第10話 奪還の誓い
平原を駆け抜け目の前に見えてきたのはどこまでも広がる森。木々が密集し、枝葉が風に擦れて音を立てている。そこへ滑り込むように入った瞬間、視界がぐっと暗くなり影が増えた。
ラズは地に手を着いて影に魔力を注ぎ込む。草が生い茂る影を辿り王都付近までその気配を探る。
複数の気配を感じ取る。だが、既に姿を見失っている彼らは途方に暮れ、上からの指示を待つように佇んでいる。
追跡する気配はない。
「ここまで来れば、ひとまず」
言いかけて、ラズは横を見た。
アリスは肩で息をしていた。ローブの内側で胸が上下し、額に汗が光っている。揺れる布の隙間から見えたのは、悔しそうに噛み締めている口元。
王が死んだ真実を知り、暗殺者に狙われ、逃げ、王の座を、自分の居場所を奪われた。
「アリス。落ち込んでいる暇は」
声を掛けようとした、その言葉が掻き消される。
「ふざけないでよ! なにが『私が継ぐ』よ!」
膝に手を着いたまま、アリスは鋭く目の前の何かを睨みつける。そこにあるのは不満や自虐ではない。
真っ直ぐな怒りだ。
「父が死んだことで悲しむ民がいるのなら、共に悲しめばいい。寄り添ってその声に耳を傾ければいい。民の前で、もっと、ちゃんと。一緒になって……」
言葉が詰まり、すぐに噛み潰す。
「それなのに、あいつはなに? 治安維持? そのための粛清? ふざけるな! それが悲しむ民にかける言葉なの!?」
アリスの言葉にはどんどん熱が帯びていく。
「隣国への先制攻撃? 民を騎士団に導く仕組み? あんなの私が考える政策じゃない!」
荒い息を吐き、アリスは木の幹を掌で叩いた。
「私の顔で、みんなを不安に陥れるな!」
蒼い瞳が、闇の中で燃え上がる。
叫びは森に吸われていく。
追手が近くにいれば、気付かれるかも知れない。
だが、ラズは口を挟まなかった。
大広場で、彼女が叫んだ瞬間を思い出す。
死を偽装したのだから、少なくともあの場で姿を現すのは失策だった。準備を整え、計画を練った上で姿を現すことが出来れば、それで事が済んだ可能性すらある。
だが、叫ばずにはいられなかったのだろう。
息を整えるように胸元を押さえるアリスを、ラズは静かに見守る。
「そもそも偽物がいるってこと自体が許せない」
「やっぱりあれは偽物なのか?」
「当然でしょ! あいつが偽者、私が本物!」
ぐっと顔を近付けて来るアリスの胸元を手で押さえて落ち着かせる。
「壇上には認識阻害魔法が掛けられてたわ」
「それは感じた。影を辿って彼女に触れようとしたが、違和感があったからな」
「それだけじゃない。魔具も使われていたわ」
「魔具が?」
魔具とは、魔力を道具に込めると術式が自動発動する仕組みをもつ物だ。魔力を自動で火に変えたり水に変えたり。本来は民の生活を楽にするために、ここ数年で開発された技術。
「魔力を込めてそこに声を通せば、私の声に変換されるものよ」
「なんでそんなものが」
「……私が作ったの」
「アリスが?」
「そう。正確に言えば私と師匠がね。全く、お遊びで作った魔具がなんで王都に出回ってるのよ……」
頭が痛い、と表情を苦しませるアリス。
「しかもそれを王座を盗むために! 私の顔を盗むために使うなんて有り得ない!」
地団駄を踏んでいるアリスに、ラズは思わず言葉を失った。
この状況で怒り、怒鳴っている。それも、状況を冷静に分析している。
それが、ラズには少し意外だった。
心が折れていないどころか、怒りが芯になり暴れ回っている。
「元気、なんだな」
ラズがぽつりと言うと、アリスは半眼で睨みつける。
「元気なわけないでしょ」
だが、すぐに唇を噛む。
「でも、怒らないと……。怒りを力に変えないと立ってられない」
その言葉に、ラズは安心したかのように息を吐いた。
怒りが今の彼女にとって支えになっている。
決して平気な訳ではない。ただの強がりで持ちこたえている。
だが、それでいい。今は折れないことが何よりも重要だ。
アリスは深呼吸し、声の調子を落とした。落ち着きを取り戻した冷静な瞳は、蒼く輝く。
「強いんだな、第一王女は」
「ふんっ。私は剣が使えるように騎士団に入った。魔法化学を学んで魔具を作れるようになった。ついでに魔法も使いこなせるようになった。お飾りの王になるつもりなんてさらさらない。私は強い王でありたいの」
蒼い瞳が、ラズをまっすぐ射抜く。
「父上が何者かに殺された。偽物が私の顔で王座を盗もうとしている。だから、それを暴いて、王座を奪い返す」
言葉は短い。だが断言だ。
「そのために、私は動く。隠れて泣いてる暇なんてない」
アリスは一歩、ラズに近づいた。
「ラズ。貴方はどうする?」
問いは真っ直ぐに、他の意味は持たない。
ラズは一拍置いた。
呼吸を整え、脳を空っぽにしてから思考を始める。感情を出す場面じゃない。冷静に現状を理解して、次へ進むべきだ。
だからこそ、答えは決まっていた。
「一緒に行こう」
アリスが目を見開く。
「俺の追放は濡れ衣だ。何者かが俺を邪魔だと判断して追い出した。その直後に暗殺部隊が俺を狙った。口が割れないように自害までした。たかが部隊長の俺にするようなことじゃない」
アリスの眉がわずかに寄る。
「そしてアリスも暗殺部隊に狙われた」
言いながら、ラズは確信めいた声で伝える。
「俺の件とアリスの件は同じ連中が絡んでる可能性が高い。なら、アリスといた方が真相を知れる。それに」
ラズは、アリスを真っ直ぐ見つめて答える。
「放っておけない。……アリスがよければの話だが」
真っ直ぐな言葉に、驚いたように瞬きをしてから、しかし頷く。
「……そう。ありがとう」
「礼を言う場面じゃない。俺が欲しいのは答えだ」
「いいえ、お礼を言うのが先よ」
アリスは得意げに鼻を鳴らした後、目線を下げる。
「追放されたのに、追われてるのに……。私を助けて、ここまで連れてきてくれた。今までのことも含めて、最初にお礼を言うべきよ」
言い終えると、アリスは顔を上げた。
「ありがとね、ラズ。これからもよろしく」
二人は手を差し出して、強く握る。
「で、ラズ。貴方って本当はどんな人なの?」
唐突な問いだった。
ラズは答えに詰まる。自分の説明をしたことなんて今までに一度もなかったし、自分のことを気にしたこともなかった。
「どんなって」
「噂は聞いていたけど、実際どうなの? 第三部隊長。若手のエース。レイ・ルクスヴァイスの相棒。団長のお気に入り」
アリスは少しだけ首を傾げる。
「でも、聞いてた話と少し違うわ」
「どんなところが?」
「噂の数倍は強い。あと、優しい」
アリスの言葉に、ラズが微かに笑う。
「どっちも気のせいだ。強さは並みだし、優しい性格もしてない」
「そう? ……ま、これからもっと知っていきましょう。お互いのことを」
ラズは、返事をしなかった。答えると、そのままアリスのペースに持って行かれそうだったから。
代わりに歩き出す。森の中を、影の濃いところだけ選んで進む。足音を殺し、木々の間を抜ける。
アリスも隣を歩いた。さっきまでの怒りが嘘みたいに、歩調は落ち着いている。
「……似てるな」
ラズは、隣を歩くアリスの横顔を見て、幼い頃のレイを思い出す。
孤児になって間もない夜。避難所で目を離すと、置いていかれるのが怖くてたまらないのに、泣き喚きはしない。ただ、物静かに、寂しさを隠しもしない目でこちらを見ていた。
『置いて行かないで』
言葉は小さかった。
でも、その瞳だけで十分だった。
今のアリスの顔が、それとどこか重なった。
強がっている。怒っている。前を向いている。けれど、ひとりになった瞬間に崩れる種類の危うさがある。
口には出さない。出す必要がない。理由は利害一致で足りるからだ。余計な感情を挟む必要はない。
「で。まずはどうするんだ」
「魔法化学の街、セレスティアに向かうわ。そこで、ヒルデガルド・ヴァイスハイトに会う。知ってる?」
「魔具の開発者だろ? 変人だって噂は聞くが」
「正解。変人で研究バカ。……でも、信じられる」
アリスは、そこで一度だけ言葉を切った。
「私の師匠。五年間、その人から私はいろいろ教わったから」
迷いのない声音に、ラズは頷いた。
「なら、大丈夫そうだな」
それだけ返して、前を向く。
森の向こう、日が落ち、闇が濃くなり、王都とは違う世界が広がる。
「……絶対に、奪い返す」
ラズは答えなかった。
こうして二人は、セレスティアへ向けて歩き出した。




