにをそこまで面白がっているのか、ヒルデは嬉しそうに笑みを浮かべてラズを見つめる。
「アリスくんが狙われるならまだしも、キミはいったい何をしたんだい? たかが部隊長が、なにをすれば暗部に狙われる?」
「騎士団の金を横領したらしい。身に覚えがないが」
ヒルデは大きく瞬きを繰り返し、そしてお腹を押さえて笑い出す。
「あっはっは! そんなことで暗部に狙われたのかね! 王族の影、王都の闇と恐れられていた彼等も随分と安くなったものだ! お買い得すぎて直ぐに入札したい気分だよ!」
「いや、横領は冤罪だ。それを理由に騎士団から追い出されただけでな。だから、なんで暗部に狙われたのか、俺もわかってない状態だ」
「だろうねえ! 落ちぶれるとは言え金を横領しただけの部隊長を殺す為に暗部を出すはずがないよ! あっはっは! あーっはっはっは!」
小さい身体から発せられているとは思えない大声で笑い続けるヒルデ。
「そこまで面白い話しじゃないと思うが」
「いやはやこれは失敬……。ふふっ。キミからしたら謎に命を狙われて大変な状況といったところだろうに……。ははっ。でも、横領が理由で暗部に……。くっくっくっ……」
笑いを抑えられていない彼女を見て、ラズは諦め暫く黙る。
落ち着きを取り戻したヒルデはカップをひと啜りしてから。
「あー……。久方ぶりにこんなに笑ったよ、キミは笑いのセンスがあるようだね、ラズ・グレイヴナイトくん」
「俺はただの被害者だ」
「そうかい? 暗部に狙われるものだから、よほどのことをしたとしか思えないのだが……。まあいい。それで、同じく暗部に狙われていたアリスくんを助けて、ここまで来たという事か」
笑いの感性はズレているが、頭の回転速度はさすがと言ったところか。
「そういうことだ。奇妙な縁だが、成り行きでな。……それより、なんでヒルデが暗部の事を知っている?」
ヒルデは魔法化学の最先端を歩み続ける研究者としては有名ではある。だが、行政や騎士団関係の話しで彼女の名前を聞いたことはない。
そんなヒルデがなぜ暗殺部隊の存在を知っているのか?
「わたしはセレスティアの評議会の一人だからね。研究者枠で」
ラズの眉がわずかに動く。
「評議会?」
「おや、知らないのかい? この街の領主はお飾りだ。挨拶や儀礼をこなすだけのね。街の方針を決めるのは三年に一度、市民が投票で選ぶ六人の評議員さ。評議員が評議会を開催し、投票によって決定されたことが街の決まり。これは昔からの決まり事でね」
ヒルデは淡々と続ける。
「内訳は研究者が三名、工房連合・商会・王都契約局からそれぞれ一名。という具合さ」
「アルゲンティア王国の街とは思えない制度だな」
「セレスティアは王家直轄の特許都市。他国よりアルゲンティアが魔法も化学も進んでいるのはこの街あってのことなのだよ。魔具ですらこの街で産まれた代物なのだからねえ。……まあ、王族からすれば邪魔者達の集まりに映るかも知れないが」
王国の一部でありながら、王都の指示に従わない可能性がある。
不思議な街だ。
「でも、だったら王都が打ち出した政策や偽王女の噂も」
「影響はある。けれど、言いなりにはならない。セレスティアのルールは全て評議会で決められるものさ」
ヒルデは言い切り、しかし釘を刺す。
「ただし、評議員の全員が同じ方向をむくわけじゃない。立場上、商会と王都契約局は王都の圧が刺さりやすいからねえ。街を守るためと言いながら、街を縛る側に回ることもある。過去にもそういうことが何度かあった」
「ということは、既にあちら側と繋がっている可能性もあるということか?」
問いに、ヒルデが鼻を鳴らす。
「評議会の前に騎士団が騒ぎ立てているところを見ると、王都契約局が王都の指示をそのまま実行しているように見えるが。果たして堕ちているかわからないねえ」
そこで、部屋の奥からピコピコと音が鳴る。
「おっと、分析が進んだようだが……」
言うも、ヒルデは奥に向かわずラズを見続けた。
「質問を一つ。アリス嬢は王座を取り返すつもりかな?」
「そのようです」
「キミはどうするんだい?」
「アリスに同行します」
ラズは、即答した。
「その方が暗部に接触する頻度は増える。俺が追放された理由を知るのにも手っ取り早いからな」
「なるほど、危険ではあるが合理的だ。王座を奪い返すとなると、キミに起きた不幸を探るより、随分とスケールが大きく見えるが」
「最後までアリスに付き合うかは、いまの状況ではわからない。状況を見て決めるつもりだ」
ラズの言葉に、ヒルデは否定をしなかった。
「そうだね。……無駄話はここでにしよう。わたしは失礼するよ」
ヒルデがラズに背を向け。
「アリスくんのことは任せる。うまく付き合ってくれると嬉しいがね。彼女は……。年相応な女の子だから、不器用そうに見えるキミには少し難しいかも知れないが」
小さな背中が、少しだけ大人びて見える。
「ならヒルデが守ればいい」
「守ると言っても方法は一つじゃない。……あれは第一王女である前に、わたしの愛弟子。わたしはわたしのやり方で、やれるだけのことはしてやるつもりさ。あっはっは!」
笑い声だけ残して、ヒルデは薬瓶の待つ奥へ消えていった。
ラズは一度だけ息を吐き、静かに歩き出した。




